OL、唆す
「そ、そんなっ! 帝国が無ければ私はどうなるんですの!? わかりました、スペンサー卿のことは私が何とかしてみますから。お願いですから見捨てないでください」
ステファンに見限られたと感じたプリシラは、必死になってステファンに懇願する。しかしこれまで何もしてこなかったプリシラが何を言ったところで、ステファンの心に響くことは無い。単純な構図で見ればステファンもスペンサーも皇帝の配下であり、スペンサーも皇帝に言葉に逆らうことなどは無いはずである。だが、皇帝がプリシラであるということが話を単純なままにしておかないのである。
プリシラはスペンサーの策により擁立された、いわば何の正当性もない形ばかりの皇帝でしかない。ステファンにしても突然自分のところに転がり込んできた厄介者以上の存在ではない。形ばかりとは言え帝国皇帝の名に価値がある、ただそれだけの理由でプリシラはこれまで担ぎ上げられてきただけなのだ。
すでに栄華を誇った帝国など存在せず、過去の栄光に縋りつきたい者のみが帝国の存続を願っている現在に至ってはプリシラの存在価値など無いに等しいのである。もちろん地方で独立した貴族などにとっては価値が見いだされるかもしれない。ただそれは同格の貴族を従えるためだけの神輿にしかすぎずプリシラの人格や考えなどには何の価値もない。つまり地方に逃げ延びたとしてももはや帝国の復活などあり得ず、貴族の道具として生きていくしかないだろう。
プリシラ自身がどこまで自覚しているかはわからないが、ステファンに見捨てられればもはや皇帝としてどころかひとりの女としても無事に暮らすことは望めないということを本能的に理解しているのだろう。
しかし、そんな必死のプリシラに対するステファンの回答は冷静なものだった。
「では陛下、早速スペンサーのお止めください。陛下のお力を示すことが出来れば、帝国の復活にも可能性が見えるでしょう」
ミヤビの言葉にも影響されてのだろうか。ステファンの言葉は「やれるならやってみろ。出来ないなら帝国の復活など望むな」とプリシラには聞こえていた。そしてそれはプリシラにしては珍しくステファンの本心を言い当てていたのだった。
自分の口からスペンサーを止めるといった以上、もはや無かったことにすることもできない。しかしこのような状況でスペンサーにどうやって接触すればいいのか、接触できたとしてもどうやって止めればいいのかすらプリシラは考えていなかった。しかし今更ステファンに尋ねることもできない。
「わかりました。私がスペンサー卿を止めることが出来れば、帝国の復活に力を貸しなさい」
なんとか皇帝としての威厳を最低限取り繕うと、プリシラは自身に用意されていた館に踵を返すのであった。
「なんなのあれ? 自分の部下を止めるだけなのになんであんなに偉そうなの? とっとと追い出してそのスペンサーとかいう奴に押し付けたらいいじゃん」
プリシラの言動を見てミヤビは思ったままを口にする。
「それでおとなしく引っ込んでいてくれたらいいんだがな。結局力が足りないとか言って俺に助けを求めてくるのは目に言えてるんだよな」
ステファンは嫌そうにミヤビに答える。
「いっそのことそのスペンサーとかいうのとまとめて始末しちゃったら? 戦争中のことだって有耶無耶にしちゃえるんじゃない?」
と、飛んでもないことをミヤビは口にする。もはや形式でしかないとはいえプリシラは帝国皇帝であり、ステファンはその臣下であるのは疑いようのない事実である。プリシラに剣を向けるということは明確な反逆行為でしかないのだ。
だが何とも言えない顔をするステファンに、ミヤビは追い打ちをかける。
「別にあの女を殺すために軍を向ける必要はないじゃない。スペンサーをやっつけに行ったらたまたまそこに居て巻き添えを食ったって事なら問題ないんじゃない? まさか皇帝が部下を止めるためだけに自ら足を運ぶなんて誰も想像しないと思うわよ」
ニヤニヤとステファンを見つめるミヤビの姿は、まるで悪戯を唆すような軽いノリだ。皇帝弑逆を進めているとはその表情からは誰も思わないだろう。
「なるほどな。相変わらずミヤビに常識は通用しないな。あんな皇帝でも殺そうとは思わなかったからな」
そう答えたステファンの表情は、ミヤビの言葉を批判するものではなかった。そしてステファンはセルジオを呼び出す。
「これはミヤビ様ですな。お久しぶりでございます、しばらく会わないうちにさらにお美しくなられたようですな」
現れたセルジオはミヤビの姿を見て驚くが、すぐに何事もなかったように挨拶する。
「セルジオさんも久しぶりね、元気そうで何よりだわ」
「おいおい、ずいぶん態度が違うじゃないか。俺との再会の時にはそんな挨拶もなくいきなり「皇帝と結婚するんだって?」だったぞ」
普通にあいさつを交わすふたりにステファンが突っ込む。
「ふふ、やっぱりステファンはこうでなくっちゃね」
だがミヤビにすれば、ドルアーノのころを思い出し自然に笑みがこぼれるだけである。
