第6章 遭遇
小鳥の鳴く声が聞こえる。雀か、メジロか、メグロか…。
眩い光が閉じた瞼からも伝わる。朝だ。
咲原はガバッと起き上がった。
ここは何処だろうか。一瞬混乱したが、隣に寝ている徳田を見てここが吉田の借りているアパートだということを思い出す。
あれから咲原達は日が変わるまで歩き回ったが、特に成果は得られなかった。咲原と徳田はそのまま自宅に帰ろうとしたのだが、吉田が全員で一緒にいた方が便利だからと言って自分の部屋を貸してくれたのだ。
時計を見る。午前11時過ぎだ。
すっかり寝てしまった。夏休みで無ければ大学にいる時間だ。事実、部屋に吉田の姿はない。今日は朝から夕方まで仕事だと言っていたので、既に家を後にしたのだろう。
「どうしようかな…」
立ち上がり一人でそう呟く。すると空腹感が咲原を襲った。
まずは食事の準備から始めよう。勝手に台所を使うのは気が引けたが、きちんと元通りに片付ければ問題ないだろう。
食材だけは買っておくべきだろうが、窓の外から大手チェーンのスーパーが見えるので、そこに行けば恐らく必要なものは足りる。
早速寝室の扉を開け、リビングに出た。
整然とした部屋の真ん中にあるテーブルに、一枚のメモが置いてあった。吉田からだろう。
「咲原、徳田さんへ
おはよう。二人ともお疲れのようだったので起こさないでおきました。
帰るのは5時過ぎくらいになります。
冷蔵庫のもの勝手に使ってくれて構いません。むしろ賞味期限が近いものは消費して貰えると嬉しいです。
一応家を空ける時は玄関のスペアキーで鍵だけかけてください
何かあったらいつでもラインしてね 海斗より」
メモの下にはバットとグローブのイラストがボールペンで描かれている。野球好きな吉田らしい。
使ってくれと言われたからにはここにあるものを使った方がいいだろう。
キッチンへ向かう。賞味期限を見て早めに食べた方がいい食材を探すと、食パンと卵、レタスときゅうりなどの生野菜が目につく。
これならばシンプルな洋風の朝食を作ればいいだろう。早速調理に取り掛かる。
パンをトースターで焼き、フライパンで卵とベーコンとソーセージに火をかけながらヤカンに水を入れお湯を沸かす。
この程度なら慣れたものだ。料理が趣味の咲原は手際よく計画的に調理を進めていく。
レタスをちぎり薄切りにしたきゅうりと合わせ、サラダを作っていると寝室の扉が開いた。徳田だ。
「おはよう」
少しあくびをしながら徳田が言う。
「おはようございます」
咲原も挨拶を返す。
「もうすぐご飯出来ますよ」
「おお、そうか。なら先に顔洗ってくるわ」
徳田が洗面所に入り顔を洗いだした。その間に咲原は残っていた用意を終わらせ、再び徳田がリビングに戻る頃にはポットから紅茶を注ぎ終わるところだった。
トーストと目玉焼きにベーコンとソーセージ、きゅうりとレタスのサラダがテーブルに並ぶ。
目の前に用意された朝食を見ると徳田は
「朝から豪勢だな」
と感心したように言った。
その言葉を聞いた咲原は少しホッとする。むしろシンプル過ぎないかの心配していたのだ。
「出来ればもっと手の込んだものを作りたいんですが、ちょっとまだ調べたいことがあって」
咲原が遠慮がちに言った。
「ん?そうか。じゃあ手伝うぞ。吉田が帰る前に終わらせとこう」
「はい、お願いします」
二人でテーブルに着き、いただきます、と手を合わせる。
「まともな朝食を食べるのは久しぶりだ」
置いておいた胡麻だれドレッシングをかけながら徳田が言った。
「そうですか?まあ、徳田さんは朝早そうですもんね」
咲原がトーストにマーマレードを塗りながら言う。工事現場の仕事というのは朝早くから暗くなる前がメインなのだろう。
