第37話 あけすけなお茶会に赤面

 穏やかな風が吹く晴れの日、心地よい大木の木陰に整えられたベンチに母娘は並んで腰かけた。用意された机には、お茶が入った大きなポットと見た目が地味な菓子が並ぶ。


「それで、どうなの? キスはしたのかしら」


 さすがに同衾は早いと思うけど。そんな母カサンドラのあけすけな質問に、アゼリアは首や耳まで真っ赤に染めて俯いた。その姿に娘が初心に育った理由に思い至り、一瞬視線が遠くへ投げられる。ああ、遠くに白い鳥が飛んでいるわね。現実逃避するほど、ヘーファーマイアー公爵家の男性2人はアゼリアを甘やかした。


 溺愛という言葉がこれほど似合う環境もないだろう。それゆえに、アゼリアは愛されることに慣れている。嫌われるより好意を向けられる機会が多いのは、若く美しい女性というだけではなかった。愛されて育った者特有の奔放さが、他者を惹きつけるのだ。


 無邪気とも少し違う。品よく振舞うことも出来るのに、ふとした瞬間に「否定されずに育った者」がもつ傲慢なほど残酷な表情が浮かぶ。それが人を惹きつけて止まない部分だった。羨ましいと思いながらも、逆らえずに従ってしまう。一種のカリスマ性に似た雰囲気が、アゼリアの一番の魅力だった。


 まさか魔王陛下まで魅了するとは思わなかったけれど……。


「キス、なんて」


 照れて両手で頬を覆う娘アゼリアに、母カサンドラは淡々と言い聞かせた。昨日の魔王イヴリースの溺愛を見る限り、浮気の心配はない。今一番心配すべきは、娘の貞操だった。年上すぎる男にいいように言いくるめられ、合意のような形で関係を結んでしまったら……今後が思いやられる。


「いい? 男は焦らして、逃げて、どこまでも追わせないとダメ。唇も身体も簡単に許してはいけません。まず貞操は結婚まで守り抜くこと。そうでなくては、獣人や人間だからふしだらなのだと陰口を叩かれますよ」


 真剣に話を聞くアゼリアは大きく頷いた。昼間のお茶会に相応しく流した髪がさらりと揺れる。正装の際は結うことが多い髪だが、私的な集まりや昼間のお茶会は解いている方が相応しいとされる。魔国でも通用する作法なので、しっかり彼女に叩き込んだ。


 獣国ルベウス王家の王女であったカサンドラは、弟が無能ならルベウスの女王陛下だった。今のヘーファーマイアー公爵家は、その時点で存在しなかっただろう。幸いにして弟が王になれる器だったため、カサンドラは公爵家に嫁ぐことができたのだ。


 強大な魔国が広大な領地を誇ろうと、ルベウスとて獣人の頂点に立つ王家である。その娘が笑われる事態は何としても避けなければならなかった。ユーグレースの王太子妃となるべく教育を受けたアゼリアは、作法も国ごとの歴史や言語も履修している。足りないのは覚悟だけだった。


「魔王陛下に愛され続けることは大変でしょう。魔族は魔力量が大きければ美しい者が多い。あのお2人を見ればわかるでしょう? あなたは獣人とのハーフだから、100年は確実に若いままでいられる。そのあと急速に老いて死ぬでしょう。最期の一息まで愛してもらえるよう、キスはしばらくお預けです」


 陛下は残念がるでしょうが……アウグストは喜ぶでしょうね。くすくす笑う母に、娘は目を瞬かせた。

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