第486話、寝転がって空を見れば


 ダンジョンに留まって、はや二日が経った。


 ソウヤは隠れ家のすぐ上の草っ原に腰掛けて、テーブルマウンテンの入り口方向を眺めていた。


「……平和だなぁ」


 魔王軍の連絡飛空艇なり輸送船が来るのを見張っているのだが、今のところ静かなものだった。


 さらり、と穏やかな風が吹き抜け、森の葉が揺れた。


「ずいぶんと暇になっちまったなぁ。……そうは思わんか?」


 ザッと草を踏みしめる音に声を掛ければ、やってきたのはリアハだった。


「そうですね」

「いつ敵がやってくるかわからないってわかっちゃいたけど、このまま何も起こらないんじゃねぇかなって思い始めてる」


 ソウヤの隣にリアハは座った。草の上に直座りである。


「待つのは退屈ですか?」

「まー、退屈っちゃ退屈ではあるけどな。何つーか、銀の翼商会から離れてみると、俺も働いていたんだなって思ってさ」


 商会のメンバーたちと顔を合わせて、挨拶したり相談に乗ったり、商売のことを考えたり。


 かなり自分のペースでやっている風で、仕事ではあるが、そこまで重圧やストレスを感じているわけではない。


 だがいざ、それらをしなくなると、何故か寂しく感じた。


「社会人ってこんなもんなのかな……」

「何です?」

「うーん、オレさ。ここまで商会とかやってみたけど、実のところ、リアハとそう歳も変わらないはずなんだよな」


 魔王を討伐してからの十年間、ソウヤは昏睡状態だった。外見は二十代後半だが、精神的には多少大人びても二十歳そこそこなのだ。


 アイテムボックスにいた瀕死だった者たちと違い、外見は変わってしまったが、中身はあの頃とさほど変わっていない。


「……あー、悪い。変なこと言ったな。すまんすまん」


 愚痴るつもりはなかったソウヤである。暇過ぎると変なことをつい言ってしまった。


「最近、調子はどう?」

「……いいですよ」


 リアハは視線を転じた。広大なダンジョンに広がる自然を見やる。


「オレとしちゃあ、出だしの間が気になるんだがね」

「心配してくれるんですか?」

「まあな」

「それは、勇者だから? それとも銀の翼商会の責任者だから?」

「何だそりゃ」


 ソウヤはゴロンと仰向けに寝転んだ。天井があるはずの空なのに青い。


「オレはオレだよ。思ったことを言っただけだ。勇者だから、ってのが一番感覚的には遠いけど、そうかもしれないし、銀の翼商会のボスだから……いや、今はその実感も薄いな。船を離れているせいか」


 これで満足か?――ソウヤはリアハを見た。


「性分なんだよな。それがたまたま勇者に見えるだけだと思うが、他がどう考えているかなんて知らん。まあ、人が言うにはお節介焼きらしい」


 リアハの表情が緩んだ。寝転ぶソウヤを見下ろし、そっと手を伸ばすとソウヤの手に触れた。


「こうされるのは迷惑ですか?」

「全然」


 美人と手が触れて嫌いじゃないのはソウヤが男だからだろうか。これが逆だったら、セクハラだー、パワハラだー、とか言われるのだろうか、とむしろ気になる。手が触れただけだ。


 ――触れただけ……?


 さわさわ、とリアハの手が指がソウヤの右手を確かめるように動く。暇すぎて人の手で遊んでいるのだろうか?


「……本当、このまま何もない世界だったらよかったのに」


 リアハが心ここにあらずという感じで言った。しかし手の形を確かめるような動きは止まらない。赤ん坊が大人の手を握るように、性的なものはないはずなのに、だんだんとソウヤは邪なものを感じてきた。


 ――リアハは疲れているのだろうか……?


 銀の翼商会内で、特にソフィアと親しく、彼女と喧嘩をしたとかいう話は聞いていない。商会メンバーの間でも、よく気づく優しいお姫様という好印象を抱かれている。


 王族だという出生も影響しているのだろう。さらに騎士姫であり、責任感が強く、真面目。人前であまり弱いところを見せないようにしている。だから心配になることもある。ひとりで悩みを抱えているのではないか、と。


 そっと、リアハは隣に寝転がる。相変わらず、手はソウヤの手を求めて触れ続けている。好きなようにさせよう、とソウヤは黙って受け入れた。


 しかし無言の時間が続くのは、どうしたものかと思う。


「……このダンジョン、不思議ですよね」


 唐突にリアハは手を止めた。しかし離すつもりはないらしい。


「ダンジョンのはずなのに、雨が降るんですよ。小雨程度ですけど」

「そういや、朝、霧が出ていたな」


 早くに目が覚めて、水を飲みにいった時、ふと外の景色を見れば、鬱蒼と霧がたちこめていた。


 このダンジョンもひとつの世界が形成されているのだ。


「何をやっているんだろうって思うことはあります」


 リアハは言った。


「私はここにいていいのかなって……」

「いいんじゃね」


 ソウヤは笑った。


「誰かに何か言われたか?」

「何か言われたほうが、考え込まなくて済んだのかも」


 リアハはソウヤの顔をじっと見つめた。


「あなたは商会を離れたと言ったけれど、ここでもまだ働いているじゃないですか。夕方、加工場に行って、木材の回収をしている」

「昼間に影竜親子が修行と称して木を倒しているからな。そのままにしていたら、もったいないだろ」


 別に働いているつもりはない。


「ついでに見回りも兼ねているから、銀の翼商会の仕事ってわけでもない」


 ……つもりではあるのだが、実際に商会での売り物や素材に使えるとなると、仕事をしているとも言えなくはない。仕事か、そうでないかの線引きが難しいライン。


 ――リアハは、銀の翼商会にいる理由を探しているのか……?


 ソウヤは、そう感じた。当時は姉レーラを救うために同行し、彼女が助かった後も、継続して銀の翼商会に残った。リアハとしても思うところがあるのだろうが、そういえば何故同行しているのか、はっきりと彼女の口から聞いたことはなかった。


 魔王軍への復讐。魔族による犠牲を減らすために戦っている――そう思っていたが、あるいは他にも理由があるのかもしれない。


「――ソウヤ様ー! お茶が入りましたよー。あ、リアハ、あなたもどうですか?」


 レーラが呼びにきた。聖女様は、いつもの聖女様だった。

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