二.社畜の閻魔様

「なぁ、わしの休暇短くね?」


 清らかに流れる川だが、底の方では毒毒しく川底が見えない三途の川の岸には、如何にも秘書といった感じで、タイトな黒のオフィススーツに主張の激しい身を包み、アッシュパープルの髪色に目立たない白の髪飾りを使ってオリジナルヘアアレンジをしたビジネスウーマンがバスタオルを持って立っていた。


「仕方ありません。転生休暇を取ると仰ったのは閻魔様ではありませんか?」


 転生休暇とは文字のごとく転生、つまりこの閻魔大王が、他の異世界の住人として転生し、その世界の生活を楽しむというものだ。


 それには転生前の記憶を完全に消すこと、肉体はその世界で生まれるものを使うこと、転生する対象の寿命は少なくとも1万年以下であること、魂を破壊出来る方法をもつ世界には転生をしないこと、転生前の能力値を大幅に超える転生対象を選ぶことは出来ないこと 等、一定の制限があるが、転生対象は指定出来るので、ある程度情報収集をした世界であれば、大金持ちの子、王子様王女様、人間外であれば鳥やイルカ、はたまたファンタジー世界では勇者や魔王の子供、ドラゴンや精霊、その世界での悪魔や神の子として転生することも出来る。


 ただし、死ねばそこで終わりというのがこの休暇取得条件のひとつであるため、寿命より早く死ぬことがあると、そこで休暇は終わりとなる。 この休暇を取るものは長い時を生きる生物に転生する者は少ない。短い寿命だからこそ地獄では味わえない体験が出来るのだ。というのが転生休暇を選ぶ者の常識だ。


 ちなみに他の休暇の取り方としては、地獄で1万年休日を過ごす万年休暇がある。こちらの方が一般的で、ただただ地獄で1万年の休暇を取るというものである。地獄は広いので旅行と称して様々な罪人の悲鳴を聞きに行ったり、血を浴びに行ったり、担当外の刑の執行体験などを行う者が多い。 閻魔にはそういった趣味はなく、のほほんと日常を生きる方が好きな、地獄の住人としては例外的な者である。最早仕事が向いてない。


「ほら、川から上がって下さい」


 名前をウリィと8500兆年の間呼ばれている秘書は閻魔に手を差し出した。


「よいしょっと。うわ、ベトベトじゃん。三途の川はちょっと粘度があるからいつも嫌なんじゃよ」


 そう言ってウリィはバスタオルで座り込んだ閻魔の髪を拭き始めた。


「いや前回休暇取ったの1万年前よ?そのうちたった17年だけ。今行った世界の人間の寿命じゃ平均寿命の85歳×365日×17年÷1万年で・・・一生のうちで52日!52日しか休暇取ってないことになるんじゃけど!?」


 地獄はスーパーブラック企業である。


「仕方ありません。前回よりは長かったでしょう?というかそれ前も同じようなこと聞きました」


 前回の閻魔の転生先はロボットなどが存在する近未来世界の一般中流家庭の子供として生まれた。それなりに楽しい時間を過ごしたが、就職先がブラック企業で30代半ばで過労死した。


「そもそも1万年と17年が同じ休暇ってどういことよ。やっぱあと100回ぐらいは転生させてくれないと割にあわんわ」


 この願いは以前から言っており、一度ウリィは本気でやってみようとした。しかし転生休暇を望む者が少ないと言っても、それは全地獄住人数の割合の話であって、実際の地獄の住人は莫大な数がおり、母数が多いと例外的なものも多くなる。そのもの達に何度も転生することを認めてしまうと、こちらの事務負担が急増し、今の100倍ほどの人員が必要であることが分かった。そのためウリィは断念したのであった。


「閻魔様。子供みたいにだだこねても仕事は待ってくれませんよ。これまでで一番短かったかも知れませんが、ご感想はどうなんですか?」


「・・・楽しかったよ。今まででのわしの転生人生の中で best of 青春人生 じゃな。やはりあれだけ地獄のことが正確に伝わっておる国のある世界じゃ。元々好感度が高かったのじゃが更に好きになったわい」


 地獄の存在はなぜ世界に広まっているかというと普通に考えれば、死後の世界というものを生物は自然と考えてしまうからであろうように思える。しかし、この地獄がどのようになっているかというのはどの世界に行っても大体同じ風に考えられている。

それは何故かというと、世界が創造され知性のある生物が生まれると地獄の方から伝令を出しているからである。死んだらこうなりますよ。地獄とはこういうところですよ。だから悪いことはやめましょうね。という内容である。 ただ、その伝令の内容は大雑把なもので、たまたま転移したすぐのところで目についた人物に伝えているだけである。更には大体の世界では伝えるのがその一回きりのため、広まることが遅く、時代の移り変わりや他者への伝わり方などによって内容はどんどん変化していってしまう。 だからといって、逐一手間をかけようとしても、世界は目が飛び出そうなくらい無数にあり、またどんどん生まれていっているためそこまでやる余裕が地獄の広報部門にはないというのが実情である。


