第61話 我が番に触れるなど許さぬ

 早朝から地下牢へ向かう。今日はイベントが起きるのだから、見逃すのは惜しいとメフィストの足取りは浮かれて軽かった。牢の入口は普段通り閉ざされており、魔法陣を作動させて中に入る。階段の内側にはゴエティアの悪魔と呼ばれる魔王軍の重鎮が控えていた。それぞれに気配を薄くし、物陰や空き牢に入り込む。


 息をひそめる彼らの気配を僅かに感じながら、メフィストは階段下まで歩いた。姫君の部屋はとざされ、まだお目覚めではないと示している。


 アモンとマルバスは魔王軍の指揮のため離れており、この場にいたのはグレモリー1人だった。手にした書物を読みながら、昨夜から牢番をしていたのだろう。暗い地下でも気にした様子はない。気づいて顔をあげた彼女に手を上げて、挨拶の省略を許可した。


 まだ姫君が眠っているなら、牢の前で声を上げたら気づいてしまうだろう。気遣ったメフィストの前に、が現れる。魔法陣を使ったのか、階段を省略して部屋の前に現れた主君に緩やかに一礼した。


「陛下、まだ姫はお休みのご様子」


「ふむ。構わぬ」


 さっさと牢の中へ入っていく後ろ姿を見送り、グレモリーは口元を緩めた。


「溺愛と寵愛が激しいと御伺いしておりましたが……これほどとは存じませんでしたわ」


「ようやく出会えた姫君ですから。仕事の面では私が動けば何とかなります」


 ひそひそと小声で話す彼らだが、その意識は一点に据えられていた。視線すら向けず、注意をすべてその場所に注ぐ2人がさっと一歩ずつ下がる。開いた空間に槍が突き刺さった。上や横から仕掛けられたのではなく、足元の石畳から生えたのだ。


 第二形態のメフィストの肌を灰色の硬質な毛が覆う。続いた槍を腕で弾き、中途半端に大きくなった山羊の角を掠めた。縦に割れた赤黒い獣の瞳孔が収縮し、敵を捉える。


「陛下っ!」


 中に呼び掛けて注意を促すメフィストの前で、グレモリーが第二形態に移行した。人の耳の上に牛の角が現れ、頭部を守るように内側へカーブする。艶めかしい曲線を描く肢体を軍服に押し込んだ彼女は、第三形態に行かずに変化を止めた。


「メフィスト、襲撃だ……っ、姫!」


 魔王イヴリースの焦った声と同時に、部屋を隠していた壁の魔法陣が解除される。敵の振るった刃が掠めた魔法陣は破壊され、牢の檻すらかすんだ。無礼を承知で飛び込むメフィストの前に、人質を取られた魔王が立ち竦んでいる。


番に触れるとは……許さぬぞ」


 低い声で威嚇するイヴリースに見せつけるように、狼頭の賊は姫のヴェールに手を掛けた。顔を隠すヴェールを守ろうと必死に抵抗する姫の首筋に、唸った狼の牙が突き立てられる――。


 甲高い悲鳴と怒号が地下牢を震わせた。

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