第25話 能ある鷹は爪を隠すもの

 ルベウス王女であるカサンドラ、竜殺しを成し遂げ勇者と呼ばれたアウグスト、母譲りの美貌と気性を受け継いだ社交界の花アゼリア。家族の中で、一番平凡に見えるのが兄ベルンハルトだ。剣も勉学も人並み以上だが、目立ちにくい。


 それ故にへーファーマイアーの跡取りを『与し易し』と考える輩は多かった。その評判は情報収集に長けたメフィストの耳にも届いている。


 噂ほど当てにならないものはありません。心の中でそう呟き、メフィストは灰色の前髪をかき上げた。肩にかかる長さの髪は首の後ろでひとつに結んでいる。ワインレッドの深い赤を宿す瞳で、じっくりと青年を観察した。


 おそらく彼は己の姿を偽っている。才能が無い者のフリをしながら、裏で人々の期待に合わせた役柄を演じてきた。そう判断する証拠として、竜殺しの実力者が後継者に娘ではなく息子を指名したことだ。


 人間社会なら当たり前のようだが、あの男にそんな常識は通用しない。公爵家の跡取りとして恥ずかしくない程度の体面を保ちながら、平凡を装うのはベルンハルトの実力の裏打ちに他ならない。


 宰相として常に魔王の後ろに控えるメフィストは、眼鏡を取り出した。赤い瞳は人間に恐怖を与えるため、色を変えて見せるためだ。考え事をする際にも使う小道具で、瞳の色を黒に見せかけた。


「ブルーノ殿、お待たせしたか」


 軽装の青年に、先に声を掛けたのはベルンハルトだった。人を逸さぬ穏やかな表情を一瞬で浮かべ、面倒だと呟いた本心を隠す。


「いえ、お呼び立てして申し訳ございません。次期様」


 上位貴族の嫡男へ呼びかける敬称へ、ベルンハルトは訂正しなかった。父からすでに公爵の地位を譲られたが、わざわざ告げる必要はない。


「こちらの砦で私を雇っていただけませんか?」


 用件を切り出した青年に、ベルンハルトは笑みを深めた。メフィストは眼鏡の縁を指で触りながら、彼らのやり取りを傍観する。


「あら、ブルーノ様は近衛騎士でしょう?」


 意図したのか天然か。アゼリアは無邪気さを纏って首をかしげた。辞職して公爵領へ逃げ込んだ話を、彼女は知らない。だが何か感じ取ったらしい。王家の近衛騎士が、敵対する公爵領にいることはおかしいのだから。


「アゼリア。彼は辞職し、聖女エルザと駆け落ちしたんだよ」


 淡々と言い聞かせる兄に、さらに無邪気で物知らずな少女を装って問いかけた。


「では主を捨てて、愛を略奪なさったのですか? エルザ様は王太子殿下ヨーゼフ様と愛し合っていると伺いましたのに」


 婚約破棄の場で告げられた話を淡々と口にする。もしドレス姿なら、扇を口元に当てて笑みを隠しただろう。


 嫌味のように突きつけられた言葉は、外から見た事実だ。どのような主人であれ、一度は忠誠を王家に誓った騎士だった。近衛という誉れを得て、待遇も良かっただろう。


 その王家の跡取りから、真実の愛を誓った女性を奪って逃げたというなら、反逆罪どころの騒ぎではない。辛辣なアゼリアの指摘に、ブルーノは唇を噛み締めた。


「アゼリア、彼にも事情がある。淑女が人前で騎士を問い詰めるのは、あまり感心しないな」


 出過ぎた妹を叱る言葉に聞こえるのに、声は真逆だった。滲んだ感情を受け止め、アゼリアは穏やかな笑みを浮かべて会釈した。


「あら、そんなことを仰るのね。お兄様、私は少し場を外しますわ」


「ならば余が付き合おう。護衛は不要だ」


 目配せされ、メフィストはさり気なく立ち位置を変えた。まるでベルンハルトの従者であるかのように、斜め後ろに控える。主君である魔王イヴリースの指示を明確に受け取り、宰相は上手に場に溶け込んだ。

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