「さてと、こんなところでじっとしていると亡者達が三途の川から出られると思って面倒なことになりそうじゃのう」


 閻魔は膝に手をかけた。


「では行くか」


「はい」


 重い腰をあげ、すっかり髪の乾いた閻魔とウリィは同じ方向に歩き出した。 それから閻魔は転生生活での思い出をウリィに歩きながら話続ける。 それに微笑みながら頷き、相槌をうつウリィ。


「で、こちらでは何か変わったことはあったか?」


 すると、ウリィは暗い顔をした。


「それが・・・・」


 閻魔にとってはウリィの珍しい表情だった。 彼女は非常に有能で、昔から殆ど仕事の失敗は無かった。何かしでかしたのだろうか?


「詳しいことはお席に戻られてからお話ししますね」





(あー戻ってきちゃった。いつもの席、いつもの風景。)


 ここは裁きの部屋と呼ばれる。サグラダファミアのような荘厳かつ繊細で芸術的な内部に、1階は法廷のようでありながら2階は図書館のような見た目であり、贅沢な広さのある部屋となっている。


 天井は青空に雲が書かれたフレスコ画かと思いきや、その雲は実際に動いており、天井は見えない。裁きを受けるものが立つ証言台のある1階の床は一瞬鏡の様に思わせられるが、これはウユニ塩湖のように水面が反射しているのだ。では実際床は水びたしなのかというとそうではない。確かに歩くたびに波紋が浮かび広がっていくため非常に浅い水床一面に広がっているように見える。だが何も濡れてはいないのだ。ほとんど現物と区別のつかない水面のホログラム映し出されているというのがわかりやすいだろう。


 その2階に上がったところには雲を突き抜ける、驚くほど背の高い本棚が左右にいくつも並んでおり、梯子がかかっている。中にはよく使われるこれまでの判例や本日分の閻魔帳がぎっしり詰まっている。


 1階の中央の奥の壇上に上がったところがいつもの閻魔の席だ。非常に大きく、リンカーン記念堂のリンカーンが座っている椅子くらいの大きさはあるだろうか?

その椅子は背もたれの高さが高く、肘おきを含めた全てが地獄産の真っ黒な木で出来ており、禍々しく薄ら光る螺鈿細工のような骨細工がされている。座る部分と背もたれには赤い金細工が縁に施された革製のクッションだ。通気性がよく非常に手触りが良い。何の素材かは分からない。裁きにはエイリアン・グレイのような者も来るので地獄に落ちたそういった未知の者の素材であろう。 机は同じく巨大で横にも長く、縦にも長い長方形状の重厚なものだ。こちらも椅子と同様地獄産の木で出来ており骨細工がされている。 その上にデスクマットとして赤いビロードに四辺には金色のタッセルがぶら下がっている。椅子の後ろには本棚があり、部下のまとめた地獄法律や転生法律などの辞書が隙間のないように埋まり、入らなかった分は床や本棚の上に山のように積み重なっている。


 そしてその上には楕円形の巨大な鏡が3面浮いている。ここには裁きを受ける者の生前の行いが映し出される。


「ところで閻魔様ずっとその格好でおられるのですか?」


 閻魔の見た目はここまでずっと学生服姿の日本の高校生 佐藤浩之のままだ。


「うむ、もう少し余韻に浸ってもいいじゃろう?しばらくはこの姿のままでいようと思う」


 そう言って閻魔は浮遊し、机の上に立った。まるでミニチュアハウスのミニチュアドール又はエビングハウス錯視を使ったトラックアート写真である。


「学生姿の者が裁きを下すというのは説得力に欠けるのでは・・・・」


「納得しようが、しまいが関係無い。0か100。白か黒なのじゃからな」


 閻魔は現在の自身のサイズに合う机・椅子を作成し始めた。


「閻魔様には威厳というものが必要であります」


「別に威厳なんてものは必要無い。転生するもんは記憶に残らんし、地獄に行くもんはそんなこと気にしておられんじゃろ」


 次に椅子に座って万年筆とインクを作成。以前は羽ペンとインク、更にそれ以前は筆とすずりと墨汁だったが、異世界転生で万年筆集めに一時期ハマったことがあり100万年ほど前からずっと万年筆を使っている。


「部下のものに示しがつきません」


「この地獄にいる部下は皆わしのことを信頼してくれておるから大丈夫じゃ」


 紙に自身のサインを試し書きをしてみる。具合は良さそうだ。


「閻魔様が学生姿であることを皆に伝えることとなると時間がかかり業務に支障が出ます」


「別に全員に伝えなくて良い。この階層、もっと言えばわしと直接連絡を交わすものだけで良いじゃろう。わしもこの裁きの階層から殆ど出ることはないし、しばらくだけじゃからのう」


