第3話 あんたなんて大っ嫌いよ
なぜ私がこのカエルと結婚するのかと嘆いたが、これも公爵令嬢の務めと諦めた。解放されるチャンスが来たら、大喜びで掴むのは乙女なら当然ですわ。
女神、異国の神、ご先祖様の霊、はたまた魔王に至るまで、ありとあらゆるものに祈り縋った甲斐がありました。どなたが聞き届けて下さったのか、心から感謝します。
アゼリアはにっこり笑って、扇を口元から外した。満面の笑みで、隣に立つ聖女エルザに声をかける。
「エルザ様、ヨーゼフ殿下をよろしくお願いいたしますわね! では本日は
淑女の礼で最低限の義務を果たし、くるりと向きを変える。踵を返したアゼリアの後ろを、数人の貴族が追った。まだ国王が来ていないうちに帰るのは失礼にあたる。だが、この状況を招いた国王に従う気はないと早々に示すのは、国内外に対して己の立ち位置をはっきりさせるため。貴族もいろいろですから。
いつまでも判断できない当主に従う部下はおりませんのよ。ひらひらと扇で顔を仰ぎながら、ご機嫌で歩く私の足元はステップを踏んでいる。あと少しで幼少の頃のようにスキップし始めそうだ。それを我慢しながら歩くのも、結構辛いものですわ。
アゼリアの後を追って、兄が父である公爵を引きずりながら退場を試みる。文句と嫌味を盛大に叩きつけてやると意気込む夫を、公爵夫人が押し出した。母と兄の協力を得て、ようやく夜会の広間からヘーファーマイアー公爵家が退場する。
しんと静まり返った夜会会場で、王太子ヨーゼフは隣の少女の腰を撫でまわしながら首筋に顔を近づけ……エルザに勢いよく突き飛ばされた。
「いやぁ! 触れないで!! あなたなんて大っ嫌いよ!!」
大声で泣きだした少女に、困惑したのは残された貴族である。突き飛ばされた王太子は丸い体型が災いし、自分で立てずに転がっている。仰向けのカエルを無視し、近くにいた騎士が一人手を差し伸べた。
「どうなさいました? ご令嬢」
騎士であるなら、泣き崩れる女性にハンカチを渡して手を伸べるもの。男爵家の次男である彼はそう教わって育った。公爵令嬢アゼリアの婚約破棄の原因となった聖女であろうと、手を伸ばさない理由にならない。
元平民である彼女は人目を気にせず大声で泣き、その過程で大まかな状況が知れた。彼女は街中で「君は聖女だ!」と突然見初められて馬車に乗せられ、美しいドレスを貰った。それが今着用している薄桃色のドレスだ。
豪華な部屋で、見たこともない贅沢な食事を食べさせてもらった。親切な豚だと思ったら、まさか躯目当てだったなんて。しかも婚約者がいるくせに、平民に手を出すなんて頭おかしいんじゃないの?!
エルザがしゃくりあげながら口にした内容に、広間に残っていた貴族がまた半分ほど消えた。徐々に人々の顔色が青ざめ、他者の出方を窺う余裕もなく背を向ける。
「こ、こら。早く俺を起こせ」
「ご自分でどうぞ」
男爵家次男の青年は、騎士としての叙勲を受けた証を襟からもぎ取り、王太子の上に捨てた。顔を見合わせた数人の騎士も同様に、除隊の意思を示す。
「この国の騎士を辞職させていただく」
踵を返した騎士は、まだ泣き続ける少女に手を伸ばした。まだ15歳前後だろうか、見れば愛らしい顔立ちをしている。涙で真っ赤になった鼻を袖で拭い、エルザはしゃくりあげる動きで身を揺らした。目の前の手と、元騎士の顔を交互に見つめる。
「私と一緒に家に帰りましょう、お送りしますよ」
「かえって、いいの?」
泣いた顔で尋ねる幼さが滲む声に、騎士はエルザに庇護欲を刺激された。膝をついて視線を合わせ、にっこり笑う。つられて笑う少女を立たせ、皺になったドレスを軽く整えた。
「さあ、参りましょう」
騎士と聖女エルザが消えると、広間に残った数少ない貴族達も出口へ向かう。国王が王妃と夜会の場に現れたとき、残っていたのは数えるほどの貴族と手を付けられていない食事の山。そしてみっともない恰好で赤絨毯に転がる息子ヨーゼフの姿であった。
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