後日談77話、悩める暗殺者
魔族を殺せ。魔族を殺せ。魔族を殺せ。
それはまるで呪詛のようだった。ガルは寝覚めの悪い夢――つまるところ悪夢に悩まされていた。
眠りは浅い。銀の救護団で聖女レーラを守護し、か弱き民を襲う賊や魔族と戦う。その日々には、ガルにとって強い焦りの感情を抱かせていた。
ここにいては、魔族を殺せない。現れる敵を倒すだけでは、世界はいつまでも変わらない。
日々を過ごす一方で、魔王軍の残党が牙を研ぎ、企みを進めている。それを討たねば、状況は好転しないのだ。
ガルは悩む。聖女であり恩人であるレーラを守ると誓った。しかし、魔王軍の残党を討ちにいきたい。
その葛藤は日々強くなっていく一方だった。アズマから、気配に出ていると指摘されて、仲間たちに伝播しないように抑えているつもりだが、グリードからはこう言われた。
『レーラ様にあんまり心配かけさせるなよ』
聖女はあまり言わないが、何かと気にかけられているのは察している。元暗殺者でも構わず、分け隔てなく接するのがレーラという女性だ。
人々を救うことに、一般人も暗殺者も関係ないということだ。そこまで偏見がないのは、かなり奇特な人間であると言える。
暗殺者仲間たちと接しているとわからなくなるが、世間一般の暗殺者への偏見、畏怖は凄まじい。平気で人を殺せる人間というのは、やはりそばにいては嫌というのが世の中なのだ。
そんな人間を受け入れてくれる場所というのは貴重だ。勇者だったソウヤの銀の翼商会もまたそんな場所の一つだった。
銀の救護団を乗せたゴールデン・チャレンジャー号は、集落から集落へと移動する。定期的に立ち寄り、見回りや物資の代理調達、必要があれば医療活動も行う。
それ自体は、世のため人のためになっている素晴らしい活動だと、ガルは思っている。だが自分の役割が、単なる護衛でいいのか、という部分が彼を悩ませるのである。
時々ある魔獣討伐や盗賊撃退など、銀の救護団を守る行動ではあり、大事なことだ。だが違うのだ。魔王軍の残党を討ちたいのだ。
今日も、とある村でレーラや仲間たちが活動を行っている。ガルは村の周りに出て警戒する。
静かだった。ガルは昔から静かな場所が好きだ。人の多い場所は好まない。騒ぎ立てられると、うざったく感じてしまう性分だ。
村では聖女と銀の救護団の到着にちょっとした騒ぎになっているが、いつものことだ。それもあって、目立たない警戒役を担当している。
……これが銀の翼商会にいた頃は、時々売り子を手伝えと何故か女性陣から声を掛けられることもあった。ガルとしてはあまり実感がわかないのだが、同僚たちが言うには、『イケメン』だから、らしい。
女性客に人気がある容姿をしているから売り子を手伝えということらしい。見た目の好みなど、人それぞれだろうに、とガルはウンザリしてしまう。ただそういう時、決まってグリードがこっそりガルに言って聞かせるのだ。
『お前のお母さんが美人だったからな。しょうがない』
そういう言われ方をすると、文句も言えなくなるのがガルだった。もっとも文句を口にすることも滅多にないのだが。
林の中を歩き、その空気を感じる。緑には気分を落ち着ける効果があると言っていたのは誰だったか。
しかし最近は、そういう場所でもあれこれ考えてしまっている。今よぎったのは、先日エルフの治癒術士であるダルに出した手紙、その返事のこと。ヴィテスに届けてもらったら意外と早く返ってきたのだ。
『当たり前のことを書きます。おそらく君に指摘するまでもなく、知っていると思われるかもしれません。それだけ、当たり前のことです』
そういう書き出しから始まり、ダルの説教が書いてあった。
要約すると、敵を間違えるな、ということに終始していた。心配性なのか、かなり念押しされている。
『くれぐれも魔族という言葉に囚われ、すべての魔族が敵だと思わないように。その考えは、ソウヤ君がもっとも嫌う考え方です』
魔王を討伐したかつての勇者は、種族で差別するのを嫌う性質だった。ソウヤのことを知っているだけに、ガルには、ダルの言わんとしている意味が理解できる。
そう考えると自分の中で、気づかされる。自分がこんな当たり前のことを忘れていたことに。
想いが強すぎると視野が狭くなる。暗殺者界隈でも、視野狭窄に陥ることを戒めている。敵を討つ時、そればかりに気を取られていると、罠にかかったり、思わぬ伏兵に襲われることになる。
いかに考えが凝り固まっていたか、改めて指摘されて気づくこともある。とはいえ、魔族への怒りを捨てるにまでは至らない。ただ、相手を見定めて刃を振るおうとガルは思った。見境なしは、レーラはもちろん、ソウヤをも失望させてしまうだろうから。
ガルの足が止まる。静かな林だったが、それでも静か過ぎる。魔獣の類いではない。しかし、何かがいる。
腰の剣の位置を感覚的に把握しつつ、ガルは素知らぬ顔のまま、より神経を尖らせる。この気配の正体を辿る。
「……」
潜んでいる者を探る。闇の中、息を殺してこちらをじっと観察している者――
「ペシクか」
「――少し鈍ったんじゃないか、兄弟」
林の中、音もなく現れたのは一人の男。二十代半ば、背丈は普通だが、筋肉質な体の持ち主だ。
「こんなところで偶然出会う、ということはないだろう、ペシク」
しかしガルは、表情一つ変えず相手を凝視する。
「雇われたのか? 銀の救護団を潰すように」
「まさか。貴様がいる組織に手を出すなど、そんな馬鹿な依頼を受けると思っているのか?」
ペシクは淡々と告げた。
「……用件を聞こうか、ペシク」
ガルも事務的に言った。偶然の遭遇はあり得ない相手であるとわかっている。わざわざ声を掛けるとあれば、用がないわけがない。
「一番上の兄貴が死んだ」
ペシクは、何の感情を込めずに言う。
「つまりそういうことだ。貴様にも声が掛かっている、兄弟」
「……」
「興味ないという顔をするなよ、ガル。貴様もペルスコット家の一員なんだ。辞退するなら、今すぐ自害しろ。貴様の首をオレが運んでやる」
「ここで死ぬつもりはない」
ガルは顔を背けたが、視線だけはペシクから外さない。
「だが兄弟喧嘩にも興味はない」
「……オレに言わせるなよ、兄弟」
ペシクは口元を緩めた。
「それは、今の貴様のお仲間が、ペルスコットの息のかかった連中に狙われるってことだ。……貴様はそれでいいのか?」
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