第3話 守る存在を得た飼い猫

 ユーリアを最初に見つけたのは、庭の奥にある東屋だった。散歩の途中で休もうとしたアゼリアを見るなり、毛を逆立てて唸ったのだ。10歳前後の子供くらいの大きさの猫、豹や虎と比べたら小柄だ。丸くなって休んでいる猫は二本足で立ち上がると、爪を出して襲ってきた。


 あとでわかった話だが、天敵の蛇から逃げて迷い込み怯えていたらしい。本人は蛇を見逃してやったと豪語していたが、状況は明らかに逆だった。反射的に剣でユーリアを叩きのめしたアゼリアは、餌付けを始める。数日に一度顔を見せる子猫の襲撃を防ぎ、手懐け、庭で過ごす時間が増えた。


 しゃがんで餌をやり、立ち上がろうとしたアゼリアがよろめく。貧血に似た症状だが、護衛のバールが動くより早く、イヴリースが支えた。転移で部屋を飛び出した彼は、大切な番を抱きかかえる。ユーリアを放置して中に入ろうとしたが、子猫は心配そうについてきた。


 アゼリアが気にかけていることもあり、追い出すのも難しい。一番近い応接間の長椅子に横たえたアゼリアに、子猫は近づいて腹に手を当てた。


「赤ちゃんがいるね」


 確証を滲ませて話す内容に、アゼリアは「やっぱり」と呟いた。体調不良から、何となく察していたらしい。もう少し確証が得られてから医者に相談する予定だったが、ユーリアは本能で察していた。お腹の中に子供が宿っており、貧血はそのせいだろう。


「っ! アゼリア、子供……が?」


「たぶんね。発表はもう少し後にしてね。安定してからよ」


 感動のあまり言葉が出なくなって抱き着いたイヴリースの黒髪を撫でながら、アゼリアは穏やかな表情で微笑んだ。その表情は、妻より母に近い。慈しむ柔らかい表情に、ユーリアが目を見開いた。


「ユーリアもありがとう。いいお姉さんになりそうね」


「お姉ちゃん? 私が?」


「そうよ。この子をあなたに守って欲しいの」


 キョトンとした顔で見上げた後、ユーリアは真っ赤な顔で頷く。その日から、ユーリアは与えられた屋敷の部屋に住み着いた。バールに剣技を習い、侍女に礼儀作法を学びながら、やがて生まれてくる子供を待つ。自分が守るべき存在を得て、ユーリアはやっと安住の地を定めた。





 数ヵ月後、実兄の結婚式に参加して戻ったアゼリアは、膨らんだ腹を撫でながらユーリアとお茶を飲んでいた。のんびりした雰囲気の中、ふと思い出して尋ねる。


「そういえば、どうしてフルネームを呼んで攻撃してたの?」


 アゼリアだけでいいじゃない。長くて噛みそうな名前を、ユーリアが叫ぶのを不思議に思っていたのだ。それはメフィストやイヴリースも同様で、屋敷の警護に当たるゴエティアからも疑問の声が上がっていた。


「わからなかったの」


「なにが?」


「どこまでが名前で、どこからが家名なのか」


 目を見開く。つまりどこで切ればいいか分からないから、聞いて覚えたフルネームを叫んでいたらしい。思わぬ話に、護衛についたアモンが噴き出した。彼女が広めたため、翌日にはゴエティアの全員がこの話を知ることになり……ユーリアを見るたび寄ってきて、頭を撫でるようになったとか。


 もうすぐ愛する人の子供が生まれる――その幸せを噛みしめて、アゼリアは懐いた子猫にお菓子を手渡した。

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