第19話 見捨てる選択を奪ってやろう

「我々の戦いだ」


 アウグストは、きっぱりと断った。魔王の介入など、他の貴族がどう思うか。獣人の妻カサンドラすら、受け入れられずに姿を偽っているのだ。周辺国や他の貴族が魔族を認めるはずがない。これから独立するのに、魔王の援助は邪魔だった。


「アゼリアは余の妻となる女性だ。妻の実家に、夫である余が手を貸すのは当然ではないか」


 自分勝手な理由を突きつけ、イヴリースは空中に円を描いた。指先で無造作に操った魔力は、その中に石造りの塔を映し出した。


「これは……」


「お兄様?」


 遠見の魔法が映したのは、ユーグレース国との国境になる位置に立つ、古い砦だった。先代の頃より、何度も壊すよう王家の働きかけがあったのを退け、守り続けた砦だ。こうなる未来を予測したのは、嫁いできたカサンドラだった。


 街道を見渡せるから、盗賊対策に残すと理由をつけて。彼女はこの砦を残すために尽力した。その結果が、今回の独立に役立っている。


 狐系の獣人は、未来予知の能力を保有することがある。その血を連綿と守り続けたルベウス王家の王女カサンドラは、映された遠見を覗く娘アゼリアを見つめる。それから娘を大切そうに扱う魔王イヴリースへ視線を移した。


 やっと手許に取り戻した娘の、嫁ぎ先が決まってしまったわ――予知に似た女性のカンが告げる恋を、母カサンドラは諦めをもって許した。


 遠見の輪に映る兄ベルンハルトは、砦の門を閉ざすタイミングを計っていた。まだ王都から続く移住希望者の群れが途切れない。しかし近づく王家の軍も、徐々に距離を詰めていた。


 判断が遅れれば、我が領地に逃げ込んだ王都の人々や、公爵領の住民に被害が出てしまう。だが門を閉ざして締め出せば、その者らの無事は担保されない。ぎりぎりまで受け入れたいが、その境目は残酷にも迫っていた。


「あと少しなのだが」


 誰かが時間を稼いでくれたら、必死に痩せた馬を走らせる最後の荷馬車が間に合うかも知れない。見捨てたくないが、彼らの速度に背後の軍が追いつくのは時間の問題だった。どう計算し直しても間に合わないのだ。


 騎士や兵士達ももどかしく見守るが、助けに飛び出すことは出来なかった。彼らは独立する公爵領の財産でもある。


「門を……」


 閉めろと命じるのが、領地を守る公爵家当主として正しい選択だ。迫る危険を声高に警告する理性、見捨てたくないと泣く感情、間に合わないと告げる残酷な現実――諦めるしかない。もう一度息を吸い、ベルンハルトが合図を送ろうとした。


「よくぞ民を待った。王の器よ、見捨てる選択を奪ってやろう」


 傲慢な口調の美声が降り、直後に可愛い妹の声が重なった。


「やっちゃって! イヴリース」


「我が愛しいアゼリアの願いだ。目障りな小蝿を消してやろう」


 ぱちんと指を鳴らす男を振り返り、思わぬ美形にびっくりする。最高の美姫として有名な母譲りの美貌の妹に並び、遜色ない男がいると思わなかった。


「おお!」


「助かった、間に合うぞ」


 兵達の声に、慌てて視線を街道へ戻した。逃げる民へ土煙を立てて迫った王家の軍が、突然割れた地面に吸い込まれた。転がる男達の悲鳴や怒号が騒がしい中、ある程度飲み込んだところでイヴリースが再び指を鳴らす。


「馬に罪はない」


 くすっと笑った彼の言葉通り、馬具をつけたままの馬が街道に現れる。きょとんとして周囲を見回した後、馬はとことこと砦へ向かう。近くにいた馬車に寄り添いながら、馬はすべて回収された。


「お兄様!」


「アゼリア、これは……この男についても説明してもらうぞ」


 抱きついた妹を受け止め、鋭い視線で嫉妬を隠そうとしないイヴリースに背筋を凍らせながら、兄ベルンハルトは眉を寄せた。

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