二日目 突然ですがお姉ちゃんです
ぐっすりと眠ってしまった。夢も見ずに。横になったと思ったら朝になっていた、そんな感じだ。おかげで疲れが取れたけど、大きな問題がある。筋肉痛。足が少し筋肉痛なんだ。今日は歩けると思うけど、明日は危ないかもしれない。ルソルさんに筋肉痛のことを言うべきか、堅いパンを食べながら悩む。
言えばまた貴族みたいだって言われそうだし、じゃあ筋肉痛が良くなるまでこの宿に泊まるのかって、そんなことできるわけない。
結論、黙って歩くしかない。
昨日の夜に言っていた通り、ルソルさんは歩きながら魔術について講義をしてくれた。これが思ったよりずっと簡単な話だった。魔術の理論なんて言うから物理の授業みたいな話をされるのかと思ったら、ゲームのシステム説明を聞くようなもので拍子抜けする。
教えられたことを整理してみよう。魂は常に燃えていて、体を動かしたり知恵を働かせる原動力になっている。その余りが魔力として体に蓄えられる。その魔力を操って様々な事象を起こすことができる。これはつまりマジックポイントのことだと思う。そして、魔術には魔力をどう操るのかで九つの系統があるらしい。それぞれ対になっていて、元素術と障壁術。強化術と破術。治癒術と呪術。幻術と生命術。そして召喚術があるそうだ。
「召喚術と対になっている系統はどうしたんですか?」
こう聞くと、神々だけが使える創造術ですとのことだった。
元素術は火や水といった自然界の元素に作用する。障壁術は魔力を盾にして身を守る。
強化術は文字通り肉体を強化し、破術は他の魔術を打ち消す。
治癒術は傷や病を癒し、呪術は魔力を毒性に変化させる。
幻術は六感を惑わせ、生命術は魂に直接触れる。
幻術について、五感ではなく六感と言ったことが引っ掛かった。
「目で見る視覚、耳で聞く聴覚、鼻で嗅ぐ嗅覚、舌で味わう味覚、肌で触れる触覚、魔力で繋がる魔覚の六感です。ただこれは幻術の基本で、痛覚や記憶に作用することもできます」
魔覚……魔力を感じる感覚? ちょっとよくわからない。
生命術もよくわからないので聞いてみたところ、高等生命術は外傷もなく敵を絶命させたり、死体を操ったりできるらしい。ただ、適性があってもそこまでのことができる者はそうそういないそうで、魔力を少し吸い取ったり、ちょっと動きを止めたりといった地味なことしかできないのが普通だそうだ。特別っぽい。どうせならその系統で秘められた力を発揮して無双できたらよかったのに。
「神々なら生命術で死者の甦生すらもできるのかもしれません」
遠い目をするルソルさん。
「召喚術についてですが、これは元々空術と呼ばれていた空間に作用するものです。太古の時代には瞬間移動や長距離会話などもできたようですが、今では単なる伝説と思われています。悪魔の召喚が行われてからは、空術は禁術とされ、失伝したことは昨日お話しした通りです」
召喚術にしか適性のない人もいるらしい。だけど召喚術のやり方は伝わってないうえに、禁術に指定されている。だから、どれだけ召喚術適性が高くても魔術不能者の烙印を押されてしまうそうだ。差別とかあるんだろうな……。ちなみに神々特有の創造術は人知を超えているとのこと。
「まったくの無適性という者は滅多にいません。召喚術を含む九つの系統のいずれかに適性を持つのが普通です。中でも元素術と強化術の適性を持つ者が圧倒的に多いのは、長い年月の中でこのふたつの系統が重宝されてきた結果だと私は考えています」
おや、強化術はメジャーなのか。
「レイジ様は幻術の高みを目指せるだけの適性があります。ぜひとも修練に励んでください!」
つまり、幻術はマイナーだから、トップを狙えるということなんだろうか。
適性のことはわかったけど、心配なことがもうひとつある。
「魔力の量とかってどうなんでしょう?」
ルソルさんは俺の質問の意図がよくわからないようだった。
「魂の力に個人差はあまり無く、あったとしても扱える魔力量の差など誤差です。……質問への答えになっているでしょうか?」
