最初の冒険者

宮杜 有天

前編

        1


「お客さん、冒険者かい?」


 酒場の親父は、カウンターに座ってきた若い客に問いかけた。昼の忙しい時間が過ぎ、客もまばらになる時間帯。

 若い男はくたびれた革鎧に、腰には両刃の剣をぶら下げていた。肩から降ろした背負い袋が、重い音を立てて床に転がる。


「ん? ああ、そうだよ」


 男は、親父の方を向いて答えた。二十代半ばの何処にでもいそうな普通の若者に見える。たが、その男の目にだけは普通とは違う鋭いものがあった。


「この街に着いたばかりだ」

「仕事を探しに来たのかい?」

「いいや。仕事なら、先に来てる仲間が見つけてるはずさ。そいつらと、ここで待合せしてるんだ」

「うちの酒場で? こんな場末の酒場を、よそから来た冒険者が知ってるとは光栄だな」


 そう言って親父は笑った。この酒場は決して広くないし、綺麗でもなかった。美しい歌姫がいるわけでもなければ、吟遊詩人が立ち寄るわけでもない。街に住む者だけが知っている場末の酒場だ。


「『ディダックスの悪酔い酒場』だろ、ここは? 冒険者仲間の間じゃ有名だよ。銅貨三枚でまともな酒が飲めるのは、この街でここだけだってね」

「なるほど、違いない。よそで出てくる銅貨三枚の酒は、混ざりものばかりだからな。注文はどうする?」

「銅貨三枚で飲める、最高のやつを」


 男の言葉に親父はニヤッとした。男の目の前に、コップに注がれた琥珀色の液体が置かれる。

 上等な蒸留酒だ。


「これは?」


 男は目の前のコップを見てから、親父の顔を見た。普通、銅貨三枚で飲めるような酒ではない。


「お客さんが気に入った。おごりだ。そいつを銅貨三枚で飲ませてやるよ。ただし、一杯だけな」


 男はコップを手に取ると口元まで運んだ。ナッツに似た匂いが男の鼻孔をくすぐった。色は少し若いが、匂いは樽にしっかり寝かせた蒸留酒のものだ。

 そのまま一口分、咽喉に流し込んだ。焼けるような熱さが咽喉を通って胃へと入っていく。うまい酒を飲んだのは久し振りだった。

 男はもう一口飲んで、コップを目の高さに上げて眺めた。


「なんだいお客さん。こんな場末の酒場の、こんな粗末な入れ物でなければもっと美味かったのに……とでも言いたそうな顔だな」

「そんなことは……少し思ってた」

「くはは。正直なお客さんだ。ますます気に入った」親父が破顔する。「そいつは確かにいい酒だ。立派な入れ物に注いでやりたいのは山々だが、ここじゃそんなもので出したら盗まれるか、喧嘩っ早い冒険者に壊されちまう。

 エール用のジョッキで出さなかっただけ、有り難いと思ってくれ」


 親父の言葉に、男はコップを軽く揺らして応える。


「いや、ホントにいい酒だ。感謝してるよ。

 そうだ。こいつの礼に、一つ話をしよう。どんな吟遊詩人も知らない話だ」

「ほう?」


 親父は興味深そうに男を見る。それを見て、男はおもむろに口を開いた。


「どんな職業だって、最初に始めたやつがいるだろ? 鍛冶屋だろうが兵士だろうが。それに、王様だってそうだ。もちろん冒険者もだ。これは、最初の冒険者って言われてるやつの話なんだが──」


        2


 ソウハは夜の街路に立ち止まって、目の前で繰り広げられる事の成り行きを見守っていた。


「なぁ、いいだろ? 少し付きあえよ」


 街路の真ん中で男が五人、女性ひとりを囲っていた。昼間だというのに男たちは一様に酔っている。たちの悪い酔っぱらいの集団だ。

 ソウハはしばらく前にそこを通りかかった。そして、絡まれている女性を助けようとして途中で踏みとどまっていた。


「離してくださいっ」


 男に腕を掴まれて女性が叫ぶ。その声が聞こえないわけはないのだが、通りを歩く人たちは一様に無視を決め込んでいた。


「そう邪険にするなよ。俺たち金は持ってんだせ。一人で歩いてないで、俺たちと楽しもうぜ」


 そう言った男はまだ若い。少年と言っても通用しそうだった。

 男が顔を寄せた直後、街路に乾いた音が響いた。


「っ、このアマっ」


 男の頬には見事な手形がついていた。女性の放った平手が男の頬を捉えた証拠だ。くっきりと浮き出た手形に、ソウハは心の中で喝采を送る。

 男は手に力を込めると、掴んでいた女性の腕を引っ張りあげた。女性は小柄なためつま先立ちで、半ば吊るされるような格好になる。足がしっかり地面につかなければ力も出せない。


