私は、何者?

@non_sun

第1話

 ぽつん。

 幼稚園の頃からよく来ていたこの公園には、誰もいない。わたしは、原っぱに1人。大きな夕日が、この夏に買ってもらったお気に入りの真っ白なスカートを、真っ赤に染め上げている。

 寂しいなぁ……。そう思ったとき、あの子は現れた。

「あなたは、だれ?」

 ふと、声をかけられる。

 振り向くと、私と背丈の変わらない女の子がいた。なぜだか、彼女の姿は、ぼやぼやしている。ただ、そよそよと吹く風の中、ふんわりと広がるスカートだけが見える。

 「私?私は花だよ」

 「べつに、あなたの名前を聞いたんじゃないわ。あなたが何者なのかを聞いてるの」

とげとげしい声が返ってきた。

 いきなり話しかけてきて、何を言ってるんだろう……。すごく失礼な子だ。少しむっとして、大声で答えてやった。

 「私は、遠井花!中学二年生!誕生日は11月2日の13歳!あなたこそ、なんなの?」

 「私?私は何者でもないわ。ところであなた、好きなものとかないの?」

なんなの、こいつ。質問するだけして、私の聞いたことはさらっと流そうとしてるの?

 「何者でもない?意味がわからない。何者でもない人間なんて、いるわけないじゃん!」

「じゃあ、何?あなたは、ちゃんと自分が何者なのか分かってるわけ?言えるわけ?」

「分かってる!言えるわよ!」

「なら、質問に答えて。あなたの好きなものは?」

 彼女の背中まで伸びた髪が靡いた。

 彼女は、どういうつもりで、私にこんな質問をするのだろう……。

 わからない。ただ、これだけは、はっきり言える。彼女は、私が質問に答えるまで、他の話をする気はないのだ。

 私、私の、好きなもの……。

「私…、私、勉強が好き。だって……、新しいことを知ることができるって、素敵なことでしょ?それに、勉強を一杯頑張って、……進学校に行って、ゆくゆくは、あの有名な大学に行ったら、……幸せな将来が、約束されてるんでしょ……?」

 「あはは!なにそれ、つまんないの!」

目の前の彼女はお腹に手を当てて、今にも転がりそうな勢いで、ケタケタと笑っている。

「つまらないなんて、言わないで!お母さんが!お母さんが、そう言ってたのよ!だから……!!」

「……自分の好きなものって、お母さんが決めることなの?」

 彼女の、ひんやりと冷たい声が、すっと聞こえた。

「えっ……」

 私、なんて、言ってた?お母さんが言ったから、勉強が好きって……?

「あなた、本当に勉強が好きなの?」

 私、私、本当に、勉強が、好き……?

「ごめん、わからなくなった……」

私、何が好きなんだろう……。そういえば、今まで、何が好きって、あまり考えたことがなかった。ただ、ただ、お母さんが言うように。たくさん勉強して、良い高校、大学に進学して、良い会社に就職して、幸せに暮らす。そんなことしか、考えてなかった。

 「好きなもの、わからないのね。だったら、何をしている時が楽しいの?」

「そ、それは、べ……」

「勉強は、なしよ」

彼女は口元に軽く手を当て、くすっと笑い声を出した。まだまだ、彼女の姿はぼやけているが、それとなく仕草はわかる。

 「……変だと思わないでね。私、魔法使いになって、空を飛べたらな、だとか、喋ったことがないけれど……、同級生の子たちと、わいわい映画を見に行くだとか……、そんな、くだらない妄想をしている時が、すごく楽しいの」