マジックポイントはみんなほぼ同じってことか。問題は異世界出身の俺の魔力が、その誤差で収まるかどうか……とりあえず、魔術を使えるようにならないと確かめようもないか。
その後ルソルさんは魔術の歴史について語り出した。まったく知らない地名や人名ばかり出てきてほとんど頭に入らない。知る必要があるのかな……。そもそもこの世界の歴史も地理も知らないから、本当に何を言ってるんだか、さっぱりだった。ぼんやりとしてしまう。「寝る前に実践してみましょう」と言われてようやく意識が戻った。やった、ついに魔術が使える! こうして、筋肉痛を我慢しながら二日目の宿場町ネロギに到着した。
ルソルさんと話しながら宿に入ろうとしたところでちょっとした事件が起きた。少し年上に見える女性が驚いた顔で「そこの君!」と声をかけてきた。金髪で緑の目を持つスレンダーな美人だ。
「ごめんなさい、弟にそっくりだったので、つい」
ルソルさんが口を挟む。
「お嬢さん、西方のパルム人でしょう。弟さんの顔つきがレイジ様に似ているとは思えませんが」
確かに、この人は北欧っぽい顔をしている。その弟が日本人の俺と顔が似てるとは思えない。
「雰囲気と声がそっくりなんです、ちょっとした仕草も似ています」
改めてよく見ると、女性は革製の鎧を身に付けていて、腰には鈍器、ゲームで見たことのあるメイスという武器を提げている。女戦士との突然の出会い……。フラグが立った! 期待せざるを得ない! 心の中でガッツポーズをする俺の気も知らずにルソルさんは冷たい声で言う。
「そうですか、偶然ですね。レイジ様、行きましょう」
塩対応すぎる……。もしかして神官は女性と関わるのを避けるとかそういう戒律でもあるのかな。
待ってくださいと食い下がる女性を手で制して、ルソルさんは俺に宿に入るよう促した。そうして自分も入るとさっさと扉を閉めてしまった。
「何か話がしたかったようですけど……」
「傭兵、それも女一人で世を渡っているような者は疑ってかかるべきです。肉親に似ていると言って警戒を解いて近付くのは詐欺の常套手段ですよ」
詐欺!? ショックだ。そういえば日本人は平和ボケをしていて海外に行くとよく詐欺に遭うという話を聞いたことがある。日本より治安の悪そうなこの世界でそういう犯罪が横行していないわけがないか。最悪、命だって取られるかもしれない。気を付けます。
「詐欺ではありません!」
さっきの人、扉を勢いよく開けて入ってきてしまった。
「私の名前はセラエナ。それなりに名の通った傭兵です」
宿の人が「
「はい、凶悪な賞金首を何人も捕らえている高名な賞金稼ぎの方です。親切で礼儀正しいという噂で、悪い評判は聞きませんよ」
なるほど、犯罪者を狩るから人狩人か、正義の人っぽい。
「詐欺師呼ばわりしたことを謝罪いたします。私はマデルのシャナラーラ寺院の助祭ルソルと申します。重要な聖務の遂行中なので慎重になっていました」
素直に謝るルソルさん。二日間一緒にいて思ったけど、この人は本当にいい人なんだと思う。
「そうですか、私の方も急に声を掛けて警戒させてしまったようで申し訳ありません。私はセラエナ、傭兵です。そちらの方は?」
さっきからこのセラエナさんは俺に用があるらしい。
「俺は――」
「この方はシャナラーラ女神の使者、レイジ様です、聖務につき無用な詮索はされませぬよう」
詐欺師じゃないなら、せっかくだからお近づきになりたいんだけど……。「レイジです、よろしく」と言うと、セラエナさんはいきなり涙をこぼした。ど、どうして……!?
「本当に……弟によく似ています」
さすがのルソルさんも気になったらしい。
「失礼ですが、弟さんは……?」
「二年前に流行り病でこの世を去りました。たった一人の肉親だったんです。レイジさんとおっしゃいましたね、あなたに出会えたことはアガテア女神とシャナラーラ女神のお導きでしょう。どうか、聖務の護衛をさせてください!」
そういうことか、フラグが立ったよ! やったー!
