10

 唯織さんは逆光の中にいるから、その姿のほとんどが影絵シルエットになっていた。瞳には輝きがないし、顔も暗くて表情がまったく読み取れない。


「加奈ちゃん怒ってるよね? だけど、あれは仕方がなかったんだ。あのときは、ああするしかなかったんだよ」


 獣が獲物を追い込むように、前へ前へ、ゆっくり歩いて踏み出してくる。

 何歩目かのときに、ようやく顔がハッキリと見れた。

 笑っている。

 唯織さんの顔は、笑顔だった。

 釈明する人間のすることじゃない。

 笑える心理が理解できない。

 この人に殺される──本能でそう感じていた。


「だけどさ、良かったよ無事で。榊さんはどうしたんだい? まだ生きてるのかな?」


 怖い。

 いやだ。

 殺される。

 お願いだから、こっちに来ないで。

 わたしとの距離が縮まるたび、死への恐怖は増幅されていった。


いやっ……来ないでください……どうして……あんなことをしたんですか? 信じていたのに……ひどいです!」

「誤解しているよ加奈ちゃん、あれも作戦のうちさ。榊さんを油断させておいて、もしものときはボクが助けに入るつもりだったんだよ。そんなことよりも、このリュックに水と食料が入ってるんだ。疲れたしお腹も空いてるだろ? 一緒に食べよう、ね?」


 肩に掛けていたミニリュックを右手に持ち変えて差し出してくれたけど、最早なにひとつ信じられない。どんな些細なことも、邪悪な行いにしか思えなかった。


「…………」

「おいで、加奈ちゃん。さあ、こっちに来なって」

「……わたし、足をくじいちゃってあまり歩けないんです。だから、唯織さんがこっちに来てくれませんか?」


 わたしのワガママなお願いに、唯織さんは目を細める。なにも疑ってはいないようだ。


「うん、いいよ」


 承諾の返事と同時に唯織さんがさらに一歩踏み込むと、勢いよく振り下ろされた鉄パイプが後頭部を直撃する。

 漫画やゲームみたいに血が噴き出すこともなく、殴られた唯織さんは白目をむいて膝から崩れて倒れた。


「カッカッカッカッカ! 食料は誰にも渡さんぞ! すべて吾輩が一人占めするのだぁああああああああッ!!」


 ミリアムはそう叫び、うつ伏せで倒れる唯織さんからミニリュックを奪い取る。背負っている物と合わせて、ふたつのミニリュックがミリアムの物になった。

 しばらく戦利品を満足そうに眺めると、肩に掛けてからわたしを見た。なにかを達成して満足したような、どこか誇らしげで優越感に浸っている顔をしていた。


「欲しいかJK? これが欲しいのだろう? だが、やらん。ゲームが終わるまで生き延びてやる……吾輩は死なんぞ……最後の一人になるまで絶対に死なんからなっ!」


 命が助かるためとはいえ、ここまで食料に執着するなんて異常だ。もしかしてミリアムは、極限状態のストレスで正気を失ってしまったのかもしれない。

 片足を引きずりながら去る後ろ姿を見つめながら、もう彼女とはカップルになれないと思った。

 倒れる唯織さんをそのままにして、わたしも後を追うように外へ出る。

 ミリアムが進んでゆく方向とは別の道を選んでわたしは走った。

 唯織さんの怪我の状態は別として、今度こそわたしを殺しにくるはずだ。

 できることなら、人を殺してまで生き延びたくはない。

 現在の生存するプレイヤーは三名。

 気の触れたミリアムと手負いの唯織さん、そしてわたしだ。

 どちらか一人とカップルになるなんて、もう無理だ。

 となれば、最後の望みは日没を過ぎて誰かが死に、自動的に一組のカップルが生まれてゲームが終わる可能性に賭けるしかないだろう。

 まだ日暮れまでは時間がある。ただじっとしているよりも、残りのミニリュックを探したほうが時間を有益に使えるし、どこにどんな障害物や建物があるとかも把握できて今後の逃走にも役立つはずだ。


「……えっ?」


 はじめて通る場所にあった焼却炉の近くから、女性の話し声が聞こえたような気がした。

 足を止めて様子をうかがう。

 煙突からは煙が出ていないし、使われている様子もない。

 もしかしてほかにも生存者がいて、あそこに隠れて助けを呼んだのかな?


「……誰かそこにいるの?」


 息を整えつつ、恐る恐る声をかけて近づく。


「……あ……い……」


 今にも消えそうなか細い声。

 怪我をしている?

 それに声は焼却炉の中から聞こえている気がする。


「あの……大丈夫ですか?」

「……つ…………」


 閉ざされた投入口の把手を握る。

 ひんやりと冷たいそれを、目一杯の力で引いた。


「熱い……熱いよう……助けて神様……助けてください……」


 焼却炉の中には、焼け爛れた皮膚の人型の化け物がうつぶせ寝で苦しみもがいていた。


「きゃああああああああああ!?」


 思わず悲鳴を上げるわたしに、幽霊の女が笑い声で応える。


「うふふふ、てっきり慣れっこだと思っていたのに、普通に驚くのねぇ」


 ダメだ。

 この場所には救いなど存在しない。

 あるのは絶望。

 そして、逃れようのない死だけだ。

 頭がフラフラする。

 手足が痺れる。

 渇いた咽喉のどには唾液すらない。

 視界が霞んで倒れそうなわたしの身体を誰かが受け止める。

 薄れる意識の中で最後に見たのは、幽霊の女と顔面が血まみれのヤスカちゃんの笑顔だった。


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