偽装人形の眠り
鍋島小骨
ねじれた依頼は雨の夜に
ところで、人間は鏡の中に
与太話はともかく、
だが、本物がどこにもいなくなれば、分身が本物になる。
* * *
信号の光が青から黄色に変わると、その薄黄色でぼんやりと室内が照らされた。雨だ。窓は外の信号と同じ高さにある。窓
「よくこんな薄暗さで本が読めるな」
呆れ声を乗せて足音が近づいてくる。そうなることは知っていた。玄関の照明がついた音、ドアノブが静かに回される音、廊下を歩く軽い足音、階段を登ってくる足音、建物入り口でコートを脱いで雨滴を払った音、そこまで雨の道を走ってきたことも、僕には全部聴こえている。
「もう夜遅いぞ」
「お前が言うか? 二十三時が遅いって? 日が暮れてから起きるくせに」
「一般的に遅いと言ってる。何か持ってきたな」
「地獄耳。依頼だよ、ほら」
彼が差し出した封筒には写真数葉と調査書のようなものが入っていた。
失踪者はマルグリット・ザンデルリング、二十七才。高校卒業後は実家に住み、六年前に失踪。警察は家出人として受け付けはしたが、事件性については懐疑的。その後手掛かりなし。このたび母親が捜索を依頼。なお、これまで数社に依頼するもマルグリットを発見できず。その他資料。
「
「少しは楽な仕事もした方がいいだろ。人探しなら俺が手伝ったっていいんだし」
「あんたがねえ。まあこの人なら探すまでもないよ。死んでいる」
は、と彼は言いながら向かいのソファに座り、「知ってる奴か?」と聞いた。
知っている。故郷を離れこの大都会に出てきて、幾つかの職を渡り歩いたことも。たとえば、裏通りのバーの雑用係、メール配達員、等々。
「なんだ、知り合いなら教えろよ」
「教えてもいいよ。代わりに僕にも教えて」
なんだよ、と彼は笑う。見慣れた顔と、見慣れた髪型、見慣れた仕草と喋り方。よく似ている。
でも、似ているだけなんだよな。
僕は写真をテーブルに置きながら言う。
「ヴィゴ・ザハールカの姿をした君は誰だ?」
彼は僕を見て、そして、「何言ってんだ?」と困ったように笑う。
よくできているところもあるから、燃えるように腹が立つ。
* * *
ヴィゴは僕の毛布だ。
ふざけてると思われるかもしれないが、これは文字通りの意味で、ヴィゴは世界で唯一、不眠症の僕を寝かしつけることができる。
社会的には軍人上がりの捜査官で、子持ちのバツイチで、男で、恐らくめちゃくちゃな趣味をした変な奴だ。
今、目の前で死んでいこうとしている『ヴィゴの姿をした何か』は僕の知るヴィゴではない。あらゆる意味で。
それは今、僕の目の前で、両脚と腹の銃創から血を流し、どうして、と
「どうしてって」
僕は銃を内ポケットにしまいながら、無感動に答えた。
「君はヴィゴじゃないし、情報は君の意志とは関係ないやり方でも取れるし、取ったらさっさと行かないといけないから。大体、僕がブチ切れるのはそっちも折り込み済みだろう」
どうして撃った、とそれは僕に訴える。
君が擬態したからだよ。君を寄越した奴が悪い。
とりあえず、目の前で
僕は、ソファの上に倒れ込んでまだ何か言おうとしているそれの血まみれの身体に
「やめろ、――ジーク、やめろ」
僕の手にしたナイフ、僕の動作や声から読み取れる害意、そうしたものからそれは僕に刺されると判断し、感情的な反応を返す。恐怖。苦痛。哀願。表情で、声で、身体の震えで、僕に『傷付けてはいけない』と思わせようとする。だがそれは僕にとって何の意味もない、空虚な出力だ。
「ジーク。どうして」
僕はヴィゴにこんな哀れっぽい声を出させたことはない。それをシミュレートして出力されるのがひどく気持ち悪い。作り主を絶対に吊るす。
一切の躊躇なく、的確に力を入れて刺し込む。
ゴキッと肉の下で音が鳴り、それが叫ぶ。顔の骨格が形を変えている。
接合部で割れた骨に皮と肉が引っ張られ、ゴムマスクが取れるみたいに上下の
僕の掌の下、乱れる吐息。撃たれて動かせないはずの身体がびくびくと跳ね、暴れる。
「静かに」
僕は頬骨のパーツを浮かせて温かいその隙間に指を突っ込み、
「どうせ
暴れる身体と動く頭を押さえつけながら、
外装を取り払われた眼窩には、つるりとした眼球がおさまっているのが見えた。黄色っぽい脂肪の残りと赤い維持液にまみれながら、その側面に付着した幾つかの人工筋肉によって震えて動こうとする眼球。
失神しないな、と思う。バグったのかも知れない。
「ジーク……」
まだそう聞き取れる何らかの発声を試みている。
僕は
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます