13

 夕焼け空がせつない。

 建物や廃棄物が影に染まって黒い塊になってゆく。

 敷地の境界線は、金網フェンスで囲われている。もしかしたら、どこかひとつくらいは逃げられそうな箇所があるかもしれない。そう考えて、ひたすらフェンスをめざして走った。

 その途中、何人もの死霊を見た。

 絶対にああはなりたくない。

 わたしは生きる……生きてやるんだ……!


「──あっ?!」


 なにかにつまずいて転ぶ。

 膝を固い地面に打ちつけて怪我をしてしまった。


「ウフフ……せっかくここまでこれたのに、現実から逃げちゃダメよ?」


 倒れるわたしのそばに女の幽霊が立っていた。

 敵なのか味方なのか、それとも、ただ苦しむわたしたちを見て楽しんでいるだけなのか、女は笑顔をよく見せる。


「はぁ……はぁ……はぁ…………ひーちゃん……」


 擦り剥いた手のひらが痛い。

 血も滲んでる。

 だけど、わたしは泣かない。

 泣いている暇なんてない。

 四つん這いの姿勢から立ちあがると、ミリアムの叫び声が聞こえた。


「来るな、化け物! 殺したのは吾輩ではない、キス魔がやったのだぁああぁぁあああッッッ!」


 声はどこから聞こえるのかわからないけど、ミリアムがヤスカちゃんに見つかっているのは間違いない。今のうちに逃げなきゃ、次はわたしが殺される番になってしまう。


「あら……やっぱり仲間を見捨てる気なのね。相手は一人だから、協力してやっつければいいのに」


 幽霊の助言なんて要らない。

 それに、ミリアムは仲間じゃない。わたしを鉄パイプで殴ったし、なんの罪もない猫を虐待していた。これは当然の報いだ。


 ミリアムのヤツ、手加減は一応してくれたみたいだ──


 不意に唯織さんの言葉が頭を過る。

 あの時、油断していたわたしは肩をたれた。

 殺そうと思えば頭を狙えたはず。

 やっぱりミリアムは手加減をしてくれていた?

 でも、今の彼女は正気を失っているし、足も怪我をしてるから走れない。助けたところで、足手まといになるだけだ。


「本当にそれでいいの? 助かったとしても、残りの人生悔やんで終わるだけよ? あなたがそれを望むなら……仲間を見殺しにしてまで生きたいのなら、別に好きにすればいいだけの話だけどね」


 後悔? どうして?

 わたしも被害者だ。生き残りたいのは当然だし、誰だって同じことをするに違いない。

 けれどもこんな時にかぎって、ひーちゃんの笑顔を思い出していた。

 危機的状況下とはいえ、非道な選択肢を選んでしまって本当に良いのだろうか? 胸を張って、お姉ちゃんは間違ってないって言えるだろうか?

 理想的なのは、わたしも唯織さんもミリアムも助かることだ。わたし一人が逃げてしまう選択肢を選んで本当に良いのだろうか? わたしだけが助かって、本当にそれで──


「うぎゃああああああああああ!」


 一発の破裂音のあと、悲鳴が聞こえた。

 ところどころ窓ガラスが割れた、工場の中に二人がいるみたいだ。

 わたしは足もとに落ちていた石をひとつ拾い上げ、その建物へと走った。

 相手がヤスカちゃん一人だけなら、わたしでもミリアムを助けられるかもしれない。そう思ったからだ。


「どうもありがとう」


 そんな感謝の声が、耳もとで聞こえたような気がした。


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