第97話 ここは牢内ですよ

 意識を失ったイヴリースがぐらりと揺らぎ、アゼリアは迷いなく彼を引き寄せた。繋いだ手をそのまま引いて、倒れ込んだ彼の頭を胸に抱く。目を閉じた表情はどこか苦しそうで、アゼリアは額にキスを落とした。


 今、意識を手離した彼は夢を見ているのだろうか。どうせなら私の夢を見ればいいのに。穏やかな表情の裏で、独占欲に塗れた感情が昂る。


「……終わったぁ」


「ちょ、バラム!?」


 がくりと崩れたバラムをバールが慌てて支える。咄嗟なので姿勢も悪く、受け止めきれずに膝をついて座ったバールが苦笑いした。


「もう、いつも無茶ばっかり。……ありがとう」


 気難しく人の話を聞かない。そう評される兄が自分に甘いのを知っている。だから無理なお願いばかりして、でもバラムは叶えてくれた。ひっくり返った時に足を捻ったが、楽な姿勢を取って兄を膝枕する。


「……男の人って頑張り屋さんね」


 魔王が意識を奪われるほどの呪術を前に、アゼリアは柔らかな物言いで微笑む。向かい合って、互いに大切な存在を抱き寄せた女性2人は、くすくすと笑い出した。


「こんな場所と格好で失礼しますわ。私、魔王軍で将軍職を務めるバールと申します」


「クリスタ国のアゼリアですわ」


 魔王城の地下牢で、奇妙な挨拶だった。名乗って気持ちが解れたのか、アゼリアは琥珀色の瞳を伏せる。解呪が終わったことに加え、術師が眠ったため、牢内の魔法陣が消えていく。くるくる回る魔法陣がひとつ、またひとつと姿を消すたびに、肌寒さが戻ってきた。


 立ち込めた魔力が拡散し始め、高揚感も比例して薄れる。


「ん……っ」


 アゼリアが頬を染めて甘い声をあげる。抱き抱えたイヴリースの黒髪をぐしゃりと乱して、ぺちっと頬を軽く叩いた。


「何してるの、イヴリース」


「愛しいアゼリアの匂いを堪能していた」


 胸元に顔を埋める形だったイヴリースは、悪びれもせず答える。堪能したのは「匂いじゃなくて味」のくせに。デコルテに舌を這わせた魔王を睨むお姫様に、バールが口元を手で覆った。


 やだ、可愛い。陛下にあんな一面があったなんて――ぜひ皆に知らせたい。でも言いふらしたら殺されそう。


「……戯れるのは構いませんが牢内ですよ、陛下」


 牢の外から声がかかり、アゼリアとバールがびくりと肩を揺らした。忘れられていたが、廊下にはメフィストがいる。むっとした顔で「邪魔をするな」と返したイヴリースが、仕方なく身を起こした。牢の鍵が開けられ、消えかけの魔法陣を興味深そうにメフィストが眺める。


「ひとまず応接室へ移動してください。この場は、片付けさせます」


「そうだな」


 相槌を打ったイヴリースは、アゼリアに見せないよう彼女を抱きしめて転移する。執務室の隣にある応接用の客間に移動したのだろう。一礼して見送ったメフィストは、残されたモノを見て少し考え込む。


「誰が適任でしょうか」


「バラムが欲しがりそうだから、私が運ぶわ」


 バールが自ら名乗り出る。彼らの視線が示す先には、死体と抜け殻が1体ずつ転がっていた。

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