第98話 歪んだ視点は絡まない
時間が逆転する牢内は、空間が切り取られていた。数十倍の速さで巻き戻される時間は、隔離した牢内に関与した。それは牢そのものを含め、中にいた全員が対象だ。
エルザはただの人間で、魔力量も少ない。彼女が依代に選ばれたのは、年齢や生まれ日など複数の共通点だった。エルザとアゼリアの婚約破棄騒動は関係ない。条件が重なる人間の女を探したアベルの探索に、奴隷となり売られたエルザが偶然引っかかった。運が悪かったのだろう。
他者を貶め操って金を巻き上げたエルザは、罪以上の報いを受けた。アゼリアの下だけに展開した、逆巻の魔法陣――人間であり獣人である彼女を守る。隣に寝かされたエルザは、アゼリアから得た魔力や気配、容姿もすべて奪われた。そこまでは元通り、さらに逆回りした時間はエルザの中身に作用する。
愚かな娘は徐々に心が若返り、赤子になり、生まれる前まで遡った。この時点で魂は存在せず、世界にとって
左からエルザ、アゼリア、魔王イヴリース、アベルと並んだ彼らの配置は、バラムの計算に従った形だ。右端のアベルから、作用を受けた者が左へ並べられた。逆流させる時間軸に合わせた並びは、バラムの魔力による干渉を容易にする。
「……バール」
怠い腕で髪をかき上げ、バラムが眠そうな声を上げる。
「なに?」
「そっちと、こっちの……取っておいて」
「分かってるわ。もう少し休んで」
手を触れて安心させ、バラムが眠るのを待つ。使い込んだ負債分の魔力は、まだ足りていなかった。繋いだ手からバラムへ魔力を流しながら、アベルの抜け殻を見つめる。
敬愛する魔王イヴリースと血の繋がる兄――メフィストに切り刻まれ、手足や鼻を落とした彼にかつての面影はない。醜い肉塊となった彼は、魔王イヴリースとの繋がりを絶たれた器だ。本来はとっくに消滅するはずの魂を繋いだのは、魔王イヴリースの魔力だった。
魔王となる弟を羨み妬み、その力を己に取り込もうとした妄執の果て。哀れに思う気は欠片もなかった。呼吸する器の中は、もうなにも残っていない。これは息をする殻なのだから。
視線を繋いだ手に戻し、辿って兄バラムの寝顔に移した。もし……兄がアベルと同じことをしたら、私はどうするかしら。魔王のように繋いで残す? それとも殺して断ち切る。どちらも選べるけれど、選びたくない。バールは口元を緩めて呟いた。
「その時は、兄と生きるのも悪くないわ」
抵抗せずに吸収され、そのまま一緒に生きていく。一つになれば悩みも気持ちも隠さなくて済むし、案外幸せかも知れないわね。逆に兄を取り込もうとは思わなかった。でも……いいえ、考えてはいけないの。
魔王軍きっての豪傑と名高い女将軍バールは、その渾名に似合いの考えを飲み込む。これは口にしてはいけないのだから。
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