3-3
部屋の窓から光量が消え、完全な夕闇になった頃、ドアをノックする音が部屋に響く。それで眼が覚めた詞御は、
「こんな時間まで寝ていたのか……」
「お目覚めですか詞御。寝顔、可愛かったですよ」
「可愛いはないだろう、恥ずかしい。依夜が来たみたいだな」
扉越しに感じる知った気配に、詞御は警戒なく入室の許可を出すべく、部屋の錠を外す。
「遅くなりました。もうお母様ったら雑用を押し付けるんですもの」
愚痴を言いつつ、荷物を持って依夜は部屋に入ってくる。それに続いて、移動式の手押しワゴンを押した一人の女性給仕も。ワゴンには〝四つ〟の大きな膳が置かれている。それを手際よく机に並べると、給士は何も言わずに、ただ一礼して部屋を後にする。この部屋には二人の人間と一体の倶纏。それに対し、膳は四つ。これの意味するところは一つしかない。
「さて、詞御さん。無事に勝てた訳ですし、約束どおり何を訊かれますか?」
机にある椅子の一つに座った依夜は、同じく真向かいの椅子に座った詞御に対してそう問うてきた。ちなみにセフィアは詞御の隣に座っている。そういえば、今朝そんな約束をしていたな、と思い返し、取り敢えず、一番手っ取り早い質問をする。
「膳が一つ多いのは〝やはり〟なのか?」
そう言うと、依夜は、苦笑する。そして空いている席に手をかざし、現象で詞御に答えを示す。彼女の横の椅子に深紅の粒子が集中し型を成した。
「詞御さんやセフィアさんはもう察している事だと思いますが、改めて、わたしの倶纏を紹介しますね。〝ルアーハ〟です」
背丈は、護衛と同じくらいだろうか。
闘技場で闘った大きさを人間サイズにした竜人の姿が其処には有った。
「お初に、というのは語弊があるか? 昨日の闘いで気取られてしまったからな。儂も修行が足りん。儂はルアーハという依夜の倶纏じゃ。ほっほ、〝同属〟と会話が出来る日が来るとは思わんかったのぅ」
「私も、意識体のある倶纏とお話しするのは初めてなので、嬉しいです」
「最初に出会ったのがあの巨体だったからな、自分は多少の違和感は感じてはいるよ。とはいえ、他人の倶纏と話すのも、倶纏同士が会話するのを見るのも初めてだから、なんか嬉しいよ」
そういうと、ルアーハは詞御の方を向き、そして訊ねてくる。
「お主のことを、〝高天殿〟と呼んでいいかのう?」
「構わない。自分はなんと呼べばいい?」
「普通にルアーハ、で構わんよ」
「分かった。よろしく頼む、ルアーハさん」
「こちらこそ宜しくじゃ、それと依夜と同じく儂の事も呼び捨てで構わんし、敬語も止めてくれ。お主に敬語で言われるのは依夜と同様、何故かどうもしっくりこんのじゃ」
威厳という事で見ればこの面子ではルアーハが一番にある。故に、自然と敬語になってしまっていたのだが、当の倶纏がそう言うのなら、なるべくそう努めようと詞御は思った。
「わかったよ、ルアーハ」
〔まあ、そういう意味では今日も定着してくれ、セフィア〕
〔了解です、詞御〕
「あんたも食事するんだな、ルアーハ」
「一度食べる事の楽しさを知ってしまうとな」
「そうですよね。一度食べる楽しさを知ってしまいますとね。昨日の夕食と今朝の朝食はちょっと私には拷問でした」
「仕方ないだろう、あの時は、お前の存在は明かせなかったんだから」
「食の恨みは恐ろしいんですよ、詞御」
「そうじゃのう、儂も何度食べ損ねたか。のう、依夜?」
「公式な場で貴方を出せるわけ無いじゃないですか、わかっているくせに」
人間二人と倶纏二体が一つの机で会話をし、食事をする。
世界の常識からすれば、奇異や稀有ともいうべき空間がそこには存在していた。
他愛もない話をしながらも食卓は進んでいく。気が付けば、瞬く間に料理は器から無くなっていた。
食後のお茶を啜りながら、詞御は胃を落ち着かせる。
「しかし、ルアーハも器用だな。その指で器用に箸を使って食べるのを見たときは、ちょっと驚ろかされたよ」
「流石に手掴みでは食えんからのう。依夜からは『箸を使えるまでは駄目』と厳命されておったので、箸の習得には必死じゃった」
笑い声が部屋に行き渡る。
「そういえば、詞御さんに訊きたい事があったのですが、良いですか?」
「なに依夜。改まって」
「詞御さんが浄化屋にこだわる理由です。詞御さんの実力を以てすれば、適正年齢に達すれば、軍でも警察でも要人警護でも引く手数多だと思うのですが」
その事か、と詞御は思った。別段隠すこともないので、素直に口にする。
「理由は二つ。一つは、俺の欠損も関わっているんだが、一日しか記憶が保たないのなら、その日暮らしの野良猫暮らしを満喫する事が出来れば良い、と思ってね」
「野良猫暮らし、ですか?」
「そ、野良猫暮らし。自由気ままに何にも縛られずにその日その日、一日一日を大切にする暮らし。他者と“
「……わたしには良く分かりません」
依夜が釈然としない表情で呟く。依夜には分からない事だらけだった。何故ならこれまで色んな人と関わって生きてきたから。束縛されているという感じもしない。だから、詞御のいうところの〝野良猫暮らし〟というのは理解できなかった。過去も未来も鑑みず、現在だけを謳歌するという人生に。
だが、詞御の欠損を考えれば、そういう考えにも至る物だろうか、とだけは理解した。
「分からないならそれでいいよ。あくまで自分が欲する生き方だからね。他者がまねして面白いかは分からないし」
依夜の態度には我関せず、詞御は言葉を続ける。別段理解してもらおうとは思っていなかったから。詞御には
「二つ目は――」
「――人助けの為ですよね、詞御」
「人助けですか?」
「こら、セフィア。自分が話しているところだぞ」
「良いじゃありませんか、私が口を挟んでも。詞御ってば、小さいころから、人の泣き顔や苦しんでいる顔を見るのが嫌いで、なんとか笑顔にしようと奔走したものです。幼稚園なんかでは、いじめっ子を許せず、やり返した事もしばしばです。その思いは歳を重ねる事に強くなっていきました。そして、〝あの日〟を境にそれは一層強くなりました」
「〝あの日〟とは?」
依夜が訊ねてくる。詞御はしょうがないと頭をぽりぽりと掻きながら、依夜の目を見ず、あさっての方向を見ながら、覚えている、いや忘れないように定着させた過去の記憶を掘り起こす。それは詞御にとって覚えている記憶の中でもっとも辛い過去。
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