 「ふうん。ちゃんとわかってるじゃない。あなたの好きなもの」

その瞬間、ぶわっと風が吹いた。すすきの穂が、ふわふわと辺りに浮かんでいる。彼女の薄い唇が、弧を描くように、微笑んでいるのが見える。

私には叶うはずのない願い……、それを妄想することが好きなんだ……。

 「次の質問。あなたは、何が嫌い?」

 「考えたことがない。……答えようがないわ」

 「そんなの嘘。ちゃんと考えて」

 「本当に、わからないんだってば!!」

 「じゃあ、あなたを苦しめるのは、誰?」

私を苦しめる人……?私を縛りつける人。おかあさ……。

 「だめ!それだけは言っちゃダメなの!私、私はっ!」

「お母さんのおかげで、生きていられるから。お母さんがいないと、なんにもできないから。私の全てが、お母さんのためで、お母さんの全てが、私のためだから」

「な、何を言ってるの?」

「遠井花は、お母さんのための人形。自分なんてないの。何者でも、ないの」

 目の前で、彼女……、いや、私が泣いていた。お母さんが望む女の子らしくいられるように、ずっと伸ばしてきた髪、お母さんが望む、清楚な女の子に見える白いワンピース……。私、私だ。

「私はあなた。ずっと抑圧されてきた、あなたの本心。私ね、何者でもないの。だけどね、ずっと隠してきた意志があるのよ。友達と遊びたい、好きな格好をしたい、少しは、勉強をさぼってみたい…」

じわじわと、白いワンピースが赤く染まっていく。ああ、血だ……。鉄の錆びついたような臭いが、つーんとする。

 目の前の私は、私に向かって話しかける。

 「花、覚えてる?この前のテストの成績が悪くて、お母さんに怒られて、こんなのはあなたじゃない……、そう言われちゃったんだよね」

「うん、覚えてる、はっきりと。成績の悪い私は、私じゃないって言われた。同時に、私ってなんなんだろうって、悲しくなった」

「テスト終わりに、映画館に遊びに行ったり、流行りの服を着ている同級生が、すごく羨ましかった。テストで悪い点をとっても、友達同士で笑い飛ばしていた彼らに、とても憧れていた。私も、そんなふうに、なりたかった……」

「そして、3日前、私は家のベランダから飛び降りた」

思い出した、思い出した。私は、自分の存在がわからなくなって、耐えられなくなって、死んでしまいたくなって、飛び降りたんだ。

 「お母さん、悲しんでいるのかもしれない……」

「花、まだお母さんのこと、気にかけてるの?」

もう1人の私は、きょとんとしている。

「うん……。やっぱり、私、お母さんが好きなんだ……。好きなことをさせてもらえないし、ひどいことをされてるって分かってるけど、やっぱり、お母さんが好きなんだ」

 憎い、憎いよ。でも、好きって気持ちが消えない。私のために、ご飯を作ってくれるお母さん。私のために、一生懸命働いてくれるお母さん。小さい頃、この公園で、一緒に遊んで、優しい笑顔を向けてくれた、お母さん……。

 「ねえ、私、お母さんとやり直せないかなぁ……。ちゃんと、お母さんと向かい合って、話し合って、ちゃんと良い関係を築きたい……!!」

「それは、花次第だね」

目の前の私は、やわらかく微笑んだ。

 「時間がきたね」

目の前の私が、どんどん透き通っていく。

 「花、運が良かったね。あなたは、家の二階のベランダ飛び降りたけれど、少し頭の皮膚が切れて出血して、腕を一本骨折しただけ。死には至らなかった。気を失っていたあなたは、もうすぐ目覚める」


 辺りが、光に包まれてゆく……。


 目を開けると、真っ白な天井がそこにあった。

 「花!花!!」

泣き腫らして、目を真っ赤にしたお母さんが、私に抱きついた。

 「花、どうして、どうして飛び降りなんてしたの……」

「お母さん、あのね」


 お母さんに全てを打ち明けたあの日から、私は変わった。髪型は、大好きなアイドルの子と同じボブヘアー。服装は、最近の流行りのダボっとしたパンツスタイル。勉強はちゃんとしてる。新しいことを知る楽しさと、素晴らしさは、今でもそうだと思ってるから。あとは、友達ができた。みんな、最初私が話しかけると、すごくびっくりしていたけど、すぐに受け入れてくれた。今度の日曜日は、映画館に行くんだ。






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