「申し訳ありませんが路銀に余裕の無い旅。護衛を雇うことはできませんし、私一人で事足ります」
欲を言えば綺麗なお姉さんと旅したいです。
「お金はいりません。レイジさんとの出会いは女神のお導きです。ぜひお供をさせてください! レイジさんを守り抜くとアガテア女神に誓います!」
おおっ! 頑張れセラエナさん! ……いや、ちょっと待って。死んだ弟に声や雰囲気が似てるってだけで、なんでこの人こんなに必死なの? さすがに何か裏があるでしょ、不気味だよ。なんか怖い。
「聖務に進んで志願するとは良い心がけです。始めに疑ってかかったことを改めてお詫びいたします。信仰篤き者の手助けとあらば断る理由がありません」
ルソルさんが折れた……。信仰があればアリなの? すごく怪しいけど……。
「えーと……アガテア女神っていうのは?」
ひとつひとつルソルさんに確認していこう。
「工芸と守護の女神です。シャナラーラ女神とは良好な関係にあります」
「良好な関係……? ということは仲の悪い神もいる……?」
「はい、その影響で寺院同士での小競り合いも……まあ、たまにですが。いずれにせよ、アガテア女神は潔癖で厳格な神です。守護神の名に誓って守ると言うのですから、レイジ様を害するようなことだけはしないでしょう」
この世界には人間の暮らしに介入する神が実在するんだもんなあ。じゃあ信用してもいいのかな?
「セラエナさん、よろしくお願いします」
セラエナさんは目に見えて喜びの感情をあらわにした。そんなに嬉しいのか……。その勢いのまま宿の人に言う。
「そうと決まれば今夜の宿ですね。ご主人、二人部屋と一人部屋、ひとつずつ空いていますか?」
「はい、ご用意できます」
「レイジさんは私がお守りします。神官様は一人部屋で旅の疲れを癒してください」
うん? 聞き間違えかな? この美人のお姉さん、俺と二人部屋って……ええっ!?
「お待ち下さい。守護の誓いを立てられたとはいえ、若い男女が同室というのはいささか問題があります。セラエナさんは一人部屋でどうぞ」
「では三人部屋を借りましょう」
宿の人が困ってる……。
「申し訳ありません、三人用の部屋というのはご用意がなく、四人部屋となってしまうのですが、生憎と四人部屋は埋まっておりまして……」
「では他の宿を当たりましょう」
なんでそんなに同室にこだわるんでしょうか?
「待ってください、四人部屋を借りるほどの路銀の余裕はありません」
「私が出すので問題ありません」
「若い女性と同室なんて問題です!」
「傭兵ですから、大部屋で雑魚寝することもあります。お気になさらずに」
「いけません!」
これは俺が仲裁しないとダメだよね。お姉さんとの同室に魅力を感じないと言えば嘘になるけど、緊張して眠れないかもしれない。というか、それとは別に、ここまで執着されるとなんだか怖い。
「あー、セラエナさん。すみませんが俺とルソルさんが二人部屋で、セラエナさんは一人部屋でお願いします」
セラエナさんはとても寂しそうな顔で、そうですかと引き下がった。なんとなく罪悪感。すかさず宿の人が、お話はまとまりましたかな、と聞いてくる。旅人同士の揉め事に慣れていそう。お見苦しいところをお見せしましたと言ってルソルさんが前金を払った。セラエナさんはというと、一人部屋の分は自分で出します、とのこと。
部屋で堅いパンを水でふやかしながら食べる。もしかしてセラエナさんと同室だったらもっといいものが食べられたのでは……。干し肉とか……。少し後悔する程度には、このパンに嫌気が差している。
「寺院から持ってきた食料はこれで最後です、明日の朝、別に物を買って出発しましょう」
うわ、顔に出てたかな? でも、とりあえず、寺院の食事が質素すぎて不味いという予想が正しければ明日はまともなものが食べられるはず。この憎いパンともこれまでだ!
そして、待ちに待った魔術実践の時間。
「ご自身の中の魔力の流れは分かりますね?」
この言葉でウキウキが止まった。そんなもの一度も感じたことない……。魔術の無い世界出身の俺にはそもそも魔力が無いのではないかという不安が現実味を帯びてくる。
「レイジ様の年齢はおいくつでしたか?」
もうすぐ十六歳ですと答える。
「十六年間無自覚なら、わからなくても仕方がないですね」
ルソルさんは困った様子もなく、むしろ何か納得している。これは、希望を持っていいのかな?
「これから生命術でレイジ様の魂に触れます。私の魔力がレイジ様の中に入ることになります。その感覚に注意を向けてください。魔力がどういうものか理解できるでしょう」
自分の中に何かが入ってくる? なんだか怖い。
「優しくお願いします」
「はい、身構える必用はありません。ではいきますよ」
へそのあたりにかざされたルソルさんの手がかすかに輝く。
何かが入ってくるというよりも、じわりと温かさが浸透してくるような感覚。熱とは明らかに違うけど、なんだか温かい。そして、その温度感がじわじわとお腹の中を登って心臓の辺りに達する。突然、頭の中にルソルさんの声が響いた。
(分かりますか?)
