第36話 魔国の平和の秘密は宰相の手の内

 室内の家具や装飾品を苦もなく復元するメフィストは、最後に残った壁の前で足を止めた。ぐさっと刺さった剣は壁にめり込んで抜けない。昨日のアウグストの癇癪で、振り下ろした剣の到達点だった。外壁まで突き抜けた剣を抜かないと、復元魔法がかけられない。どうしたものかと眉を寄せた。


「太刀筋は素晴らしかった」


 命を狙われた本人は、けろりとしている。結界があるとはいえ、無防備に受けるのはやめていただきたい。口を酸っぱくして注意したメフィストは、溜め息をついた。馬耳東風、何度注意しても抜けてしまう主君は、見事な黒髪をぐしゃりとかき乱す。


 昨日散らかした会議室は、入室した際に復元魔法の基礎となる現状維持結界を張った。嫌な予感がしたメフィストの進言だが、今となっては大正解だ。アゼリアの母カサンドラに、満面の笑みで「お片付け、お願いしますわね」と言いつけられたイヴリースは、そのまま部下に丸投げした。


「さすがはメフィストだ。あとは壁だけだな」


 その通りだが、何もしなかったイヴリースの言葉だと思えば、反論のひとつも口をつく。苛立った響きを隠そうとせず、メフィストは主君を働かせるべく言い聞かせた。


「壊れたのは陛下が煽るからでしょう。まったく……大人しくしてくださればいいものを。ほら、この剣を抜くくらいの手伝いはしてください。簡単でしょう? それとも、アウグスト殿の力で貫いた剣は抜けませんか?」


「……どの口が余を貶すのか」


 ムッとした顔で立ち上がり、地面を擦っていた黒髪をかき上げた。引きずりそうなほど長い髪は、彼の種族特性のひとつだ。面倒だとぼやくので切ったことがあるが、翌朝には元通りだった。その後数回チャレンジして、今では切ることを諦めている。


 無造作に剣の柄を引っ張り、不思議そうに首をかしげた。そのままの状態で振り返り、メフィストに尋ねる。


「壁ごと壊してよいか?」


「ああ、やはり抜けませんか。アウグスト殿にお頼みしてみましょう」


「いや待て。何とかする」


 突き刺さったのだから引けば抜けると思った。生き物の肉ではないから収縮して固まることもない。力任せで構わないと考えたのに、びくともしなかった。驚愕したものの「抜けないのか」と言われれば、魔王として後ろに引くことは出来ない。


 壁を壊すと「ずるをした」とメフィストが叱るだろう。どうせ復元魔法で直す壁なのだから問題ないだろうに、文句を並べるメフィストを振り切るのも面倒だ。思い付きで魔力を流して柄を押すと、するりと壁を切り裂いた。豆腐を切るような感覚に目を見開きながら、一気に引き抜く。


「どうだ!」


「さすがイヴリース様でございます。恐れ入りました」


 得意げに胸を反らす魔王へ、宰相はにこにこと褒め称える。精神的に子供な主君を手のひらの上で転がし、メフィストは何かに気づいた様子で顔を上げた。ほぼ同時に感知したイヴリースも眉をひそめ、窓の外へ視線を投げる。


 次の瞬間、メフィストが午前中いっぱい魔力を注いで直し続けた部屋の壁が――勢いよく砕け散った。

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