十日目 未来の都へようこそ

 夢も見ずに目が覚めた。リラからの連絡が無かったのか、深く眠りすぎて応答できなかったのかわからない。リラの身に何かあった可能性を考えると不安だ。ルソルさんに相談してみた。

「さすがに召喚術のことまではわかりませんが、夢に作用する魔術なら、深い眠りによって阻害される可能性はありそうです。確認する方法はありません。少女の無事を女神に祈りましょう」

祈りで思い出したことがある。俺はシャナラーラ女神を崇拝するという条件で色々と便宜を図ってもらったんだった。今まで祈りのひとつも捧げたことがないけど大丈夫かな……。ルソルさんに倣って手を合わせ、ごめんなさいと祈った。


 朝食の野菜スープをたいらげ、ノルセヤロカを出発する。みんなよく寝て元気を取り戻したみたいだ。街道は相変わらず人の行き来がなく、昨日より多くの魔物に襲われた。お陰で〈眩暈〉を体得できたと思う。ルソルさんがセヤロカで魔導書を買って差し上げますと言う。魔導書、魔術の手引きが書かれた書物。専業魔術士に欠かせないものらしい。あふれ出るファンタジー感に俄然やる気が増してくる。

「エトナさん、戦力増強のために魔導書を買い求めることは必要な出費と認められますか?」

「いいよー、普通の教練書でしょ? 貴重書とかじゃなければ」

そういえばワンディリマ寺院の援助でお金が使えるんだった。


 セヤロカの城壁が見えてきた。大きな文字で何か書いてある。

「未来の都へようこそ?」

「セヤロカは大陸の中心に位置する大都市です。もし魔族をすべて降し、大陸全土が統一されることがあれば、セヤロカこそが首都となるべきだ。ここの住人はそう考えているのです」

へえー、特に感想が出てこない。自分の住んでる場所に誇りを持つのは悪いことじゃないんじゃないかな。

門の衛兵は人の往来が無いせいか暇そうにしている。

「マダが街道を塞いでいると聞きましたがどうでしたか?」

そう尋ねられて、ルソルさんは迂回した事を伝えた。城壁の内側に入ってみると、確かにマデルよりも栄えてる感じがした。歩いてる人の数もかなり多い。


 ふと、道のど真ん中にこっちを向いて立っている女性がいることに気付いた。黒髪に真っ白な肌、司祭服を着て眼鏡をかけている。俺たちの方に真っ直ぐ歩いてくると、開口一番、冷たさを感じさせる声でこう言った。

「私はナクアテンの神官クレイア。旅の同行を求めます」

いきなりすぎる。

「私はマデルのシャナラーラ寺院から来ましたルソルです」

「戦闘司祭カダーシャだ」

「あー、マーヘスのワンディリマ寺院のエトナです」

「レイジです」

「姉のセラエナです」

勢いに飲まれて自己紹介をしてしまう。クレイアさんはセラ姉と同年代ぐらいに見える。眼鏡と口調のせいか、知的で几帳面な雰囲気。

「旅の同行とおっしゃいましたが、理由をお聞かせ願えますか?」

「ナクアテン神の託宣が下りました。三人の神官を伴った異邦人の旅に同行せよと」

そう言って眼鏡の位置をくいっと直す。

「その姉弟が異邦人ですか?」

「レイジ様がシャナラーラ女神の使者です。レイジ様、ナクアテン神は死と契約の神です。厳格にして勤勉、無慈悲にして公平な神です」

「あそこの神官はみんなお堅いから苦手なんだよねー」

クレイアさんはそんなことを言うエトナさんをチラッと見ると「ワンディリマの神官は奔放過ぎます」と言った。表情ひとつ変えない。

「託宣なら是非もありません。歓迎しますよ、クレイアさん」

この前言っていた、神々の思惑というやつか。ルソルさんとしては、本当は歓迎したくないのかもしれない。

「旅の目的について説明願います」

また、眼鏡をくいっと上げた。サイズが合ってないのかな?

