第107話 甘やかした父親の決断

 駆け寄った父は一回り小さく見えた。他国から祖国を守った稀代の英雄――背は低くとも、闘気を纏った父は誰より大きく強かったのに。その姿に憧れて騎士を目指した。幼かった頃の気持ちが蘇る。私はなりたかった。


 息を切らせたブルーノに、ヘルマン男爵ロルフは穏やかな顔を向ける。その表情に息子は気づかされた。


 ああ、この人の中で私はもう……他人同然なのだ。


「父、上」


「今日は休暇だと聞いた。ともに街に出ないか? なかなか時間が取れなかったからな」


 他国の侵略から国を守った英雄を父に持ち、優秀な兄を見ながら育った次男は甘えることが下手だ。出来るだけ一緒にいる時間を作ってきたつもりだった。しかし、昨今の息子の言動や評判を伝え聞くに……英雄と呼ばれても子育ては失敗したのだろう。


「はい」


 緊張した面持ちの息子を連れ出し、祭りの中でも門を守るブルーノの同僚に丁寧に挨拶をした。恐縮しきりの青年に背を向けた父は、さきほど俺を迎えた時と同じ笑みを浮かべている。昔からそうだった。父が厳しくするのは愛情の裏返し……ならば、今の表情は他人へ向けるものだ。


 屋台を数件回って食べ物や酒を両手に抱え、ひょこひょこと人波を抜ける父の背中を見つめた。何を思って私を誘ったのか。見捨てられていないのだとしたら、謝れば許される? そんな期待を打ち砕くために来てくれたのかも知れない。


 気づけば裏の路地を抜けた石畳の広場にいた。表の騒動はかすかに届くものの、人の気配がほとんど感じられない。この賑やかな街に、こんな場所があったなんて。街を巡回する騎士でも気づけないだろう。ぐるりと見まわす周囲は建物に覆われていた。まるで貴族家の中庭だ。


 ブルーノは緊張した面持ちで、父からの断罪を待った。それが最後の……別れの言葉になるなら真摯に受け止めようと、覚悟を決める。ぐっと握り締めた拳を震わせ、熱くなる目を見開いて……。


「ブルーノ、わしは子育てを間違えた」


 ああ、やはり出来の悪い次男は見捨てられた。親子の縁を切ると言うのだろうか。最後まで父の顔を見て、父の声を遮らずに聞こう。それがどんなに辛いことであっても、エルザに惑わされて大義を見失い、その彼女すら放り出した私に相応しい罰だ。


「だからの……わしと来ぬか? 家督は譲った隠居だ。贅沢はできんし、英雄ではない。剣を捨て、鍬を手に大地を耕してみんか?」


 思いがけない誘いだった。剣で男爵位をもらった父が、英雄ヘルマン男爵が、愚息のために鍬を振るう決断をしたのか。伸ばされた手に残る胼胝は剣によるもので、鍬なんて持ったこともないだろ。


 堪えきれなかった涙が頬を伝う。みっともなく声が震え、鼻が詰まって垂れた。幼子のようなみっともない顔を、目尻を垂らして父は見守る。ああ、この笑みは見捨てたんじゃない。強くあることをやめた証だった。


「もう少し頑張る。償いが終わるまで、父上は見守ってくれないか。私が挫けないよう……俺が投げ出さないように」


 もう、私などと自称しない。近衛騎士じゃなく、外壁を守る砦の一兵士だ。気取ったってしょうがない。父を養うくらい十分すぎるほど貰っているから。伸ばされたままのゴツゴツした手を、しっかり握り返した。

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