セルジオに改めてプリシラについてのやり取りを伝える。セルジオとしては公爵家の現当主であるステファンが大事なのであり、帝国は二の次でしかない。そしてセルジオにとってプリシラの存在は明らかにメリットをデメリットが上回り、結婚して帝位を奪うことをステファンが望まないのであればもはや邪魔と言ってもよい存在でしかなかった。
プリシラをうまく誘導してスペンサーのもとに赴かせる。しかもそれは秘密裏に行われステファンの知るところではないように、という暗黙の指示をセルジオは何事でもないかのように頷くと手配のために姿を消した。
「やっぱりセルジオさんは出来る男よね。これが上手くいけばステファンものんびりできるんじゃない?」
「セルジオが優秀なのは否定しないが、なんか相変わらず引っかかるもの言いだよな。まあミヤビらしいと言えばそうなんだがな」
セルジオの背中を見ながらふたりは、どうでもいい会話を続けるのであった。
「どうしたらいいの? スペンサーのところに行けばきっとステファン卿に乗り換えたと恨み言を言われるわ。でもスペンサーに会わないと説得もできないし…」
プリシラは自室に戻ると耐え切れず弱音を呟く。修道院ではこのような状況の対応など当然学ぶことは無い、そして現在に至ってもそのようなことを教えてくれるものは身の回りには居ないのだ。これはプリシラが自身で学ぶことを拒否したことに起因する。どうせ自分には出来ないと一切の努力を回避したプリシラに、誰も皇帝に対して強く言わなかったのである。ことの重要性を理解して注進するほどプリシラに忠誠を誓う者も存在しなかったことも大きい。
そんなプリシラのもとにステファンによって付けられた侍女が近づく。もちろんセルジオの指示を受けた者達だ。世の中を知らず、常識すら怪しいプリシラの思考を誘導することなど彼女たちにとっては赤子の手をひねるが如く簡単な作業であった。
「そうね! こっそりスペンサーを恭順させることが出来ればステファン卿も驚くだろうし、何より喜んでくれるわね。それに私は皇帝、スペンサーなどタダの部下でしか無いのだわ。どうしてそんなことに気が付かなかったのかしら」
余りにも簡単に誘導されるプリシラを、逆に心配そうな眼で眺める侍女。ここまで単純だと、スペンサーにまた丸め込まれる可能性も否定できないからだ。しかし今回はスペンサーのところに秘かに辿り着きさえしてくれれば十分である。その後プリシラが何を考えていようとも、もはや行動することは出来ないのだから。
そこまで考えた侍女は、口元にだけ笑みを浮かべるのであった。
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「枢機卿猊下、聖女様の向かわれた連合軍について報告が届いております」
教国に残された枢機卿のもとに報告が届く。聖女ミヤビ、教国が認めたことではあるが、その力は教国の想像の遥か上すらも超えるとんでもないものである。伝説上の存在である神龍を従魔にしたという一点だけでも、すでに人間の範疇を大きく逸脱する存在なのである。そんな聖女の行動の報告が届いたというのだ、枢機卿が落ち着かない気持ちになるのも仕方がないと言えるだろう。
「ご苦労」
何とか内心を隠し、何事もないように報告書を受け取る。従者が退室するのを見届けると震える手を抑えて何とか報告書に目を通し始めた。
報告の内容は簡潔であった。いや簡潔にしか書きようがなかったというのが正しいのかもしれない。神龍のブレスにより連合軍は消滅、報告の内容はそれだけだったのだから。交戦も起きず、ただ一方的な攻撃、それもたった一撃でしかない以上これ以上報告する内容が存在しないのも仕方がないだろう。
だがその単純な内容とは裏腹に、伝わった事実は深刻なものであった。数万の軍ですらたったの一撃で葬り去る戦力、そのような戦力を教国が保持しているという事実はこれまでの各国のパワーバランスに巨石を放り込んだほどの影響をもたらすことは疑いようもない。各国に教会を作り教国の教えを広めるだけの存在であり、完全な中立を保つことで各国からの影響を排除して生き延びてきた教国にとって、聖女の齎した力はあまりにも強大すぎるものだったのである。
(このまま聖女様として教国を導いてもらうことが本当に正しいのであろうか。これだけの力を持つ者は果たして本当に聖女様なのであろうか。ひょっとすると我々はとんでもないものを聖女様としてしまったのかもしれぬ…)
枢機卿は問題の大きさに、頭を抱えるしかなかったのだった。
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今年最後の更新となります。つたない文章に、不定期な更新にもかかわらず読んでいただけたことに、この場を借りてお礼申し上げます。
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