「悪魔との聖戦だ。死神の神官、貴様は強いのか?」

「強さが戦闘能力のことを言っているのであれば答えは否です。私は障壁術専門です。強化術適性が無いことは見ての通り」

眼鏡をくいっと上げる。癖なのかもしれない。

「悪魔との戦いは最悪の場合の想定です。召喚術に適性を持つ少女が捕らえられています。悪魔召喚を目論むミリシギス伯爵から少女を救い出すことが第一目標です」

「救い出す? まさか禁術を学んだ者を野放しにするわけではないでしょうね」

「レイジ様が受けた託宣によると救い出すことが女神の意思です。その後の処遇は後で判断すべきことかと」

「シャナラーラ寺院は禁術を復活させるつもりなのでは?」

「いいえ。ですが、もし女神がそう望むのなら話は別です」

なんだか険悪な空気が流れる。リラを救い出しても、その後の処遇に問題があるらしい。そういえばルソルさんは事件の後の事を考えて行動してるって言ってたな。


 クレイアさんが眼鏡を押さえて目を逸らした。

「無駄話はここまでにしましょう、宿泊はどちらに?」

ルソルさんが答えようとしたのを遮り、エトナさんが言う。

「料理の美味しい宿を知ってるからそこで!」

セヤロカには主だった神々の寺院が揃ってるそうだ。ルソルさんはそれぞれの所属する寺院に分かれて泊まるつもりだったらしい。

「ほら、いちいち別れたり集合したりって時間の無駄じゃない? 魔導書も買いに行くんでしょ? クレイアさんはどうする?」

「愚問です。宿の名を教えてください、明朝合流します」

また眼鏡のずれを直した。クレイアさんは宿の名前を聞くと、さっさとどこかへ行ってしまう。「難しそうな人ですね」とセラ姉。

「嘘はついてないけど何か隠してるね。とっつきにくいわー。まあいいや、魔導書買いに行こ」

また雰囲気が悪くならないといいけど……。



 そこは俺がイメージしてた本屋とはかなり違った。本棚が無い。一冊も陳列されてない。店員さんがひとり、椅子に座って本を読んでいる。

「中等幻術の教練書が欲しいのですが」

ルソルさんがそう言うと、店員さんは読んでいた本に栞を挟んで一言も無く奥の部屋に入っていった。「なんか感じ悪い」とはエトナさんの感想。

「商品を把握するために膨大な数の書物を読んでいるのでしょう。読みかけの内容を忘れたくないのでは?」

「そういうものなんですか?」

セラ姉もこの本屋が珍しいらしい。

「シャナラーラ寺院では研究読書が盛んなのでよくあることです」

そんなことを話している間に店員さんは一冊の本と数字の書かれた札を持ってきた。それを机に置くと、すぐにさっきの本の続きを読み始める。

「ルソルさん、これ、相場?」

エトナさんが確認する。

「はい、適正価格です」

「それじゃあお代はここに置いときますよ」

そう言ってエトナさんが銀貨を机にじゃらじゃらと置く。え、いくらするの? 高いんじゃない? セラ姉も「魔導書って高いんだね」と言っている。店員さんは机の上をちらっと見ると、片手で値札と銀貨を引き出しにしまった。それきり読書に集中し始める。持っていけってことかな。ルソルさんが、背表紙に『幻術の実践』と書かれた本をぱらぱらとめくり、ひとつ頷く。俺に差し出した。

「よく学んでください。魔術を学ぶことはシャナラーラ女神の御心に適う行いです」

教科書をもらってこんなにワクワクするのは初めてだ。


 宿での夕食はエトナさんの言う通り、とても美味しかった。具がたっぷりのクリームシチューとチーズの入った卵料理。こってりしてるけど、しつこくない。文句なしにこっちに来てから一番の食事だ。


 部屋に移ってすぐに、魔導書を開いた。

「明日も歩き通しです。今日は見出しの確認だけにした方がいいですよ」

確かに夜更かしなどしていられない。急いで目を通そう。


 本は手書きだった。最初のページに目次がある。初等幻術、感覚の封印と撹乱、幻像と鏡像の投影。これだけで二百ページ近く使われてる。続いて中等幻術と書かれ、魔術の名前らしきものが並んでいる。ひとつにつき二十ページほどが割り当てられている。〈幻惑放心〉〈眩暈〉〈恐怖の喚起〉〈理想の偶像〉〈千の顔〉〈不可視の衣〉〈幻火まぼろしび〉〈残像の配置〉〈幻想の風景〉〈記憶の改竄かいざん〉〈偽りの幸せ〉〈心の檻〉〈狂気の演目〉〈痛覚刺激〉。なんとなく想像のつくものもあれば、いまひとつイメージの湧かないものもある。恐怖とか狂気とか不穏な単語が含まれているのが気になった。そして、最後に高等幻術という項目が三十ページほどあって、終わってる。


 覗き込んできたルソルさんが「改めて見ると戦闘向きなものが書かれていますね」と言った。

「他にもあるんですか?」

「基本は押さえられているので、ここに書いてあるものの応用でいけます。高等幻術の項目を読めば応用のコツもわかるでしょう」

また応用だ。この世界の魔術はわかりやすく呪文などがあるわけじゃない。例えるなら楽器でどんな曲を演奏するか、というのが特徴のように思える。変な考え方じゃないか、一応ルソルさんに言ってみる。

「やはりレイジ様の魔術に対する感性は並外れています。魔術の無い世界から来たというのが今では信じがたいほどですよ」

ゲームや漫画の知識が役に立ってる。色んな設定と比較してイメージできるのがルソルさんの言う感性、センスなのかもしれない。そうだとすると、ささやかだけど現代知識によるチートみたいなものかも。

そうだ、チートといえば、女神が何でもないことのようにくれた言語能力こそチートかもしれない。見たこともない文字に目をやると、その意味が日本語で浮かんでくる。この本もばっちり読める。

「そういえば、言葉ってどこにいっても同じのが通じるんですか?」

「地方言語があるので、聞き取りにくかったり誤解が生じたりはするかもしれません。ただ、普通語がわかれば問題はありませんよ」

共通語と方言か。

「言葉は統一されてるんですね」

「人族と魔族の勢力圏の境目は何万年もの間、大きく前後してきたので、自然と統一され普通語となったのです」

全部の言語が普通語に置き換わってしまったらしい。他に言語は無いのか尋ねると、普通語の普及によって使われなくなった各地域の古代語、神々の使う神聖語、悪魔が使う悪魔語があると教えてくれた。悪魔は異世界から召喚された存在なので違う言葉を話すというのは納得できる。

「古代語も神聖語も魔術の研究には不可欠なものです。失われた古代語を追い求めるだけで一生を費やしてしまう学者や神官もいますね」

「ルソルさんは歴史の研究をしてるって言ってましたよね」

「はい。先人の残した古代語研究には感謝してもしきれません。私は歴史の研究に力を入れている分、魔術の習得に余裕がありません。レイジ様を幻術の高みへ導くことができないことをお許しください」

「魔覚に気付かせてくれたのも、基礎を教えてくれたのもルソルさんです、ありがとうございます」

感謝を伝えると、ルソルさんは微笑んだ。

その後、ルソルさんのお勧め通りに、各中等幻術の最初の数行だけを読んでから眠りに就いた。

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