第73話、醤油をメジャーにしてやる


 久方ぶりの醤油の味。あまりの旨さに、ソウヤは涙ぐんでしまった。


 米に味噌汁もどきに焼き魚の和食セットが、これからも食べられるというのは感動ものである。


 楽しみにしていたミストも、醤油の味付けにご満足。醤油が合う料理の開拓をはじめるが、とりあえず彼女好みのステーキに合うものが先になるだろう。


 ――それなら溜醤油だな。


 ともあれ、食事の後は、昼間のフランコ・アイアン商会の詳細をタルボットに報告した。――借金はなくなり、醤油作りに専念できるぞ、やったね!


「いやはや、一時はどうなることかと思いました」

「お前さ、もしオレらがこなかったら、借金どうするつもりだった?」

「……どうなってたんでしょうね」


 自嘲するタルボット。


「親に頼めば、借金は消えるのはわかってました。でもそれをやったらショーユ作りはできなくなる。それなら奴隷落ちしてでも、借金を返済した後に再起するか――どうすればいいのか悩んでました」

「そんなに醤油作りに情熱を燃やしていたのか……」


 ソウヤは何とも言えない気持ちになる。醤油作りをそそのかした、というか、させる方向に後押ししたのは、勇者時代のソウヤである。タルボットがその道を選んだとはいえ、少なからず責任を感じてしまう。


「未知の調味料というのに惹かれたんですよね。勇者ソウヤが、食べたいと言ったそれを再現できたら……。魔王を討伐するために命を賭けているソウヤさんのお役に立てるんじゃないかって思ったのもあります」


 何かできる男になりたかった。勇者にはなれないけれど、世界で唯一のことを初めてにやったら――


「ああ、マーク・タルボットの名は、この世界の調味料の歴史に名が残るだろう」


 ソウヤは頷いた。何より、これからも醤油を使えるのが嬉しい。


「それで、ソウヤさん。フランコ・アイアン商会が、うちのタルボット商会と繋がっているかもしれないという話ですが――」

「証拠はないが……たぶん、グルだろうな」


 個人的にフランコがタルボットに恨みを持っていなければ、ソウヤのもってきた返済金を受け取るのを躊躇する理由が浮かばない。……浮かばないだけで、よく考えればあるかもしれないが。


「親父さんに借金を立て替えてもらうのと引き換えに、お前さんを家に戻す、そういう算段だったんだろうな」

「……父なら、そう考えるかもしれません。兄弟からも、以前は僕に家に戻るよう何度か言ってきましたし」


 タルボットは、考え深げに口元を引き締めた。実家が金貸し業者と繋がっていたことは、彼を悩ませているようだった。


「実家から直接妨害されたことはあったか?」

「いえ、特には。困っていても手を貸さない、勝手にすればいいってスタンスでしたから」


 俯くタルボット。


「でも、フランコ・アイアン商会と繋がっていたのが本当なら、今回、初めて妨害されたかも」

「あれは取り立て屋の手口だ。親父さんが指示したものじゃないだろうよ」

「どうしてそう言い切れるんです?」

「直接妨害したいなら、金貸し業者を使わなくてもできる」


 ソウヤはタルボットをじっと見た。


「実家は貿易商で、腕っ節の強いのが何人かいるだろう? そういう荒事に慣れてる奴もいるだろ」

「確かに」

「なら、そこまで深刻にならなくてもいいんじゃないか?」


 ソウヤは、醤油の入った瓶を見つめる。――手軽に使える醤油さしが欲しいな。


「じゃあ、ソウヤさん。借金の件で実家を巻き込まずに済みましたが、今後、何か手を出してくるとか――」

「それはないな」


 ソウヤは意味深に笑みを浮かべた。


「何故なら、お前がここまで作り上げた醤油が、いよいよこの国の調味料を変える。忙しくなるぞ。注文は殺到し、お前は大金持ちになる!」


 それは確信だ。


「そうなれば、親父さんも認めざるを得ないさ。これまでは実績がなかった。だが一度認められてしまえば、向こうから支援してくれるようになる!」

「向こうから支援を……!」


 タルボットは目を見開いた。だがすぐに、それも曇る。


「でも、物はできましたけど、僕には販売ルートがない。地元の人たちに試供品を配っていますけど、世間には全然知られていません。実家の貿易商で扱ってくれれば多少は変わるかもですけど、父が認めるとは……」

「おいおい、タルボット。お前、オレの今の職業を言ってみろ」


 心外とばかりにソウヤは言った。タルボットは眉間にしわを寄せる。


「なにって、勇者……あ!」

「そう、オレはいま商人。行商だ」


 色々なところに移動する都合上、物を広めるには打ってつけだ。


「うちの販売上位には、ステーキタレという肉に合う調味料があってだな。料理の味付けについては、世界が新しいものを求めている。醤油も売れる!」


 いくつか取り扱ってくれる店も知っている。たとえばエイブルの町の丸焼き亭とか。味のバリエーションが増えると言えば、きっと気に入ってくれるだろう。


「というわけで、知名度アップと初期の販売ルート開拓については、オレに任せろ。認知度が上がれば、他の商人もお前のところに寄ってくる。そういう時のための準備をしつつ、醤油を作ってくれればいい」

「他の商人、ですか……?」


 タルボットは小首をかしげた。


「確かに、売れるものには商人たちは手を出してくれるでしょうけど……。その、いいんですか、ソウヤさん。今なら銀の翼商会で、醤油の販売独占契約とかできますよ?」


 銀の翼商会でしか、醤油を扱えない、ともなれば、その利益を独占できる。今後、新たな調味料として浸透するなら、その儲けで億万長者も夢ではない。


「僕としては、ソウヤさんに恩がありますから、独占契約でも構わないんですが」

「ありがたい話だが、遠慮しておくよ。たぶん、それ、醤油の普及にはマイナスになる」


 醤油の扱いを独占したら、銀の翼商会が行くところしか普及せず、またお客がそれに触れられる機会も減る。


 売れてるらしい、と他の商人が群がっても、独占により扱えないというのでは供給が限られてしまうし、万が一、銀の翼商会が何らかの理由で商売できなくなったら、その時点で詰みだ。


「オレとしては、客が求める品を提供できて、ほどほどな感じで儲けられればいいんだ。商人はガメつくあるべき、っていう人もいるかもしれないが、これが俺の商売だから」

「……そうですか。ソウヤさんが、それでいいなら構いませんが」


 タルボットは頷いた。ソウヤは笑う。


「でもまあ、最初はオレらが独占しているようなもんだし。他の商人が介入するまで稼ぐさ」


 一度買ったら終わり、という品でもないし。リピーターが増えたら増えた分だけ、儲かるものだから。


「いずれは、実家の貿易商も巻き込んでやろうぜ。そうすりゃ親父さんも、お前さんのこれまでを認めるどこから、大いに頼りにしてくるかもしれんぜ?」

「だと、いいんですが」


 実家を巻き込んで、と聞いて、タルボットが照れたように顔を赤らめた。やはり家とは仲良くしておきたいのだろう。

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