「やはり、助けるべきですね」


 ソウハの口からため息が一つ。そしてどこか諦めたような表情で、男たちの方へと歩いていった。


「やめなさい」


 ソウハの声に男たちが一斉に振り向いた。ソウハはいつも開いているのかどうか分からないほど細い目で、男たちを見回す。


「なんだぁ、お前は?」


 突然現れたひょろ長い青年に、回りの男たちは胡散臭げな顔を向けた。四人がソウハの回りを囲む。


「離してあげなさい」


 ソウハは回りを無視して、女性の手を掴んでる男を見た。


「無視すんじゃねぇ」


 酒の勢いも手伝って、男たちは一度にソウハに向かって殴りかかった。

 ソウハは一人目の手首をとり、そのまま引っ張って二人目に向かって突っ込ませた。二人目は避けきれずにそろってその場にもつれて倒れる。腕を引っ張った勢いを利用して三人目に後ろ回し蹴りを放つ。最後に、回転して正面になった四人目の顎にソウハの拳が決まった。

 数秒のうちに、ソウハを囲んだ四人は路上に倒れていた。


「さあ、その女性ひとを離してください」


 ソウハは何事もなかったかのような顔で、頬に手形がついた男に近づく。


「く、来るんじない!」


 男は怯えていた。だがソウハの顔をまじまじと見て、急に何かを思いだしたような表情になる。


「……お前、もしかして親父が雇ってる傭兵じゃないか?」

「そうですが……」


 男の顔に、いやらしい笑みが浮かんだ。


「だったら話は早い。見なかったことにして、どっか行っちまいな」

「嫌だと言ったら?」


 ソウハの言葉に男の笑いが引きつった。声を荒げたわけでもなく、強い調子で言ったわけでもない。だが先程見せた手際の良さが男を怯えさせていた。


「親父に言いつけるぞっ。そしたら、お前はクビだ。いくら親父のお気に入りでもダメだ。絶対にクビになるぞ!」

「実はそう思って、さっきまで見ていました」女性の方をすまなそうに見る。「でも、穏便に済みそうになかったもので」

「お、お前クビになったら困るんだろ? 遺跡の研究とかで金がいるって言ってたよな?」


 最後の方などは猫撫で声で、男は喋っている。


「確かに困りますね」

「じゃ、じゃあ?」

「だからといって、このまま見捨てるわけにもいきません。さあ、離しなさい。そうすれば私もあなたを殴らないですむ」


 男は無意識のうちに手を離し、数歩後ずさる。その隙に女性は素早くソウハの後ろに回り込んだ。

 男が一瞬しまった、という顔をする。ソウハを見て、女性を見て、男は再びソウハを見た。その顔が赤いのは酔いのためだけではないだろう。


「くそっ、クビだ。お前はクビだ。親父に言いつけてクビにしてやる」


 それだけ叫ぶと男は仲間を見捨てて逃げていった。


「あの子の父親は、子煩悩ですからねぇ」


 ソウハはため息をついた。子供の言うことなら何でも聞く父親だ。それも、疑いもせずに、だ。間違いなくソウハはクビになるだろう。


「あの、ありがとうございました」


 そう言われてソウハは女性の方を振り返った。

 ソウハが長身なせいもあるが、ずいぶん小柄な女性だった。黒い瞳と可愛らしい唇。短く切りそろえた髪も黒かった。少女であれば可愛いいと表現するところだが、全体的に大人びた印象を受ける彼女は、美女と表現したほうがいいだろう。

 小柄というよりは、この女性のいたところではこれが標準なのだろう。その証拠に服の上から分かるほど均整のとれたプロポーションだった。


「いえいえ。こちらこそ、すぐに助けなくてすみません」


 ソウハは頭を下げた。丁寧なソウハの態度に女性の表情が和らぐ。そして呟きが、彼女の口から漏れた。


「……見つけた」

「はあ?」

「あ、いえ、何でもないです。それよりも傭兵、なんですよね?」

「ええ、一応」

「じゃ、わたしに雇われてくれませんか?」

「えっと……まだ雇われの身でして……」


 ソウハの口調は弱かった。


「でも、クビになったんでしょ?」

「……多分」


 彼女の遠慮のない言葉に、思わずソウハは頭を抱える。


「じゃあ、決まりですね?」


 女性はなぜか期待を込めた目でソウハの返事を待った。


        ※


 雇い主の下へ帰ってすぐに、ソウハはきっちりクビを言い渡された。淡い期待を抱いた分、傭兵はすっか意気消沈していた。

 肩を落し、助けた女性と街を歩く。女性の方はなぜか嬉しそうだ。

 寝床まで失ったソウハは宿を探さないといけなかった。探す途中で女性はリュラと名乗った。


「そちらの話を聞かせてください」


 無事宿も見つかりすっかり落ち着いた頃、リュラはソウハの部屋へとやって来た。何か言いたいことがあって来たらしいのだが、リュラは部屋に入ってから何も喋っていなかった。

