第26話 問屋所

 その建物に名前はなかった。不便もなかった。


 だが、村を出て、町を知っている者としては不便でしかない。あそことかあれで通じるほど、村の連中と心は通じていない。


 で、行商隊を相手にするところななので、おれは便宜上、問屋と呼んでいた──ら、いつの間にか問屋所となっていた。いいのか、それで?


 まあ、それでいいのならおれに否はない。開け放たれた戸を潜った。


「マダサ爺さんはまだ生きてるかい?」


 行商隊を相手にするので人は多いと思いがちだが、問屋所には三人しかおらず、行商隊が来ないときは暇なところなのだ。


「生きとるわい! クソガキが!」


 七十手前の爺様にかかれば三十なんてハナタレ小僧。小さい頃から言われてるのでなんの反論も湧かない。もう挨拶みたいなもんである。


「アハハ。それはなにより。妖怪になる前に死ねよ」


 この地域では百歳を超えると妖怪になるって信じられてるからな。


「ふん。妖怪になってお前を食ってやるからそれまで死ぬんじゃないぞ!」


 前は思わなかったけど、前世の記憶が蘇ってみると、これ、ツンデレ同士の会話じゃね? とか思いはしたが、認めたくないのでサラリと流しておきます。


「ったく。生きてるならマメに来やがれ。カサネが文句を言っとったぞ」


 カサネとは村長んちの飯炊き婆さんで、魚を釣れと勧めてくれた恩人でもある。こりゃ、貢ぎ物してお怒りを静めんとな。


「そんで、今日はどうした? 大荷物背負こんで」


「金か米に換金してもらおうと思ってな」


 背負子を下ろし、床に置く。


「なんじゃいこ──」


 言葉途中で固まるマダサ爺さん。長く生きてるだけあって森王鹿の角であることがわかるらしい。さすが花木村の生き字引。知っていてくれてありがとうございます。


 これで知らないとかだったら話にならんからな。


「なんだい、マダサ爺。なに固まってんだ?」


「なんか珍しいものか?」


 書き物をしていた残りの二人も出て来て森王鹿の角を覗き込んだ。


 二人はわからないらしく、角を無造作に触っていた。


「だしゃらっ!」


 マダサ爺さんが叫び、二人を蹴りつけた。


「な、なにすんだよ!?」


「なんだよ突然!?」


 困惑する二人。怒るマダサ爺さん。まあ、よくある光景なので驚きはない。


「これは森王鹿の角じゃ! 無下に触っていいもんじゃない!」


 おれは無下に叩き割ったけどな。でも、マダサ爺さんの驚きからして、おれが思う以上に貴重なもののようだ。


「お前、これはどうしたんじゃ!」


「山に入って拾った。やっぱ、森王鹿の角だったんだな」


 それとなく作り話のフォローをしておく。真実は小さいことの作り重ねである。


「山に入った? なんでだ?」


「昔の知り合いが尋ねて来て、蜂蜜を集める仕事を依頼されたんだよ。その途中で見つけた。去年、狩人の連中と森王鹿を見た場所だ」


 その話はマダサ爺さんも知っている。ウソとは思うまい。


「まあ、お前は変な知り合いが多いからあり得る話だし、狩人の連中からもその話は聞いておる。が……」


 と、胡散臭げにおれを睨むマダサ爺さんに苦笑する。


 花木村の生き字引は村一番の鑑定士でもあり、海千山千の行商人とやり合う交渉人こうしょうびとでもある。洞察力はずば抜けて高いのだ。


「そこは流してくれると助かる。相手は大陸の貴族様なんでな」


 大陸の国が強国なのは何百年も前から知られているし、貴族が商売に来ることは田舎もんでも知っていることだ。たまに大陸の商人が街道を通るからな。


「お前は大陸にまで知り合いがいんのかよ。どう言う人生だ?」


 別に珍しくもない人生だよ。前世の記憶が蘇るまでは、だけどよ。


「とにかくだ。これを買い取ってくれるか、米と交換してくれ。もちろん、物が物だから適正で買い取ってもらおうとはしないさ」


 森王鹿の角の適正価格なんて知らないが、最低でも金板三十枚は下らないだろう。別名、金の角と呼ばれているのだからな。


「まあ、森王鹿の角は献上品のもんだからな、うちの村の金をかき集めたって払い切れねーよ」


 森王鹿を狩ろうとしたら村四つくらいから資金を集めて、一流どころの狩人を雇わなくちゃならない。それでも成功するのは二割。もう損をするためにやってるのかと思うくらいだ。


「運よく拾ったもんだし、自分の育った村からむしり取ろうとは思わねーよ。銅銭百枚と銀銭五十枚。あと、米俵二十でどうだ?」


 投げ売りどころか捨て売りだろう。


「……お前、なにを考えておる……?」


 さすがマダサ爺さん。素直には飲んでくれないか。


「お前は昔っから頭が切れるガキだった。手下を使って大人の裏をかき、米やら野菜を掠め盗る。今のお前は、あの頃と同じように目を輝かせてるわ……」


 頭脳派系悪ガキだったのは認める。が、そんな輝かせていたか? あの頃は生きるのに必死で、ギラギラさせていたように思えるんだが……。


「まあ、よい。それで村長と掛け合ってやる」


「それくらいならマダサ爺さんの判断でも大丈夫だろう?」


 村長からの信頼も厚いし、損をするのが嫌いな性格でもある。ある程度の裁量は与えられているはずだ。


「アホ抜かせ。物が物だけとお前が言っただろうが。村長に話を通す一大事だわ」


 そう言うと、問屋所を飛び出していってしまった。

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