第141話 誤解も勘違いも大盤振る舞い
蟻のように甘い餌があると集まってくる。敵を排除するために必要な撒き餌だった。
王弟クリストフ、ベリル国の重鎮であり旗頭である将軍を討ち取れば、勝利は目前だ。敵がそう考えるのは、向こうの自由だった。
「では、討って出るか」
今回のベリル国の総大将は別にいる。城に残った国王ではなく、囮になった王弟でもなかった。まだ幼いと表現できる少年は、兄の促しに頷く。
「将軍、よろしくお願いします」
「承知。今日の総大将は閣下です。配下の将軍に敬語を使ってはなりません」
同じ王弟であっても、作戦を立てた総大将は末っ子王子だ。たまには現場で剣を振るわねば錆びる。ぼやいたクリストフは、束役と囮を買って出た。
ここでクリストフが南西の敵に相対して戦い、後ろに迫る南東の敵に気付かないフリをしたら? 敵はどう踊るのか。メフィストですら感心する策を、末っ子は着々と整えた。
「……なんだかお兄様みたいな作戦ね」
「メフィスト、本当に絡んでないのか? えげつないぞ」
兄王や己の腹心の関与を疑う魔王と婚約者に、美貌の宰相は釘をさした。
「陛下、姫。ここはベリル国ですよ」
自国ではないのだから、自重しろ。短くも厳しい一言に、顔を見合わせた2人は口を噤んだ。
最初に狼煙をあげた南西の敵は鐘を鳴らして盛大に騒いだが、南東から忍び寄る敵は見過ごした。それが罠と知らず、彼らはほくそ笑んでいる頃か。
人というのは己の策が思い通りに進んでいると感じれば、それ以外の部分への注意力が散漫になる。斥候が別働隊の存在に気づいたとしても、その報告は「あり得ない」と握り潰されるだろう。現場でも、率いる将軍や王族がいても、彼らは己の常識で動く。敵がいれば注意喚起し、攻撃してくると思い込んでいた。
誘き寄せて砂糖に群がろうとした蟻を踏み潰す未来を、彼らは見落とした。参謀や一部の軍人は気づいて進言したかもしれない。しかし耳を傾ける上層部なら、ベリル国へ攻め込む愚は犯さないのだ。欲で曇った目に真実は映らず、傲慢に溺れる耳に忠告は響かなかった。
「出陣する」
将軍であることを示すマントを翻し、クリストフがテントを出た。羨ましそうに見送るアゼリアだが、我が侭は飲み込んだ。ここは他国の戦場であり、姫である立場を考えれば返り血を浴びる場に立つことは許されない。
「櫓の高さから見ることは可能だぞ」
魅力的な妥協案を出したイヴリースに、しかしアゼリアは首を横に振った。見れば戦いたくなる。ちらりと視線を寄越したメフィストに瞬きで頷いた。アゼリアがこの場に留まれば、イヴリースは隣を離れない。それが狙いだった。
もし魔王がベリル国の戦に出て、圧倒的な火力で敵を潰せば……新たな戦の火種を生む。魔王がいなければ恐るるに足らず、そう広めてしまう。ベリル国の実力を勘違いした国が、疲弊した自国を立て直すために戦を仕掛けるだろう。撥ね除けるは容易だが、何度も戦を起こされるのは本意ではなかった。
陛下をしっかり見張ってください。目で語るメフィストに、アゼリアはしっかり頷いた。その姿に気づいたイヴリースは眉を寄せて、徐々に機嫌を下降させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます