1話


 あたしと相棒の追跡は、とにかくガマンを要した。

 下水道めいた道はカビ臭く、あたし自慢の羽毛も湿気で静電気が貯まる地下ダンジョンだ。


 空のない街にも夜は来る。

 上の階層の地面が、下の階層が眺める天井。

 太陽代わりの電灯が消えれば、それが夜。

 真夜中の教会にあたしと“相棒”は来ているが、それは信心のために神を探しているわけじゃない。

 最も現実的でお金になる人を探しにきていた。


 あたしと相棒は軍警察も見逃した失踪者の薄い痕跡を見出し、追跡している。

 有能だからね。特にあたしが。三日掛かってるけど。

 第二階層の市街地の外れにある、なんの神を湛えているかも分からない荒れ果てた教会。

 割れたステンドグラスから差す光を頼りに、次の痕跡を探す中、不用意に踏み抜いた床下に隠し通路。

 ……踏み抜いたのは相棒で、あたしじゃない。念のため言っておくけど! あたしみたいなスマートなレディが! いくら腐って脆くなってたとしても! そんなに重い! わけが! ない!


 相棒はあたしが居ないと何もできないし仕方ないけど、お腹減った。

 食事をしたのは今から丸一二時間前。遺跡の隠し通路を発見してしまったので仕方ない、仕方ないのだが。

 ……。

 ………。

 …………。


「あきタァーッッ!」


 あたしの声がダンジョンにこだまする。

 もうずっと歩きっぱなし! 相棒が! それからずーっと肩の上! 地下ダンジョンはムレるしクサいし、最悪! 


「なんカ、ボスキャラとか出ないかナ! 退屈!」

「当たって欲しくない推理をするのをやめてくれ。ワトのそういう勘はよく当たる」

「ワ・ト・サ・ン! 年上を呼び捨て厳禁だっテ! セロ、親しき中にも礼儀あリ!」

「ハイハイ」


 あたしは灰色鴉グレー・クロウのワト。

 この礼儀も知らない若造……っていうと、あたしが年増みたいじゃない。

 相棒は猛城(たけき)セロ。

 どんなに蒸し暑くても紅色のマフラー、鈍色のトレンチコートと安物の手袋を脱ぐ気配もない。

 四季がなく、寒くも暑くもない“この街”でオシャレでしているつもりの伊達気取りが、あたしは一番ダサいと思っている。

 ファッションセンスはセロならぬゼロ。体力は人よりある。頭脳労働のあたしと肉体労働のセロって役割分担ってわけ。


「……大声を出すなら、ダルバン白爵(はくしゃく)の名前でも呼んでくれないか」

「生きてるって確信があるわケ? 行方不明になってもう一週間くらいでしョ」

「ないさ。ただ誰かが探してくれてるって考えれば、頑張れるもんさ」

「セロ、貴族は嫌いなんじゃないノ?」

「嫌いだよ。だが……いくら貴族でも死ぬことはないだろ」


 ……ま、良い子なんだけどね。

 あたしは、口の構造がヒトとちょっと違うので、語尾がちょっとおかしな発音になる。それもカワイクて気に入っているけどね。

 あたしは左肩から右肩に飛び移る。片側だけ筋肉を鍛えてしまったら止まり心地が悪くなるから仕方ない。

 暗がりを進み、そして匂いが変わった。天井が広い。

 メイヅスは階層ごとに分厚い仕切りがある。

 排水道や強度を保つための層で、その中には未発見の空間がしばしば存在している。

 ダルバン白爵はそこを発見した。そして“何か”が起きて戻れなくなった。その原因が、この先にある。


「なんなんだ、これは……?」


 ダンジョンを進み、出たのはドーム状の広場。サッカー場が丸ごとひとつ入りそうだ。

 メイヅスは地下都市でありながら、その規模は果てしない。これほどの大きさの物体をどうやって地下に建造したのか、メイヅスに住む人間は誰も知らない。

 最初はカーテンか何かかと思ったが、違う。この空洞には至るところに視界を遮るように糸が張り巡らされている。

 一本ずつは細いが、それが寄り集まり、壁面や天井を埋め尽くしている。ここが岩なのか金属なのかも判然としないほどに。


「ネバつく糸……だな。クモの糸に似ている」

「当たっちゃったかナ?」

「何?」

「これ、絶対ボスキャラとか出るでしョ」

「――なんとかするよ。“D”か“C”かな」


 水が滴るような、糸がきしむような、弱々しい音。

 ドーム内を反響しているが、幻聴の類ではない。何かが動いている音と声だ。

 広いといっても捜索に大して時間は掛からず、その男をあたしたちはあっさりと見つけ出した。

 天井から吊り下げられた繭玉のような物体から、青白い顔が覗いている。

 白い糸にグルグル巻きで怪しいが、その服装は写真で見せられたダルバン白爵(はくしゃく)そのもの。

 彼はかなりの肥満体のはずだがその男は絞られたようにガリガリであるが、そのガリガリ以外はかなり瓜二つだ。


「おい! あんたがダルバン白爵か!」

「あ……う……」

「安心しろ! 俺は探偵! 助けに来た!」

「……ひろ……」

「無理に喋るな! 安心しろ!」

「ぃがう……うひろにヤツ……」


 ヤバイ。“後ろにヤツが居る”だ!

 後方の糸が揺れて空気が動いた。そのことにあたしたちは同時に気付いたが遅い。先手を取られた。

 あたしは反射的に肩から飛び去り、セロは身を翻そうとしたが、加速の乗り切った振り子のような一撃はセロの脇腹に叩きこまれた。


「っァゥ!」

「セロッ!」


 ゴムボールかなにかのようにセロの身体はワンバウンドし、糸の柱へと叩き込まれた。

 セロの着ているダサいコートには防弾、防刃、防魔の加工が施されているが、衝撃自体は大して吸収はしない。

 つまるところ、交通事故で吹き飛ばされたような衝撃は受けている。

 竜脂入りのヘアワックスで固めたオールバックは崩れかけ、糸玉から起き上がったセロは初めて今回の犯人……いや、犯モンスターを見る。

 全裸の彫像のような青白い女の上半身に、十本足の蜘蛛の胴体。こいつ、知ってる。


「アラクネー! 太陽に抗う魔人のひとりダ! 気を付けロ!」

「……そうか」


 セロ、本気で痛そう。

 か弱い肉体労働担当のあたしがひとりで逃げたのは仕方ないことだが、さすがに申しわけない。頑張れ、体力担当。

 セロはそんなことで怒りはしないが……って、言っている場合じゃない。

 血の混じった唾を吐き捨ててセロは立ち上がる。隠しているがかなり無理をしている立ち方。長くは戦えそうに、ない。


「……ワト、ディーだ!」

「任せとケ!」


 あたしは体内の亜次元に念を込めてくちばしから刀を射出する。

 その刀はセロの“左手”の中で、複雑に乱反射して朽ちた遺跡の中を照らす。

 “D”は馬上槍のような形状で刃がないが、代わりに規則的なミゾの彫られている奇剣。

 あたしの中に収納されている刀たちの中で最も扱いにくく、最も安っぽく、最も異様で、そして最もセロに似合う一本。

 ダンジョンの淀みきった空気の中、セロの吐いた息は、笛のように澄んでいる。

 深く。遠く。強く。探偵ではなく剣豪の呼吸だ。


 相対するアラクネーの肉体は、死そのもののように静かに動く。

 人間部分の口から唾液がしたたり自らの乳房にダラダラと散る。

 蜘蛛の足の毛が揺れて胞子のような埃を散らす。

 人喰いのバケモノ。だがセロは変わらない。


「……行くぞ」


 セロは――消えた。

 アラクネーは人の頭部しか持たないが、蜘蛛のように数多の眼球が有ればセロの動きを捉えることができたか? いや無理ね。

 見失う瞬間、セロは“右手”を地面に着いた。

 甲高い短い音とともにセロの手袋を裂けた。

 セロの右は義手だ。鋭利な指輪と硬質ゴムのベルトが表面を埋めている特別製。

 それは履帯という。高速回転するキャタピラだ。

 キャタピラの爆発的な加速によって、セロは身体を発射するようにスライディングさせ、蜘蛛の真下へと入り込んだ。

 ――決着! あたしはセロの代わりに叫ぶ!


「キャタピラダッシュからノ! 必殺! ドリルブレード、だア!」


 あたしが技名を言い切るより早く、セロのドリルブレードは蜘蛛の胴体から女の頭部まで貫通、そして粉砕していた。

 引きちぎられ、魂を持たない肉片は灰となって風もない地下遺跡に降り積もる。

 ドリルブレードは、掘削工事用のドリルから安全装置を取り外しただけの代物で、並の握力だと敵ではなく使っている腕がちぎれるような出来損ない。

 工具用品店どころか古道具屋でも買えるような電気工具は、どんな伝説の武器よりもセロに馴染む。

 ドリルブレードをマフラーで拭い、丸一日掛けて解決しようとした事件が刀を使って数秒で解決することにセロは溜息ひとつ。


「……これは探偵の仕事じゃないな」

「良いでしョ。他の探偵だったら一緒に食い殺されてたっテ」

「だから、それが剣士としての仕事だって」

「……たぶん、あの女……ダモンは、こうなること、予想してたよネ」

「ああ、多分な」


 人語を話す灰鴉のあたしを連れ、マフラーとコート姿の第六階層一の義手剣士……もとい名探偵。それが猛城セロ。

 セロは知名度だけなら、探偵の中でもダントツ一位かもしれない。

 ただし、ドリルブレードのような奇剣を含む何本もの刀剣を使いこなす剣客として、だけどね。

 殺し屋に狙われているといえば殺し屋を斬り倒し、強盗団のアジトを見つけたら軍警察が到着する前に壊滅させる。


 相手が魔術師だろうと銃士だろうと、今回のようなモンスターであろうとも。

 軍警察の登場前には全て片付いている。

 探偵の仕事もしているのだが、アフターサービスが良すぎて、“なんでも武力で解決する斬殺探偵”というイメージ。

 そのことをいつも嘆いているが……けど、まあ。


「あ、ありが……とう……本当に……ありがとう……」

「歩けるか?」


 一週間、飲まず食わずで乾ききっているだろうに、ダルバン白爵は薄っすらと涙を流して礼を言っていた。

 命懸けで人を助けて、それでお礼を言われる瞬間、キラッキラしてるんだよねぇ。うちの相棒。

 斬殺探偵とか呼ばれててイヤだろうし、貴族は嫌いだってボヤく。でも良い子なのよね。セロって。


 切れ味のいい普通の名刀を使ってダルバン白爵に巻きついている糸を斬り破り、背中に白爵を担ぐ。

 あたしはそのダルバン白爵の頭の上でガマンする。

 教会まで戻って外に出ると、ちょうど天井の日光灯が点灯を始めるところだった。地下都市の夜明け。


「……お腹、空いタ」

「そればっかりだな、お前」

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