 彼女に雇われるかどうかはまだ決めてない。傭兵を雇うと言うぐらいだから、危険な依頼なのだろう。その話を聞かないことにはどうにもならない。ソウハはリュラが喋り始めるのを待った。


「わたし、人間じゃないんです」

「はあ……」


 ぽつりと漏らしたリュラに、ソウハは気の抜けた返事をした。


「あの……リュラさん?」

「判ってるんです。ソウハさんの言いたい事。でも、本当です。わたし人間じゃありません。妖精なんです」


 リュラは消え入りそうな声で言った。


「妖精って、あの、御伽話に出てくる?」

「はい」

「…………」

「…………」


 ソウハは失礼だと思いながら、目の前にいるリュラをまじまじと見てしまった。


「あの……」


 ソウハは黙り込んだまま、ぴくりともせずにリュラを見つめていた。目が細いため一見すると眠っているように見える。


「……やっぱり、信じてもらえないみたいですね。証拠、お見せします。

 ソウハさん、少し後ろを向いてもらえますか?」


 躊躇いがちにそう言うとリュラはソウハに背中を向けた。

 ソウハも素直に後ろを向く。そして何事かと考えるソウハの耳に衣擦れの音が聞こえてきた。

 ソウハ驚いて振り返ろうとするが、なんとか踏みとどまる。


「こちらを向いてください」


 リュラの言葉にソウハはゆっくりと振り返った。

 最初にソウハの目に飛び込んできたのは、真っ白いしなやかなうなじから肩のラインだった。どきっとして視線が一度、止まってしまう。続いて白く華奢な背中と腰の高さまで降ろされた上着が見えた。


「リュラさん、それは……」


 服の下から現れたリュラの白い背中には、薄い衣をまとったように透き通った膜が覆っていた。よく見るとそれは四枚あり、左右対称で計二対の羽根だった。


「納得してもらえましたか?」

「え……ええ」


 ソウハはまだ呆然としていた。


「あの……また後ろを向いててもらえませんか? 服を着ますから」

「すっ、すみません」


 顔だけソウハの方へ向けてリュラは恥ずかしそうに言った。ソウハの顔が一瞬で赤くなり、すぐに後ろを向く。


「もういいです」


 リュラの言葉にソウハは振り返った。どことなく気まずい沈黙が二人の間にあった。お互い何か喋ろうとしてきっかけが掴めずに、口を開くだけでまた閉じてしまう。やがてソウハから喋りだした。


「飛べ……るん、ですか?」


 ソウハは言いながら自分でも間抜けな質問だと思った。


「いいえ。飛ぶことはできません」


 可愛らしく笑ってリュラは答える。


「わたしたちはの羽根は魔力を集めるためのものなんです」

「魔力を?」

「はい。妖精は普通、花や木の蜜。木や草の実を糧にしてるんです。御伽話に出てくる妖精なら、それで十分なんです。

 でも、わたしたち〈妖精人フェアリー〉はそれだけじゃだめなんです。わたしたちは生きていくために、自然に満ちる魔力を糧にしてるんです」

「そのために羽根があるんですね。しかし、なぜそのことを僕に話したんです? 妖精だとばらすことは、人間が身分を証すのとはまったく違います。僕はあなたを捕まえて、売ってしまうかも知れないんですよ?」


 ソウハの言葉にリュラは笑って見せた。


「ソウハさんは、そんな人じゃありませんよ」

「はあ……」


 屈託のない笑顔で言われ、ソウハは気が抜けたような返事を返す。


「わたし、ある目的があって村を出てきたんです。それで、村に帰りたいのですが、今日みたいな事がこれからあるかも知れません。

 人間の世界は初めてなんで、今日みたいになったらどうしていいか分からないんです。だから……村まで送ってもらえませんか?」

「村に帰るということは、目的を果たされたんですね?」

「え? あ、はい」


 上目遣いでソウハの顔を見ながらリュラは答えた。


「その村には、僕が行ってもいいんですか?」

「ええ、来ていただかないと……あっ!?」


 リュラは慌てて口を押さえた。リュラの目が恐る恐るソウハを見る。ソウハは何か考え込んでいる様子だ。


「報酬は今すぐには無理ですが、村に着いたらそちらの言い値で払いますから」

「……わかりました。あなたを村まで送りましょう」

「ありがとうございますっ」


 ソウハが意外に思うほど、リュラは喜んでみせた。そんな彼女を見てソウハは色々と浮かんだ疑問について考えるのを止めた。

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