第32話 只今、タバスコは在庫を切らしてまして
かちゃかちゃと重ねた皿を鳴らしながら、三澄がフロアから戻ってきた。
忙しかった昼の余韻満ちるパントリー内。飲み物片手に一息吐いているリーダーの先輩が、
「佐竹君、休憩入っちゃって」
三澄はその言葉に従い、休憩室へ。昼のまかないどうすっかなー、なんて椅子に座ってボーっとしていると、入口のところから岬が顔を覗かせた。ほんのり茶色に染めたミディアムヘアの、失礼だがどこにでもいそうな風貌。微妙に気弱そうなのが、三澄としても気を使う要因の一つだ。
「佐竹さん、友達が来てるよ」
「すみません、わざわざ」
三澄が軽く会釈すると、岬は僅かに逡巡してから、席番号だけ告げて去っていった。
三澄は席を立ち、言われた番号の座席に向かう。円満そうな子連れの夫婦、快活そうな男子中学生四人組、飲み物片手に談笑する食後の男女。土曜昼過ぎのゆったりとした空気がフロアに流れている。
そんな中、手を頭の上まで上げてこちらに振りかけてくる人物が一人。近づいていくと、その対面にもう一人いることに気付く。
「やっほ、三澄」
「……」
悪戯っぽい笑みで声をかけてくるのは美月。そして、なぜか顔を赤らめて俯いているのは律だ。二人とも夏らしい涼しげな出で立ちだが、露出抑えめな律に対し、美月はそのしなやかな脚を晒すショートパンツコーデ。
「二人して、何か用か? 俺、休憩入ったばっかで、メシもまだなんだけど」
知り合いにバイト中の姿をあまり見られたくなくて、三澄はつっけんどんに返した。
「や、りっちゃんがさぁ、昨日のことで三澄に言いたいことがあるって言うから」
「ちょっ、美月っ」
慌てる律。昨日のこと、とはつまり、昨日の昼休みのことだろうか。
目の前で、親の仇を見るような顔の律と、ニンマリ顔の美月による視線だけの戦いが始まるのを意に介さず、三澄は身構える。
それから数秒で勝ち目なしと理解した律が、どこか縋りつくような目で見上げてきた。
「三澄、昨日のはその……、違うからっ。あんなの私じゃないからっ」
「おう……?」
「だって三澄、私がその……、アレした日、朝は元気そうだったのに学校休んだでしょ? だから迷惑だったのかな、とか思ったけど、でもやっぱり諦めきれなくてっ。それで美月に相談したら、押して押して押しまくるしかないって。だからお母さんに教えてもらいながらお弁当作って……!」
「り、りっちゃん? 落ち着いて? ほら、注目されちゃってるから……」
どんどん一人で加熱する様が想定以上だったのか、見かねた美月が止めに入った。今の律をいつもの調子で弄ってはいけないと、分かっていなかったらしい。
「――っ」
口開けたまま、律が硬直する。視線が僅かに左右して、
「…………う、うう……、ううぅぅ~~~~!」
とうとう耐え切れなくなったのか、机に突っ伏して、顔を隠してしまった。
「「……」」
困り顔の美月と目が合う。
「……美月、お前、一枚噛んでるどころかほぼ主犯じゃねーか」
「あ、バレた?」
「少しは悪びれろや」
昨日、自分は関係ないとか宣ったのはどこのどいつだったか。
三澄は嘆息して、律を見る。
何と声を掛ければいいのか分からない。以前までなら、慰めるなり茶化すなり幾らでもできたのに、例の告白以来、何を言っても裏目に出そうで。
「り、律?」
恐る恐る、律の肩に手を置く。と、律が顔を上げた。潤んだ瞳に、思わず吸い込まれそうになる。
「……いけっ……そこだっ……抱き締めろっ……!」
何やらコソコソと、ふざけた声が聞こえてくる。矛先が自分に向いていないからって、無責任なことを……。
「おい、そこ。お前の注文だけ、キッチンの人に頼んでタバスコ風呂にしてやろうか」
