第62話 ゴエティアの大捕物

 首筋に噛みつかれた姫のヴェールがはらりと舞い、絨毯の上に落ちる。足首まで埋まる柔らかな絨毯は、一瞬で硬い石床に変わった。豪華な調度品は消え、地味なテーブルセットとベッドのみが残る。様々な幻影を仕掛けた牢は、本来の姿を取り戻した。


 どんなに表面を飾ったところで、所詮はハリボテだ。勘違いさせる量の魔力が込められた幻影は、姫のヴェールが解除の鍵になっていた。床に落ちた時点で、効力は失せる。


 ぽたりと血が垂れる。ヴェールを外した姫は、短剣の柄から手を離した。肩を濡らす血に顔を顰めて、赤く汚れた手を乱暴にワンピースの裾で拭く。その所作は、お世辞にも「姫」と呼ばれる女性ではない。


 姫のヴェールは、開戦の合図だった。飛び込んだ数人のゴエティアは「あ〜あ」と声を漏らす。ぽたりと垂れた血を追い、姫を人質にした男が倒れ込んだ。姫役を務めた女将軍は、足元の死体を蹴飛ばす。


「まったく気分悪いわ。息が臭いのよ」


 襲撃者を貶しながら、毛先を摘んで臭いに顔をしかめた。血臭に混じり、男の唾液がついたのだろう。生臭い獣の臭いが混じった。自慢の髪を汚されたことに、女将軍の機嫌は急降下する。


「くそっ! 罠か!」


 隠れていた男達が叫び逃げ出すものの、アモンが指揮する部隊が押さえた。出口へ向かって走る影を、グレモリーが剣で貫く。次々と捕獲される襲撃者の数は、軽く両手に余った。


「これほど簡単に、罠に掛かると思いませんでしたね」


 笑顔で嫌味を口にしたメフィストは、隣に立つへ武器を手渡す。魔王軍の中でもイヴリースに心酔した上位者で形成されるゴエティアは、それぞれに紋章を持つ。その紋章がひとつ刻まれた剣をすらりと抜き、先ほどまで青年はうっそりと笑った。


 壁の間を縫うようにして影に突き立てた剣に手応えが返る。ずるりと引き抜いた剣は、敵の腹を裂いた。溢れる内臓を押さえる手が現れ、襲撃のチャンスを狙っていた者が倒れ込む。イヴリースの姿は薄れ、彼は姿で溜め息をついた。


「簡単すぎる」


 獲物に手応えがなさすぎた。この程度の襲撃者相手に、ゴエティアの半数が出動するのは多すぎた。仕掛けのわりに小物ばかり吊り上げたかも知れない。


「姫なんて退屈な役はもうゴメンだわ」


 懲り懲りだとぼやいたのは、ドレスに見えるよう幻影を纏ったワンピース姿のバールだった。ヴェールに隠すため結った髪を解いて、手櫛で癖を直す。それから手早く高い位置でひとつに結んだ。


 晒された首に傷はなく、肩にかかった敵の返り血を乱暴に拭う。女将軍の無事は誰も疑わなかったため、それぞれに捕らえた獲物を手に集まってきた彼らの表情は明るい。


「黒幕に手が届くといいが」


 肩を竦めるマルバスは、2人をまとめて縛り上げた縄の端を握る。グレモリーは死体になった獲物を引きずり、己の紋章が入った剣から血を拭って鞘に収めた。


「イヴリース様のにしては、ミスが多いんじゃないかしら」


 同僚に文句を言うと、幻覚でイヴリースを演じた青年は舌打ちした。


「仕方ないだろ、久しぶりだったんだから」


「それでは困りますよ、ダンタリオン」


 メフィストに叱られ、拗ねた顔で唇を尖らせるのは、魔王と似ても似つかない青年だった。黒髪は青みがかっており、瞳は赤ではなく青だ。外見を偽る幻覚を得意とする魔族だった。


「陛下は、番様のことを「」とは呼称しません。「番」と言うでしょうね」


 メフィストの指摘に、「ああ、そこは完全に地が出てた」とダンタリオンは項垂れる。魔王イヴリース役をダンタリオンが、アゼリア姫役を女将軍バールが演じたお芝居は、これで閉幕だった。


「では敵の拷問といきましょうか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る