目の前のルソルさんは目をつむって口を閉じている。念話的なもの? 返事の仕方がわからないから口で答える。
「温かい感じがします」
(それが魔力です。血液と同じようにご自身の体を巡っているものです。循環を意識してみてください)
体を巡る温かさ……。目をつむって血の巡る血管をイメージしてみた。確かに、血とは違う何かが循環している。どうして今まで気付かなかったんだろう? 元々体に備わっていた魔覚が目を覚まし、魔力を認識できるようになった。それどころか、心臓の辺りにあるルソルさんの魔力に、意思を伝えることができそうな気までしてきた。分かりました、と念じてみる。すると、急にルソルさんの魔力が体内から消える感じがした。いや、自分の中の元々の魔力と同化したような感じがする。
「無事に魔覚に気付けたようですね。ごく稀に適性があるのに魔術を使えない者がいるのですが、魔覚が鈍く、魔力を感じ取れないことが原因です。こうして刺激を与えることでほとんどの者は魔覚が本来あるべき状態になります。レイジ様は魔術の無い世界で育ったので魔力を感じることが無かったのでしょうね。ちなみに、今のは〈魔力の譲渡〉という魔術です。私の魔力の一部をレイジ様に送り込みました。生命術の初歩です」
ああ、何か言ってるけどちっとも頭に入ってこない。魔覚が開いたせいで、ものの感じ方が全然違う。なんて言うか、生まれつき目が見えなかった人が突然視力を得たら、こうなるのかなぁ。人間以外のただのモノにもちょっとだけ魔力を感じる。世界は魔力に満ちていたんだ……。ちょっと、いや、かなり、情報量が多くて頭がパンクしそう。
「ああ、なるほど。新しい感覚に戸惑っているのですね。慣れるまでは少し、そうですね、ざわざわするかもしれません。すぐに慣れますよ」
ざわざわ……。なんていうか、もっとこう、静かな部屋から、急に交通量の多い道路沿いに出たような気分。
「今夜はここまでにした方が良さそうですね。早めに寝て疲れを取りましょう」
言われるままにベッドに横になる。目をつむっていても雑音のように入ってくる感覚のせいでなかなか寝つけない。眠りが浅かったからか、夢を見た。
こっちに来てから初めてあの夢を見た。女の子が泣いてる夢。
「誰でもいいから助けて……」
言葉がわかるようになってる。少し感動。でも、相変わらず顔と声はわかるけど、それ以外がぼやっとしてる。声を掛けても聞こえていないみたいだ。……待てよ、これはこの子の不完全な召喚術による夢のはず。だったら、魔力を伝えば声が届かないかな? 自分の中の魔力に集中して、女の子に向かって念じる。
(必ず助けに行く。君の名前は? どこにいるの?)
泣いていた女の子が驚いた顔をした。そして、急に接続が切れるように夢から覚めた。
まだ深夜らしい、もう一回寝れば、あの夢が見られるかな? ひとまず、喉が乾いてるから水を飲もう。水差しは……空っぽだ。井戸まで行こうか。
魔覚が開けたことで感じるうるささは、あんまり気にならなくなってる。慣れてきたらしい。ベッドで眠るルソルさんから魔力が感じられる。なるほど、真っ暗でも魔力の流れを感じることである程度周囲を認識できるみたいだ。超音波で空間認識をするコウモリにでもなった気分。
中庭の井戸で水を汲む、よく冷えた水が喉を通るのが心地いい。そして、その水にも魔力が宿っているのがわかるのが面白い。世界の見え方が完全に変わってしまった。後ろから人が近付いてくるのもわかった。振り返るとセラエナさん。驚いた顔をしているので、どうしました? と尋ねる。
「誰かいると思ったらレイジさんで驚きました。やはり運命的なものを感じます」
「そんなに弟さんに似てるんですか?」
「はい……。あの、ひとつお願いを聞いていただいても良いでしょうか」
暗くて表情は見えない。真剣な声色のセラエナさんに、何ですか? と返す。
「その、おね……姉さんと呼んでみてくださいませんか? 失礼は承知の上です。ただ、どうしても、その声で呼んでもらいたいんです」
亡くなった弟さんの面影を俺に重ねてるのか……。少しブラコン気味だったのかもしれない。愛する人が死ぬというのは辛いだろうな……。俺にはじいちゃんとの別れの経験しかないけど、たくさん泣いたのを覚えてる。
「いいですよ……。姉さん」
暗くてよく見えないけど、セラエナさんからから息を飲むような雰囲気を感じる。言う方はちょっと気恥ずかしい。俺には兄ちゃんがひとりいる。仲は悪くないけど、これが美人のお姉さんだったらなあと妄想したことはある。セラエナさんが震える声で続ける。
「ごめんなさい、もうひとつだけ、いいでしょうか?」
もしかして泣いてる?