 これで閻魔の準備は完了だ。


「未練がましいと、女の子に嫌われますよ」


「いや、別にいいんだけど」


「普段の方が格好いいです」


「あのね」


「私はそっちの方がいいと思いますけどー」


「いや、しつこ!しつこいー!!この格好でやりたいって言ったよね?」


「カドカワさんに声がかかったらどうするんですか、キャラクターの印象が弱過ぎるって言われますよ」


「あぁ、もういい、わかった!2、3日したら元に戻す!これでいいじゃろ!あと、最後なんて!?」


「はい。ありがとうございます」

 

 ウリィは何故かニコニコしている。


「はぁ、では一人目入るが良い」


 ガンガンガンガン


 地響きを立てて巨大な裁きの門が開かれる。


 二人の鬼と一緒に入ってきたのは人のよさそうな中年の男だ。死んだ時に着ていたのだろう。いかにもな白い死に装束だ。ただ日本のものとは形が異なっており、なんだか派手な形をしている。日本のパラレルワールドで死んだ者だろうか? 男は鬼に促され証言台に立った。


「あ、あのぅ・・・すみません。ここはもしかして、やはり、その、地獄なんでしょうか?」


 男はオロオロして、脂汗をかいている。死後の世界があるとは信じていなかったからだろうか?それとも地獄に落ちることを自覚出来る何かやましいことに心当たりがあるのだろうか?はたまた両隣にいる鬼の顔を見て恐怖しているからだろうか?


「ああ、心配せずとも良い。時期にわかるし、最早貴様に出来ることは何もない。そこに黙って立っておるがよい」


 ウリィが目の前の人物の書かれた閻魔帳を手渡す。


「さて、貴様は永遠の生命、または、永遠の断罪どちらなのかな?」




 

「今日の仕事はこれで終わりじゃな」


「1日お疲れ様でした。今日は逃げ出さなくてよかったです」


 地獄での1日とは日本でいう1週間に相当する。地獄の住人は睡眠が必要ないため168時間ぶっ続けである。労働基準法が懐かしい。


 多くの地獄の住人は疲労を感じないためこれくらいの労働を全く苦を感じない。だが、閻魔は全く違った。転生休暇を何度もとった弊害だろうか。24時間たったところで閻魔の精神は限界に達し、ことある度に抜け出そうとしてウリィに捕まえられていた。


「む。転生休暇を増やすことを引き換えに最近はずっと真面目にやっておったじゃろう」


「いいえ。この前はトイレに行って来るとか言ってそのまま抜け出そうとしていました」


 地獄の住人にトイレはありえない。体の作りとしてそんな機能が存在していないためだ。


「いや、それは前の転生休暇の肉体の感覚がまだ残っておったから間違えて言ってしまっただけじゃ」


 閻魔はいつもギリギリのところまで仕事をサボろうとしていた。


「ええ、確かにその時もそうおっしゃられました。しかしそのあと私が法廷内でそのことに対して調べた結果虚偽の判定が出ておりました」


「・・・・・・」


「し、しかし、今日は戦争で死んだものが多かったの。なんじゃ、どこの世界でも戦争ブームなのかの?」


 閻魔帳をパラパラとめくる。


「ええ、珍しいこともありますね。ここに来たほとんどが如何にも軍人といったような格好だったので、上空から裁きを待っている待合所をみると一国の軍隊がこちらに攻めてきたのかと思いました」


 ウリィは今閻魔帳の整理をしている。


 閻魔帳はこの裁きの部屋に保管されており、地下にある書庫室は全て過去の閻魔帳である。ここに入らなくなったものは更に別の書庫室に保管されている。


「格好と言えば閻魔様のその格好、やはり罪人には舐められかかってましたね」

閻魔はまた心に汗を流す。


「い、いや、こうやってストレス解消することが出来たからいいのじゃ」


 ストレス解消とは閻魔が地獄行きを宣言した鹿の獣人と思わしき罪人が暴れ出し、もの凄い脚力で机の上に上がってきたので実力行使を行ったことである。閻魔の右ストレートを食らった罪人はぺぎぃとの音と共に頭が吹き飛んでいた。


「ところで、なのじゃが」


 これ以上ウリィに何か言われるとマズい閻魔は椅子にもたれかかり、最も気になる話題に転換を試みた。


「三途の川で聞いた話じゃが続きが気になるのでそろそろ聞かせてくれんかの」


「・・・・・・」


 ウリィは作業の手を止めた。


「はい。実は・・・・・・」


 ウリィは閻魔に体の向きを変え、ゴクリと唾を飲み込む。


「現在この地獄最強であると噂される阿鼻無間地獄の1番獄丁。その者との連絡が途絶えております」


 小さく震えた。


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