「それもあるがな、俺はあんまり飯は作らないんだ。機械いじりは得意だが、どうにも料理ってのは性に合わない」
「ああ、そういう事ですか」
咲原は納得してトーストをかじり始めた。
「しかしこういう飯はなんというんだっけな…イングリッシュブレックファーストだっけか。イギリスとは思えないまともな飯だよな」
「そうですか?」
「ああ、イギリスと言えば飯がマズイことで有名だろう?」
今度はソーセージに徳田がガブリ付く。咲原はうーん、と唸った。
「そうでもないですよ?俺、高校の頃イギリスに短期留学してたんですが、そんなに食事が美味しくないと感じたことはありません」
これは事実だ。そもそも食材や文化の流通が未発達な時代ならいざしらず、現代において先進国で全く食べられものがないという状況に当たるなどあり得ない。
「そうなのか?最近は変わっているのかもな…」
「はい。時代も変わっているんですよ」
「ふぅん。じゃあ食うものに困ることはなさそうだな」
そう言いながら徳田は目玉焼きをフォークで刺す。半熟に焼いていたため少し黄身が割れてしまうが、特に構わずそのまま半分を口に入れた。咲原それを見ながら自分の目玉焼きに塩胡椒をかけ、ナイフで食べやすい大きさに切る。
「はい、だから馬鹿にしたものではありませんよ」
「そうかそうか。なら、イギリスに行ったら有名なハギスやキドニーパイでも食べて行こうか」
その言葉に、咲原は少し自分の発言を後悔する。ホームステイ先の最後の晩、ご馳走だよ。と言われて出たハギスの味を思い出していたのだ。
「あー…と、とにかくパプでフィッシュアンドチップスなんか食べるのはいいかもです!」
咲原は慌てて言う。徳田は咲原の様子には気がついてない。
「パブか…まあなんにせよたまには有給取ってどっかいくのはいいもんだ。仕事は大事だが、やり過ぎは体にも心にも毒でしかない」
その言葉に、咲原は以前仲山に根を詰め過ぎだとしばらく休みを言い渡されたのを思い出す。本当にやり手の人間はハードワークを避けたがるものなんだな、と感心しながら紅茶に牛乳と砂糖を少し入れを飲み始めた。
「イギリスは見どころはあるのか?」
その言葉に、咲原は目を輝かせる。
「はい、もちろん。ホームズの家とか、オックスフォードとか、あと時計塔もおススメです!あと郊外に行けばマナーハウス、つまり昔の貴族が住んでいた屋敷を使ったホテルにも泊まれます!お昼にはティータイムも楽しめるのでおススメなんです!あと他にも他にも…」
「お前は随分とイギリスが気に入ったみたいだな」
徳田が珍しいものを見るように言った。
そういえば、イギリス好きだとは言ってなかったな。
「ええ、昨日付けてたグローブも、向こうの友人から貰ったものなんです」
徳田も紅茶を飲もうとしていたので、牛乳パックを差し出すが、徳田がいらん、と手で制しストレートのまま飲み始めた。
「そうか、まあ何にせよいい場所なのは分かった。もし旅行に行くことがあれば道案内は頼むぞ」
「はい、任せてください!」
イギリス案内はお手の物だ。咲原自分でも珍しく自信満々に徳田に応じた。
その後、朝食を食べ終え食器と調味料を元どおりに戻すと、咲原と徳田は調べものを始めた。調べるのは事件が起きた近辺の裏路地などについてだ。犯人は基本的に裏路地に入った人間を狙っている。マークする価値はあるだろう。
地図には乗らないような道もあるためそれなりに手間がかかったが、二時間後には全ての作業が終わった。
大分時間が余ってしまった。吉田が帰るまで暇だ。
どうせなら、と思い咲原が杉山のお見舞いを提案すると、徳田もそれに賛成した。
「何か持って行きましょうか」
咲原が聞くと徳田はいやいや、と首を横に降る。
「昨日袋いっぱいに土産をやったんだ。これ以上やったら病院に迷惑さ」