「セラ姉と、呼んでくれませんか?」
なるほど、弟さんはそう呼んでいたのか。
「はい、セラねえ」
セラエナさんの肩が震えているのがわかる。良いことをしてるんだと思うけど、なんとなく罪悪感を覚える。赤の他人の俺が、いきなりこんな親しげに呼んでいいんだろうか。
「私、少し欲張りになってしまいました。最後にもう一度、お姉ちゃんって呼んでくれませんか?」
弟さんの死から立ち直れずに、孤独に苦しんできたのかな。気休めでも、人の役に立てるのなら悪くないかもしれない。少し恥ずかしかったけど、お姉ちゃんと呼んだ。短く息を吐く音が聞こえた。泣き出しそうなのを堪えてるのかもしれない。少しの間を置いて、セラエナさんが口を開く。
「レイジさん、ありがとう、私の心が定まりました」
そして、セラエナさんは素早く俺に駆け寄ると、大胆に抱きついてきた。慌てて声も出ない。
「もう耐えられません! レイジさん、レイ君って呼んでいいですか? 私のことはお姉ちゃんと呼んでください!」
ええっ!? どういう展開なのこれ!? あっ、いい匂い、女の人って柔らかい……。
「弟さんに申し訳ないような……」
「いいんです! 私を助けると思って! お願いします!」
「お姉ちゃんは恥ずかしいです……。姉さんなら、ぎり……いけるかな?」
「もう一声! セラ姉でお願いします! あと、敬語もいらないです!」
だ、大丈夫なのかこの人!? 弟ロスでちょっとおかしくなってるんじゃ? すごい力で抱き締められてる。そういえばセラエナさんは腕利きの戦士。下手に断ると後が怖い気がした。恐怖心から言ってしまう。
「わかったよセラ姉」
セラエナさんの体がぶるぶると震えた。そして、愛しそうにレイ君と呟く。なんだか取り返しのつかないことをしてしまったような気がする。でも、実はそれどころではない状態になってきた。
俺は女性に免疫の無い健康な男子高校生だ。綺麗なお姉さんにずっと抱きつかれていたらまずいことになるのは明白。必死に不味いパンや街道で見た風景のことを思い出して気を逸らそうと頑張る。髪の毛の香りとか、首筋に当たる吐息とか、暖かくて柔らかい体とかを意識しないように!
不意に抱きつきから解放された。多分セーフ、耐えきった。
「ありがとう、レイ君。これからはお姉ちゃんが守ってあげるね!」
セラエナさん、いや、セラ姉はそう言うと、上機嫌な足取りで建物内に戻っていった。どうしよう、これで良かったのかな……?
もう一度水を飲んで、心を落ち着かせてから部屋に戻ると、ルソルさんが起きていた。びっくりして心臓がきゅっとなる。
「レイジ様、申し訳ありません。窓から見ていました」
いや、そういう報告いらないです。思い返すとすごく恥ずかしい。あれを見られてたなんて……。
「おそらくセラエナさんは唯一の肉親を失ったことで心を病んでしまっているのでしょう。可哀想なことです」
「もしかして願いを聞いてしまったのは悪影響がありましたかね」
「わかりません。ただ、レイジ様は擬似的な姉と弟という関係を受け入れたことになります。後から拒絶すれば、セラエナさんにとっては二度弟を失うことになるでしょう。守護の誓いを立てているので危害を加えられることはさすがに無いとは思いますが、どのような行動に出るか予測がつきません」
うーん、ヤンデレ化待った無し。ちょっとした親切心のつもりでやらかしちゃったかもしれない。
「過ぎたことは仕方がありません。ここは前向きに考えましょう。セラエナさんはきっと命に代えてもレイジ様を守るはずです。裏切ることのない護衛を無償で雇えたと思うといいでしょう」
意外とドライなことを言うルソルさん。その言葉のお陰で動揺していた心が少し落ち着いた気がする。
「寝ましょう。疲労が残ると明日が辛いですよ」
その通りだ。いそいそと布団に入る。目をつむって眠ることに集中した。
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