約束された結末

ためひまし

第1話 約束された結末

 「あなたの結末は『死』です。」

 

 目を覚ますといつものゴミに溢れたベッドルーム。ゴミの日がこの歳になってもいまいちわからないし、調べようという気もないから心配だからと定期的にやって来る母親に掃除を任せてしまう親不孝の僕だ。時計の回る音が蠅のようにうるさい。この音が僕は昔から嫌いだった。最高だった学生時代が時計の針のように簡単に回ってしまうような気がして吐き気がしていた。まだ10時だというのだからもっと静かにしてほしいものだ。17時からはじまるバイトまで相当の猶予がある。起きようという気も失せ、布団の中、深く潜り込む。

 

 「そういや、さっきの夢、なんか引っかかるんだよな……」

 その思考も睡魔にジャックされ、睡眠という夢へ流れて行った。


 「あなたは選ばれた存在です。夢の中でだけある特定の未来を選択することのできる能力が与えられました。使い方はすべてあなた次第です。では、楽しい時間を。」


 「あなたの結末は『死』です。」


 目を覚ますといつものゴミに溢れたベッドルーム。ゴミの日がこの歳になってもいまいちわからないし、調べようという気もないから心配だからと定期的にやって来る母親に掃除を任せてしまう親不孝の僕だ。時計の回る音が蠅のようにうるさい。今日は不思議とするりと布団から抜け出せた。奇妙な朝だ。母親が45リットルのビニール袋にまとめていったゴミの山を熱帯の密林のようにかき分けて歩く。なかにはとてもかき分けることのできない山がある。僕の足はそこで寸断された。しかし、乗り越えられないものではない。僕はお得意の山登りを披露すべく、痩せすぎて骨と皮しか残らないモデルのように伸びた右脚を大きく振り上げる。その間、地に残る左足はゴミを踏んでいた。この部屋ではよくあることだ。

 つるり。

 清々しく滑った挙句、僕が着地したのは机の角。この歳になってまで残してあった青春の残り香に殺された。


 「あなたの結末は『死』です。見事に当たりましたね。死因は『バナナの皮に足を取られ死亡』とかにしておきますか。面白いですね。まだ私を楽しませてくださいね。」


 目を覚ますといつものゴミに溢れたベッドルーム。そのはずだった。けれど鈍い痛みが頭を走り徐々に記憶を取り戻していく。

 「僕は今、死んだ? でも……生きてる」

 記憶が手元に薄く残っていることによって、自分の立場が現実か夢かわからなくなる。正夢かもしれない。慎重に歩き、山のふもとを俯瞰してみるとそこには、夢にもあったゴミがあった。

 大きすぎる夢という不確かなものの確度に畏怖の念を抱き、ゴミ袋山脈の端にゴミを投げ捨てた。放った一撃は山と山との間、クレバスのように鋭く伸びる谷へと落ちていった。

 僕の命は生活のなかのそのちいさなひとピースに殺されたことにも救われたことにもなる。

 呆気に取られて時計に目を配ると10時10分。記憶のなかでは、僕は10時に起きてから二度目の睡眠をとったはずだった。それでも実家から持って来た電波時計の上ではその通りの時間が刻まれている。混乱の渦にいた僕は状況を箇条書きで整理していく。

 「10時に起きて、その前に不思議な夢があって、僕は一度死んでいて、今回は対処出来て、でも夢で……」

 曖昧すぎる記憶では整理する前に疑問がキャパシティも考えずに運ばれてくる。

 「じゃあ、夢? どれが夢だ?」

 正夢など見たことのない頭では考えようのない設問だった。解答にも飽きて早々にブルーライトを浴びる。まずは日課のニュース観光。これだけで日本はもちろん世界のことも一瞬で知ることができるのだ。日本の記事にはいつも通りの事件や汚職だらけでスマホまでが血と汚い心であぶれた気がした。

 こんなゴミみたいな生活でも生きていけてしまうし、夢も見る。くだらない生活が及ぼす影響なんて数十年後の未来だと今日の記事になぞらえて考えてみる。今の僕には関係ない。

 

 定額配信サービスとは偉大なものだ。その魅力に人の命は吸われていく。今日も僕のかけがえのない6時間が吸われていった。しかし僕の時間は必要ないと言われればそれまでだ。

 数分の運動で身支度を終わらせる。玄関の黒い扉の前まで歩みを進めると外から騒々しい声が漂ってくる。隣人の少し迷惑な人だ。僕も大概だが、彼も騒音被害という面では負けてはいない。会いたくはないが、バイトに遅れてしまう。扉が開くと少しずつ騒音の顔がはっきりと見えてくる。この騒音は会うたびに僕のことを睨みつけてくる。この世に必要のない存在というだけでは負ける気はしない。争いごとは嫌いだからと言い聞かせ、首だけ落とす鳩のような会釈だけ残してそそくさとマンションの敷地から出る。