「た、タバスコ風呂⁉ ジュースとかじゃなくお風呂なの⁉ 意味分かんな過ぎて、もう何かとりあえずヤバそうってことしか分からないよ!」
タバスコ風呂という単語はどうやら初耳だったようだ。三澄は仕方なく、懇切丁寧に説明してやることにする。
「まず、刺激成分が気化するせいで、目を開いているだけで失明するリスクがあるだろ?」
「う、うん」
美月が神妙な面持ちで頷いている。
「加えて、吸い込めば肺炎になるリスクがある。だから、浴槽に近づくにはフルフェイスのガスマスクが要るわけだ」
「おお、なんか本格的になってきたね」
何が本格的だ、アホか、と口から出かかったが、我慢して続ける。
「さて次は、ガスマスクを装着し、晴れて浴槽に近づけたとする。ここで、肌がピリピリし出す。これはタイムリミットだ。長居は禁物。場合によっては、火傷じゃ済まなくなるかもしれない。気になる奴は、いっそ防護服みたいなものを用意するのもいいな。
そして浴槽だが、これが一番の問題かもしれない。もし、浴槽に傷が一つでもあれば、そこから腐食が進む。浴槽の樹脂やら金属やらが溶け出して、ボロボロになっていくんだ」
「……」
固唾を飲んで聞いてくれているところ悪いが、そろそろ面倒になってきた。
「こうなると、もう純粋なタバスコ風呂じゃなくなる。不純なタバスコ風呂じゃあ、タバスコ本来の刺激を味わえない。これまでの努力がパーだ。……とまあ、前置きがこれくらいでいいか。楽しみはその時に取っておかないとな」
そういい加減に締めくくると、美月が何やら感心したように、テーブルに両手を置いて身を少し乗り出した。
「三澄、すごい詳しいね。ユーチューバーとかの動画で見たの? それとも、三澄が実際にやってみたとか?」
「いや、やるわけないだろ」
「そうなんだ。ま、そうだよねー。タバスコ風呂って、タバスコ何リットル要るんだって話だもんね」
「そうだな」
「そうだなって……、うん? そういえば、なんでタバスコ風呂なんて話になったんだっけ?」
「タバスコ風呂健康法なんてのがあるって、美月が言い出したんだろ? 汗めっちゃかいてデトックス、みたいな」
「そう……え? 私、そんなこと…………、てそうだ! 言い出しっぺは三澄じゃんか! 私の注文タバスコ風呂に変えるとかなんとかっ」
「はあ? タバスコ風呂なんてメニューにあるわけないだろ。何言ってんだ?」
「だから三澄が言い出したんでしょ!」
憤慨する美月を見ていると、気持ちが落ち着いてくるのだから不思議である。
「……くすっ……ふふっ……」
不意に、傍からそんな声が聞こえてきた。見れば、律が腹を抱えて苦しそうに震えている。
「二人って、いつもこんなコントみたいなことやってるの?」
息も絶え絶え、目尻の涙を拭いながら、破顔した律が尋ねてくる。
「んふ、りっちゃんも混ざる?」
「嫌よ。私は見てるだけで充分」
「俺ももう疲れたから、これからは美月一人でやってくんね?」
「うえぇ⁉ コンビ解散⁉ 三澄ぃ、考え直してくれよぉ」
「大丈夫だ。お前はきっとピンでもやってける」
わざとらしい嘘泣きと共に、腕を掴んでくる美月を引き剥がす。いつまでもぶーぶー言っているが気にしない。
「んで、用ってもう終わり?」
「あ、ううん、も一個。て言うかこっちがむしろ本題かな」
急に真面目な顔になった美月が座りながらそう前置く。次いで、いつもの調子を取り戻した律が、
「三澄の家に居候する子、私に紹介してくれるって話だったじゃない? そこに美月も同席してもらっちゃダメ?」
「あー……」
一人も二人も変わらない。そう思いたいが……。
「確認取ってからでもいいか?」
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