第2話 手出し無用の子猫

 複雑な心境でテラスに続くガラス戸から外を眺める。アゼリア自身に「手出し無用」と言われたら、魔王イヴリースに出来ることはない。だが心配なので、いつでも防護用の結界が作動するよう小細工はした。緊急時以外作動しないよう、何度もゴエティア相手に調整した傑作だ。


「そんなに心配なら、子猫を飼えばいいではありませんか」


 呆れ口調のメフィストだが、イヴリースが妻に逆らえない状況を楽しんでもいた。傲岸不遜、誰に対しても態度が変わらなかった主君が、明らかに彼より弱い女性の一言に手足も出ないのだ。遠くから見守るだけしか許されない状況は、目新しく新鮮だった。


「嫌われたくない」


 子猫に、ではなく妻に。手出ししたら嫌いになると宣言された魔王は、窓に張り付くようにして外の様子を窺った。どうやら今日の決着は着いたようで、仲良くお茶菓子を頬張っている。アゼリアの手渡しだと? 羨ましい。ぎりりとガラスに爪を立てる主君に、メフィストはついに笑い出した。


「陛下、お茶ならご一緒すればいいでしょう」


「怖がるからダメだそうだ」


 今日だけ乗り切れば、次の襲撃まで彼女を独占できる。だから今日は我慢するべきだ。分かっていても、番が傷つけられる可能性や独占される状況は腹立たしかった。あの化け猫をひそかに処分しようと思ったこともあるが、妻の楽しみを奪うのも気が引ける。


 というのも、ある時期に子猫が狩りに失敗してケガをし、顔を出さなかったことがある。予定していた襲撃日に来なかったため、心配したアゼリアがゴエティア総動員で探した。見つけた子猫が洞窟で眠っている姿を見て、呼び出されたイヴリースは治癒を施す羽目に陥ったのだ。


 魔王を呼び出し、化け猫の子供を治す。アゼリア以外が口にしたら、消し炭案件だった。大切な番のお気に入りとあれば、イヴリースも手は出せない。もしこの子猫を殺してしまえば、恨まれるだろう。予想がつくから我慢できた。


 アゼリアに無視され、名も呼ばれず、嫌いと宣言されたら……想像だけで苦しくなる。そんな思いをするくらいなら、今日一日我慢する――どうせあと数時間で帰るのだ。ぎりぎりと爪を食い込ませながら唸る魔王を横目に、メフィストはガラス戸の交換手配を始めた。


 前回は何が襲撃したのかと思うほどガラス戸が破損した。1枚も残っていないガラスは粉々に砕け、そのまま再利用に回せるほど細かい。枠は爪による傷と数か所の歯形も発見された。魔王の威厳を保つために焼却処分する。側近も意外と大変だった。


「ほら、書類を片付けないと夕食に間に合いませんよ」


 一緒に夕食を食べるのでしょう? 魔王の意識を逸らそうと提案するものの、数秒後にはガラス戸に戻る主君に溜め息を吐いて、書類を箱に片付けた。最重要の書類を午前中の処理に回したのは正解でしたね。メフィストは聞こえていないだろうと思いながらも「失礼します」と一声かけて執務室を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る