12

 深呼吸をひとつして、わたしも立ちあがる。

 向かう先には、正座を崩していじらしくすわるヤスカちゃんが待っていた。

 お互いの視線が合うと、裾フリルからのぞく白タイツの膝に添えていた両手がきゅっと小さく握られ、潤む瞳が強くなにかを訴えかけてくる。その姿はまるで、森の奥地で置き去りにされた迷い子のようでもあり、そんな不安げな表情であっても高潔さを感じさせるのは、なにかしらの決意の表れからだろうか。

 それがなんなのか、わかってる。

 それは、生存しようとする意思。迫りくる死から逃れようとする本能。わたしだって……死にたくないんだよ、ヤスカちゃん。

 つくり笑いをみせながら真横にぴったりとすわる。今度は三角ずわりだ。

 密室に閉じ込められた時間は正確にわからないけれど、そのほとんどを一緒にくっついて過ごした二人だから、しばらくぶりに並ぶと懐かしさを覚えた。

 でも、その感情は一瞬で消え失せる。

 空いた場所に現れたのは、ミクロサイズの黒くよどんだ思惑。殺意の卵だ。

 きょうはじめて出会ったばかりの少女を、わたしは間接的に殺そうとしている。わたしは、この密室の中で人殺しになろうとしていた。


「か……な……おォ……ちゃ……」


 それは突然だった。

 今にも消えそうな短音階のかすれ声で、わたしの名前が耳もとで呼ばれた。ちょっと待ってよ!? そんなの卑怯だって!


「たぁ……すッ……へ……へぇぇ……」


 右腕に両手のぬくもりを感じる。

 それは、生きている証拠あかし

 血がかよった人間の体温。

 まだ彼女は──ヤスカちゃんは生きているから、それは当然なんだけど、でも、わたしは、ヤスカちゃんを──!

 手のひらがそっと広げられて、指文字が次々に生まれてゆく。

 くすぐったいはずの感覚が、今は芋虫がうような嫌悪でしかない。

 華奢な指先の動きがせっかく涙でにじんでくれているのに、これまでの経験から、そのすべてが知りたくなくても上手く読み取れてしまった。


〈し、に、た、く、な、い、の、お、ね、が、い、し、ま、す〉


 ダメだって……やめてよ……


〈わ、た、し、し、に、た、く、な、い〉


 知ってるから……教えてくれなくても、知ってるからさぁ……


〈か、な、こ、ち、ゃ、ん、た、す、け、て〉


 なんで……なんで…………わたし……なの……?


「無理じゃん……こんなの……絶対に無理だよぉぉぉ……」


 決める?

 わたしが?

 人間ひとの生き死を?

 無理じゃん。

 無理だって!

 わたし、普通の女子高生だよ!?

 それに妹だって………………こんなお姉ちゃんの姿さぁ、見せられるわけないだろッ!?


「かな……かなくほォ……ちゃ……ハァァ……おねがま、すぅ……また……いひたひィ……」

「ううううぁああああぁぁあああああああああッッッッツ!!」


 わたしは、壊れた。


 右手首を掴むヤスカちゃんを突き飛ばし、絶叫したまま壁に向かって走った。

 止まることなく壁に体当たりをしたけど、それでも壁は破れなくて、無様に弾かれたわたしの身体は、コンクリートの床に転がった。


 そして、五人に新たなペナルティが科せられる。


 わかっているけど、

 知っているけど、

 そんなこと、もうどうでもよくなっていた。


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