第175話 あら、意外と悪くないわ

 用意されたお茶を前に、目のやり場に困ったのはへーファーマイアー家の兄妹だけだった。男女ともに強いが女性はさらに強いアンヌンツィアータのヴィルヘルミーナは穏やかな笑顔を浮かべ、王妃ブリュンヒルデは足を組んで顎を逸らす。


 メフィストは本心の見えぬ穏やかな表情で、王妃と腕を組んだまま……足元でひれ伏して許しを乞うルベウス国王から視線を逸らしていた。見ないふりというやつだ。ちなみに、魔王イヴリースはアゼリア以外目に入らないので、この騒動に加わる様子はない。


「王妃、我が愛しのブリュンヒルデ。許して、くれ……そなたの心臓が止まったと言われ、事実、体が冷たかったのだ。だから」


「私が嫌いな高い塔に捨てたのですね」


「違うぞ、あれはもがりのための塔で……生きていると知っておれば、あのようなっ。信じてくれ、戻ってきて欲しい、ブリュンヒルデ。そなたが生きているだけで、どれほど嬉しいか」


「口先ではなんとでも言えますわ」


「どうしたら信じてくれるのだ? なんでも揃えよう、なんでもしよう」


「なんでも?」


「ああ。この手の及ぶ限り、なんでもだ」


「では王妃をやめます」


「それはっ……」


 ああ、ノアール国王が捨てられた――そう思ったのは当事者以外の全員だった。いや、国王本人もそう思ったのだろう。


「ブリュンヒルデ、愛している。そなたなしでは生きていけぬぞ」


「でも私が死んだと思っても、平然と暮らしておいででしたわ。見舞いもなく、外交までなさってたのでしょう?」


 嫌味ですらない。淡々と切り刻む言葉は事実だった。項垂れたノアールはしくしく泣き続ける。何を言っても王妃の心には届かない、いっそ死んでしまいたい。身を投げ出して絨毯の上で泣く国王に、誰も紅茶に手を伸ばせなかった。


 空気を読まないイヴリースは、膝の上にアゼリアを座らせようと手を伸ばし、甲をぱちんと叩かれる。しぃ……と口に人差し指を当てて静かにするよう示され、アゼリアは兄にぺろっと舌を出した。


「ああ、もう! いい加減になさいませ。それでもルベウス国王ですか?!」


 怒鳴って立ち上がったブリュンヒルデは、隣に座らせたメフィストを放り出して床に座った。国王ノアールと同じ目線で、絨毯の上にぺたんと尻を落とす。胸元からハンカチを取り出し、鼻水や涙でぐしゃぐしゃのノアールの顔を乱暴に拭いた。


「いっそカサンドラ様が王位を継がれればよかったのです! あなたは王の器ではないのですから」


 あ、言っちゃった。侍女も含め、部屋にいるほぼ全員が同じ感想を抱く。ぐさりと刺さる真実を突きつけられて、ノアールはずずっと鼻を啜った。


「ごめん、僕……」


 すっかり叱られた子供である。この国王をあやし、転がし、国を引っ張ってきたブリュンヒルデの手腕は有能の一言に尽きた。


「ノアールがアウグスト殿に嫁いで、カサンドラ様が私を娶る――あら、意外と悪くないわ」


 思いついたように呟くブリュンヒルデに、青ざめた全員が首を横に振った。

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