第587話、深まる謎


 意外なところで解決策が出てきた。


 フラッドの魂の交信術で、アガタの魂から直接、その記憶を引き出す。これについて、カーシュとアガタに改めて確認を取ってみる。


 特にアガタ本人が、魂の交信を許可するかが問題だ。ソウヤは強制するつもりはないからである。


「私の、失われた記憶が、思い出せるのならば」


 アガタは了承した。とはいえ、表情には不安の色が浮かんでいた。


 ――無理もないな……。


 ソウヤは思う。記憶喪失の彼女にとって、かつての知り合いや親族と名乗る者が現れて心配されても、反応に困るだけだろうから。彼女的には、ここにいる全員が見ず知らずの他人である。


 場には、アガタの他、カーシュ、レーラ、ソウヤ、ダル、フラッドがいる。アガタは正座し、対面ではフラッドがあぐらをかくように座っている。術の準備に掛かる中、レーラが口を開いた。


「アガタさんには、何も痛いことはないですよね?」

「もちろんでござるよ」


 フラッドは頷いた。


「ただし、交信中に魔法で干渉したりするのはなしでござるよ。交信が乱れれば、魂が傷つく。そうなれば、二度と元の形には戻れない」


 周囲に張りつめたものが漲る。ソウヤはそっと息を吐いた。


「大丈夫。邪魔はしない」


 カーシュ、そしてダルが首肯した。やがて準備を終えたフラッドが、パンと大きく手を叩いた。


「始めるでござるよ。アガタ殿、目を閉じて――呼吸を整えるでござる」

「……」


 心を落ち着けて、闇に、身を沈める――


 緑鱗のリザードマンが、人間のそれと異なる言語を使い出した。儀式が始まったのだ。何やらフラッドは腕を動かしているが、目を閉じているアガタにはそれはわからない。


 何を見せられているのだろう、と思いつつ、ソウヤは儀式を見守った。


 リザードマン言語が、ブツブツと聞こえる中、やがてアガタの胸から、青い炎が揺らめいて出てきた。


 これが彼女の魂か。見守っていた一同に緊張が走る。フラッドが人間の言葉に切り替えた。


「我、汝に問う。汝の名を答えよ」

「アガタ」


 エルフ女性は答えた。そこでフラッドはわずかに首を傾げた。


「アガタ、それだけか?」

「……アガタ」


 彼女は繰り返した。


 ――どういうことだ?


 邪魔するわけにもいかず、ソウヤはダルを見たが、エルフの治癒魔術師は顔面蒼白だった。


 フラッドは質問を続ける。故郷は? 出身の森は?


「……」


 いずれも返答がなかった。よくわからないが、これはいよいよ雲行きが怪しくなってきた。


「――なるほど。最後に何か見えるものはあるか? 何でもよい。景色や、あるいは頭の中に浮かんだものは」

「……暗い檻……」

「ありがとう、アガタ。もう、戻ってよい」


 フラッドの言葉を受けて、青い炎はエルフ女性の体に戻った。すると脱力したようにアガタの体が傾いたところで、彼女は目を覚ました。


「お疲れさまでござった」


 フラッドが優しく声を掛けた。口調も戻った。


「疲れたであろう。部屋に戻ってゆっくり休むでござる。あー、レーラ殿、アガタ殿をお連れして」


 言われたレーラが頷くと、アガタを連れて退出した。


 リザードマンの表情はわからないが、フラッドは腕を組んで小さく唸っている。様子を見守っていたソウヤだが、最初に口を開いたのはカーシュだった。


「フラッド、これはどういうことなんだ?」

「……」

「魂と交信すれば、わかるんじゃなかったのか?」

「……しー」


 フラッドは、人差し指を立てて黙るように合図した。カーシュは自然と高くなっていた声を沈めるように腰を下ろした。自然と立ち上がっていたのだ。


 ダルが静かに聞いた。


「魂と頭の中は別物と聞いたのですが……どうも一致しているように見えましたが」

「そうでござるな」


 フラッドは座る向きを変えて、カーシュとダルに向き直った。


「まず、納得できる答えではないし、正確ではないやもしれんでござるが、某の答えを聞いてもらおう」


 リザードマンは淡々と言った。


「あれはアガタという存在ではある。が、カーシュ殿、ダル殿が知っているアガタではないでござる」

「……!」

「つまり、名前も性別も同じで顔もそっくりだけど別人?」


 ソウヤが思わず言えば、フラッドは頷いた。


「左様。よく出来ているでござるが、純粋なエルフであるかも怪しいでござる」


 よろしいか――フラッドは人差し指を立てた。


「ふつう魂というのは、生まれた時から死ぬまでの記憶や経験を刻み込んでいるものでござる。頭の中の記憶を忘れようとも、魂に刻まれた記憶は決して消えることはない。しかし! 彼女には存在しなかった!」

「どういうこと?」

「ないのでござる。彼女の魂は、ここ最近に生まれたばかりということになる――」

「そんな馬鹿な!」


 カーシュは声を張り上げた。ダルも首を捻る。


「しかし、あのアガタは、どう見ても成人エルフ……。とても生まれたばかりとは思えませんが」

「そう。だから純粋なエルフか怪しいと言ったのでござる」

「まるで意味がわからないぞ」


 ソウヤは頭をかいた。フラッドは舌をチロチロと覗かせる。


「そう、まるで意味がわからないものでござるよ。体は成人。しかし魂は幼子のよう……。しかもカーシュ殿やダル殿のよく知ったエルフの姿をしている」


 フラッドは腕を組んで考え込む。


「かといって幽霊でもない。確かに人、エルフなのでござるが……。どうにもチグハグなのでござるよ。ただはっきりしているのは――」


 リザードマンの戦士は、一同を見回した。


「彼女は記憶を失っているのではない。初めから存在していないから、カーシュ殿やダル殿を知らないのでござる。それを勝手に記憶喪失と解釈していたということだけは、某、断言はできるでござるよ」

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