第104話 主のおらぬ間の片付け

 魔王イヴリースを見送り、宰相メフィストは眼鏡を外して胸ポケットに入れる。赤い瞳が暗く光を弾いた。


「さて、陛下はお忘れでしょうが……牢内の管理は私の職分ですから」


 バラムを休ませるバールに預けた死体と抜け殻のうち、出来るなら抜け殻は使いたい。契約で渡してしまったが、とり返す算段はついていた。ただ少し時間がかかる。ならば、エリゴスへの処断は後回しですね。


 うっそりと笑ったメフィストは、地下牢へ続く階段を下りる。転移を使わず、靴音を響かせながら、囚人へ聞かせるための恐怖の音色を奏でた。


 手前の牢に入れた人間達を眺める。奥で怯え震える人間は、すでに何度か引き裂いた。人間は脆いがよい声で囀る小鳥だ。扱いさえ気をつければ、少し長く楽しむことも出来た。魔族と違って心が折れやすいから、こちらも力加減が得意になる。


「ひっ……」


 一番奥に体を押し込んだ青年を手招く。首を横に振って抵抗するのは、ユーグレース国の王太子だった若者だ。あのアゼリア姫の婚約者になった過去がある限り、イヴリースは最期の一息まで苦しめることを選ぶだろう。主君のために残すべきか。あまり苦痛を与えすぎると、糸が切れた人形さながら反応がなくなる。


 過去の失敗例を思い浮かべ、仕方なく別の男を選んだ。牢の外へ出るよう促せば、目を輝かせる。ああ、なんて愚劣で下賤な存在か。助かると思うなんて。元は絹の豪華な衣装だったボロを纏い、素足で走り抜けた。それを見送り、別の者を選んで出す。元王太子ヨーゼフと2人ほどを残して牢の扉を閉めた。


 先ほど手招きを拒否したくせに、出せと騒ぐヨーゼフを放置し、耳を澄ます。遠くで聞こえた悲鳴に、ヨーゼフが怯えた顔で後ずさった。壁際まで戻ると端に寄って耳を覆って蹲る。心地よい悲鳴と苦痛の声は細くなり、途切れがちになった。


「他の牢も整理しなくてはいけませんね」


 メフィストは聞こえよがしに呟き、靴音を響かせて廊下を進んだ。階段側を幻術で塞いだため、奥へ逃げた人間の後を追う。床に赤黒い染みが現れ、ぴちゃんと水音が響いた。千切れた手足と首、切り刻まれて元の部位が分からなくなった何かが大量に転がっている。


「片付けも手配しなくては」


 面倒ですね。そう言いながらも、メフィストの口元は弧を描く。魔王城の地下牢に囚われるのは、使い道があり生かされた者、または殺すと不都合がある者が主だ。イヴリースは冷淡だが残忍ではない。本性は別として、普段は温厚に振る舞うタイプだった。


 他人に興味がないから、誰に対しても冷たく公平でいられた。そんな彼が生かして牢内に入れたのは、一度で死なせて楽にする気がない者ばかり。姫には到底見せられない光景だった。


「戻られる前に陛下の闇を拭うのも、側近の役目です」


 くすくすと笑うメフィストの背後に、おこぼれを期待したゴエティアが集まり始める。


「牢内の掃除をしますよ」


 待ち望んだ許しを得て、彼と彼女らは活気づく。歓声が上がった牢内は鉄錆た臭いに包まれた。その粛清は、恩赦を与えぬための手段でもある。増えすぎた牢の住人を半分以下まで減らし、メフィストは満足げに頷いた。

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