 陽も落ちかけで僕らがこぞって蜜柑の皮に包まれるとき、その眩しさに脳は不快だと呟いていたようだった。

 午前3時、バイトにも飽きてくるころ。人も来ない、仕事もない、何もない。ブルーライトを浴びれば店長になんて言われるだろうか。暇だとアイツが襲ってくる、あの睡魔が。


 「あなたの結末は『死』です。」


 「お久しぶりです。だいたい十七時間ぶりくらいですか……えらく健康的ですね。まあ、無駄話はこの辺にしてお楽しみください。」


 僕は小さくも大きくもない物音で目を覚ます。

 寝ぼけ眼に映ったのはナイフで脅す黒い覆面だった。

 「おい! 金をだせ、はやくしろ」

 単調にそれだけを言い放った強盗は刃渡り13センチメートル程度のさほど怖くもない凶器を突き付けている。死ぬことには慣れている。何も一度死んだだけでは慣れるものではないが、僕はこの命を何度も捨てようとした身だ。怖いという感情がない。金を渡す、それで僕の命は助かる。僕は何もしゃべらずに、レジを開けた。

 僕の手先から前腕までが震えていた。携帯電話のバイブレーションのようで少し懐かしかった。ストッパーを上げることもままならない。小銭を掴もうとすればひとつも残らずに零れ落ちてしまった。僕がまだ生にしがみついていたことを認識させられる。入店音に驚いた強盗は僕の首元めがけてナイフをためらいなく真一文字に切りつけた。鮮血が強盗のニゲラの花のような色に染まった顔に飛び散った。僕は未だに残る生への執着に殺された。


 「あなたの結末は『死』です。見事に当たりましたね。死因はベタですが『強盗に襲来され死亡』としておきましょうか。面白いですね、自分では気がつかないあの慌てよう。まだ私を楽しませてくださいね。」


 目を覚ますとゴミにあぶれたいつものベッドルーム。コンビニで記憶が途絶えたような気がするが、なぜかいつものゴミ人間に戻っていた。恐ろしいことに今までのことが点の記憶しかなく、線にすることがどうしてもできない。ふと見上げた電波時計は綺麗に10時を指していた。頭痛と吐き気が襲ってくる。映画の主人公が記憶を取り戻すときに痛む頭とはこのくらいなのだろうか。それであれば、彼らはまちがいなく主人公だ。うつつに耐えられなくなった僕はそのまま目を閉じた。

 

 「よくもまあこんな短時間に何度も死ねますね。まあ、よくもあなたはこんな短時間に何度も人を殺せますね。なんていわれてしまいますね。必然的偶発現象です。」

 

 「あなたの結末は『死』です。」


 睡眠スイッチの切り替えで起こる寝返りで起き上がった。カッターが僕の唯一の足元に落ちていた。すかさず布団に目を落とすとそこには記憶にもあるような鮮血が滴っていた。心臓の拍動に合わせて血液が布団に垂れる。急いで近くにあった汚らしいタオルで傷口を塞ぎ、洗面所へ駆けた。

 ニゲラの花のような青いタオルはすでに一部が真っ赤に変色していた。1時間は血が止まらなかったように思えるほどに格闘していた。ふと鏡で自分の姿をみると滑稽だった。高さのある洗面台に足を乗っけて、垂れ曲がるようにしなった背骨が無防備そのものだった。

 作業にも疲れが出る。自分の苦労を自分に知らしめるために洗面台の鏡を覗く。

 目が合った。見知った顔が僕の眼球に映り込んだ。その刹那、後頭部に激しく鈍い痛みが走り回り、僕は曲がった背骨を伸ばして後ろに倒れた。


 「あなたの結末は『死』です。『隣人トラブルの末、死亡』にしておきますかね。DQNと呼ばれる人は無視に限りますよ。あなたはいつまでもちますかね。」


 

四次元空間に浮かんだ点の記憶。何度も何度も同じ記憶を通り過ぎ、毎回毎回違う道を通りまた同じ道へ戻ってくる。交わることもなく終わることもない悪夢。

 今日も憂鬱の日が始まる。僕は毎日殺される存在であり、生かされる人間である。そんな矛盾に立たされた僕は小刻みに震えながら発狂した。太陽の反射が眩しいカッターを手に取った。僕の足を傷つけた張本人である。ほんのりと重量のあるカッターは僕に命がまだあることを知らしめた。この重さがなくなれば僕も開放される。今までの地獄のような日からも開放される。それだけで僕の心は洗われた。躊躇いなく喉元にカッターを突き付ける。刃先は少しだけ生きている血が姿を見せる。息苦しさを感じる前に痛さもないほどに素早く切り裂いた。ケチャップのようなドロドロした血の海に僕は眠る。


 「あなたの結末は『死』です。」


 「殺させやしませんよ。まだまだ楽しませてくださいね。あなたは『死』を選択できる能力だったということですよ。ふふふ。」


 

 起き上がるのも恐ろしい。僕らの生活には『死』というものが蔓延っている。言うなれば僕らはいつでも死ねる存在だということだ。『生きる屍』、『屍のように眠っている』もうなんとでも言ってくれ。僕らの結末は『死』なのだから。誰にでも平等に訪れる『死』というものがここまでに恐ろしいものだとは思わなかった。空気のように広がったその存在は僕らに定着しすぎたようだ。僕は眠る前に一度死ぬ。それは変えることのできない結末なのだ。

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