第109話 毛並みを整える時間もありませんわ
ルベウス国は深い森の中に存在する獣人系中心の国家だ。魔国と違い、都自体が森に埋まった古代遺跡のような様相を呈している。リスや兎の小型獣人から、大型の肉食獣人まで。その種類は豊富で、耳や尻尾、羽などの特徴を残した姿で生活していた。
動物好きな者が訪れたら、この地はまさに楽園そのものだろう。完全に獣の姿を取れる者は少なく、人間に動物の特徴の出た者が主流だ。完全に人間の形をとるには魔法の習得が必須で、街を歩くと憧れの的だった。魔法が使えるということは、優秀さの証なのだ。
「本当に?! 人間に嫁ぐのですか?」
「ああ。そなたは王太子妃候補でもあり優秀だ。魔法で人間のフリも出来るし、容姿端麗、礼儀作法も完璧だと評判も良い。国のためにぜひ頼みたい」
嫌ならば無理にとは言わない。別のご令嬢を探すだけだが……厳選に厳選を重ねたため、もし断られたら次を探すのは相当大変だろう。褒めながら彼女の様子を窺う国王の笑顔は、必死さが滲んでいた。
「お相手は……王姉であられたカサンドラ様のご子息ですよね」
大前提を確認する。ヴィルヘルミーナは18歳の誕生日を迎えたばかりだ。突然見も知らぬ種族が違う男に嫁げと言われても、不安しかないだろう。年若い令嬢に酷な願いだと思いながら、国王は頭を下げた。
「頼む。そなた以外に適任がいないのだ」
少し黙って国王のつむじを眺めた公爵令嬢は、ゆったりとカーテシーで頭を下げた。長く白い兎の耳が揺れる。朝突然、父に連れられて訪れた王宮――間違いなく両親はこの話を知っていたのだろう。ならば彼女が口にする言葉は決まっていた。
「承知いたしました。お相手様にお気に召していただけるよう、努めてまいります」
「見合いのため、そなたは宮廷魔術師により転移でクリスタ国へ向かう。手筈は整えたゆえ、明日の出立までゆるりと休め」
「はい……え? 明日!?」
淑女の仮面を脱ぎ捨て、甲高い声で問うたヴィルヘルミーナの素の表情に……申し訳なさそうに国王はもう一度頭を下げた。
「すまぬ。言わねばと思っている間に期日が迫って」
「大叔父様、いい加減になさって。そんな急では、毛並みを整える時間もありませんわ」
つまり、いつも執務室に積んでおられる書類と同じく、期限ぎりぎりまで悩んで放置なさったのね。
祖母が王女だった公爵令嬢は、大げさに嘆いた。獣人の「毛並みを整える時間がない」は、人間の「準備の時間が足りない」と同意語だ。種族が異なれば、言い回しも異なる。幸い人間と魔族の言葉は履修しているから問題はなかった。王太子妃教育が役立ったとヴィルヘルミーナは安堵の息をつく。
「わかりましたわ。明日の何時ですの?」
「早朝だ」
「……っ、なにを平然と! 大叔父様の馬鹿! もう嫌い!!」
憤慨して出ていく淑女の足取りは荒い。呼び止める勇気もなく見送った国王は、姉と同じ狐の耳をぺたりと横たえ、ふさふさの尻尾を足の間に巻き込んだ。
「……もう、嫌い……か」
子供の言葉だが、だからこそ傷つくこともある。それだけ申し訳ないことをしている自覚があるから、次に会う時は誠心誠意謝ろうと心に決め、肩を落としたまま執務室へ向かった。大量に待ち構える書類の処理と、鬼のように唸る宰相や執務官に叱られるために……。
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