第2話 婚約破棄していただけました!
「俺はここにいる聖女のエルザと結婚する!」
「……本気ですか?」
聖女の意味を、この男が勘違いしているのは間違いない。彼の言葉に念を押して確認するのは、公爵令嬢アゼリアの日常だった。これからは聖女に任せて、私は自由になります!
「ああ! 俺は彼女と結婚する」
「素晴らしい真実の愛ですわね。とてもお似合いです」
頭の足りない王太子ヨーゼフ――彼の母である王妃は、先代王の妹で近親婚だ。伯母と結婚した国王の子は、死産が続いた。3人目にしてようやく生まれた王子を、国王は溺愛するのも仕方ない。それが王太子でなく王女であったなら、誰も文句は言わなかった。
この国の未来を託す存在が阿呆だった場合、彼の滅びの道連れにされる国民や貴族は納得できるか。当然無理だろう。阿呆だとわかっていれば、即位前に片付けてしまえばいい。
ひそひそと貴族達が相談を始めた。扇の陰で、アゼリアは大きく息を吸って吐きだす。
「お前のように澄ました冷たい女など、誰が抱くか!」
王太子の暴言に、貴族がざわっと揺れる。一部の騎士は剣の柄に手をのせ、ご令嬢の中には卒倒する者も出た。妻や娘をこの場から帰そうとする賢い貴族も現れる。
あの方は辺境伯でいらしたわね。アゼリアは荒れた場を収めるため、最後の警告を口にした。
「私の方からお断りします。今の発言は王太子殿下の真意でよろしいですか? 聖女であるエルザ様とご結婚なさる、間違いございませんわね? ならば私は喜んで婚約を解消いたしましょう」
にっこりと笑うアゼリアの辛辣な嫌味に、王太子ヨーゼフは気付けなかった。それどころか嘲笑する響きで言い放つ。
「可愛く縋れば、側妃にしてやってもいいのだぞ。俺は寛大だからな」
貴族の半数近い男性が絹の手袋を脱ぐ。女性をエスコートする際に嵌める手袋は、手首までの短い形だ。絹の手袋は滑るため、武器は抜かないと周囲に示す手段だった。
夜会で必須とされる絹の手袋の使い道は、他にもある。人前で外した手袋を同性に叩き付けることで、決闘を申し込む意思表示になるのだ。逆に異性である女性へ手袋を差し出すのは、愛情の懇願だった。
絹の手袋が大量に空を舞う予感に、アゼリアは漏れる笑みを必死に扇で隠した。視線の端に、兄に止められる父の姿が見える。溺愛する愛娘への侮辱に怒っているのだろうが、この場は兄に軍配をあげたい。アゼリアは婚約の解消を望んでいるのだから。
「冗談は体型だけにしてくださいませ」
彼女の口をついたのは、辛辣な一言。それによって笑いながら手袋を嵌め直す貴族が現れる。
王太子ヨーゼフの顔は、王家の遺伝通り素晴らしい美形だ。もう少し細くなれば、さらに素敵だろう。ついでに同世代の青年の3倍近く横に膨張した身体を絞れば、さらにモテるはずだ。
エルザの細い腰を抱き寄せるヨーゼフの腹は膨らみ、衣装係が必死で手直ししたボタンも弾け飛びそうだった。ゆさゆさと巨体を揺すり、だらしない腹を突き出した姿に「カエルみたいだわ」と本音が溢れでた。
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