僕は小説が読めない

 彼との出会いを語る前に読書について語らせて頂きたい。

 最近確信したのだが、私は小説が好きではないらしい。趣味は何ですか、と人に聞かれれば読書と答える。しかし、小説を読むのは苦痛なのだ。

 小説を読むのは辛い。とても辛い。商業小説ですら大概は苦痛である。なんでこんな苦行を趣味としているのか自分でもわからない。

 感想を送るのは義務だ、とツイッターのタイムラインで流れて来たが、正気か?と思う。読む苦行に加えて、それ以上のものを要求をされるのだ。物書きとは難儀な生物だと判断せざるを得ない。


 彼との交流の切欠は自分の小説嫌いに由来する。私はカクヨムの自主企画を行った。小説を読むためだ。

 何度も言うが小説を読むのは苦痛だ。好きで読んでいるのだろ、と言われるかもしれないがもはや強迫観念に近い。そこで自分を追い込む為に自主企画を立ち上げたのだ。これなら読まざるをえまい。そんな下らない理由である。

 この自主企画に投稿して頂いた作者の1人が彼だ。彼の作品は最初に読んだ。中華戦記ものと言えば想像できるだろうか。その作品は情熱にあふれた大作であった。復讐が主題の物語は主人公を中心に幾度も情景を変えて来る。特に最終章と呼ぶべき展開が素晴らしいのだ。ネタバレになるので詳細は書かないが、久しぶりに読書を楽しんだ、と断言できる。私はこの主人公の生きざまが大変愛おしかった。

 そこで一作目にして既に優勝、大賞であると講評で述べている。まだ全ての作品を読んでいないので変わるかもしれないが、現状はこの作品こそ英雄譚大賞の名が相応しいと思っている。


 この作者とツイッターで対話した。というか、自分がエゴさして押し掛けたと言って良いだろう。端的に言って惚れたのだ。私はあの作品が好きだからあなたの事をもっと知りたい、という厄介なファン心理に抗えなかった。

 しかし、この作者自身もなかなかの厄介者であった。突然作品を読めなくしたことがあった。どうして読めなくなった。あの作品の霊圧が消えた!?と、戸惑い作者のツイッターを覗いてみたら、もうどうしようもなく拗らせていた。

 作品に対する評価(感想)の独善性について悩んでいたのだ。独善的な感想の何が悪いのか。むしろ作者におもねる感想の方が悪いのではないのか。

 読むか読まないかの取捨選択の独善性についても悩んでいた。話は変わるが有名なサッカーライターにはどんなカテゴリーのサッカーでも面白いと公言するサッカーフリークもいる。しかし、その彼だって見る試合は選ばざるをえない。物理的に無理なのだ。これは誰しもわかることだろう。アフリカの草サッカーを日本で見る手段などないに等しい。


 そして、この作者の拗らせ方はこれだけに収まらなかった。自主企画を始めたのだ。それだけならば私もやっている。しかし、かれの暴君たるやなかなか凄まじいものがあった。題材がまず凄い。一瞬ネタかな、と思ったが本気であった事が彼の行動で明かされる。

 彼は、傍目からは、気に入らない作品を次々に退出させていった。それによってかなり荒れた展開になる。

 その様を見ていた自分は俄然興味が沸いてきた。この自主企画用に筆(スマホ)をとって駄文をしたため初めた。しかしこれは未完に終わる。治療文化批判について書こうと思ったのだが、真面目にやるには文献を買わなければどうやっても書けないと思い至ったためだ。

 ただ、後悔の念は強い。あの題材は私の性癖に刺さる。どうしようもなく刺さる。彼と刺し違える覚悟で参加したかった。嫌われるにしてもとても楽しかっただろうな、と未だに思う。

 これだけ強く思っていても、私は何も書けなかったのだ。

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