咲原も昨日徳田が大量に見舞いの品を持ってきていたのを覚えていたので、ほとんど手ぶらで行くことにした。
吉田の部屋を出て病院まで向かう。ここからなら歩いてでもすぐだ。夏の日差しは強いが、それ以外咲原達を遮るものはない。
あっというまに病院に着く。敷地内に広々とした噴水広場があり、そこで入院患者や付き添いの看護師達が散歩していた。丁度、吉田も外で入院患者と思われる子供と一緒に芝生の上でキャッチボールをしていた。
「吉田兄さん!」
咲原が声をかける。吉田が振り向き、一度キャッチボールをやめこちらへ歩いてきた。
「あれ?咲原と徳田さん。どうしたの?何かあった?」
吉田が不思議そうに尋ねた。
「いや、ちょっと暇になって、杉山のお見舞いに来たんだ」
吉田がそっか、と納得していると、後ろからひょっこり少年が顔を出す。さっき吉田とキャッチボールをしていた子だ。
「お兄ちゃん、この人達だれ?」
咲原達を指差して言う。年齢はまだ10歳満たないほどだろうか。巨人のキャップを被っている。
「この人達は僕の友達だよ、僕たちの友達が病院にいるからお見舞いに来たんだ」
吉田が少年に説明する。子供は少しの間咲原と徳田をマジマジと見つめるが、すぐに吉田の方を向き直す。
「この人達も野球上手いの?」
「ん、うーん、どうかな」
吉田がこっちを見て少し困ったような顔をする。出来る?と聞いているようだ。
「出来るよ」
そう言って咲原が吉田からグラブとボールを受け取る。徳田と吉田に「俺はこの子とちょっと遊んで来ます」と言って少年を誘った。少年はパッと顔を輝かせ咲原について来る。
そのまましばらくキャッチボールで少年の相手をした。
昨日夜遅くまで吉田を付き合わせてしまったので、今くらいは休んで欲しかったのだ。しかし、いざ少年と遊んでみるとこれが中々面白い。子供だからと優しく投げていたが、少年は咲原の投げるボールをすべて軽々とキャッチしてしまう。
ならば、と少し強めに投げるが、これもキャッチする。中々見どころある少年のようだ。
それからはしばらく遊んでいると、少年と同じくらい自分がキャッチボールを楽しんでることに咲原は気づいた。
「お兄ちゃん中々上手いね。あんな早い球なのにコントロールもばっちりだった」
キャッチボールを中断して一度二人で芝生に座り休憩していると、少年が言った。
「そうかな?あっちのお兄さんの方がきっとずっと上手いよ」
そう言って吉田を指差す。
「うん、お医者のお兄ちゃんめちゃくちゃ上手いもん。野球選手やればいいのに」
その短絡的な発想に咲原は苦笑する。子供らしいと言えば子供らしいのだが。
「あのお兄さんは野球も上手いけど、医者としても凄いんだ。あと、あの人バッティングが苦手だし。小柄だから」
「ああ、なるほど」
少年がポン、と右手を握って左手を叩く。今時の子供が何処でそんなものを覚えるのだろうか。
「ならお医者の方がいいね。代わりに僕が野球選手になるよ」
そう言って左手に嵌めたグラブをブンブン、と振り回す。
「そうしなよ。あのお兄ちゃん、きっと喜ぶよ」
「そっか、なら頑張るよ」
少年がムクっと立ち上がって伸びをする。
続きをやろう。と言っているようだ。
しかし、そこで看護師が少年のことを呼ぶ。もう病室に戻る時間らしい。少年はまだ遊びたいと駄々をこねたが、看護師は厳しく、駄目!と言って少年を連れて行った。
「また遊ぼうね!お兄ちゃん!」
看護師に連れられながらも咲原に手を振りながら少年が言う。咲原はまた今度な。と言って手を振り返す。少年が見えなくなると徳田達の下に戻った。
「大丈夫だった?咲原」
吉田が少し申し訳なさそう言う。自分の仕事を押し付けてしまったと思っているようだ。
「大丈夫だよ。俺も楽しかった」
なら良かった、と吉田が安堵の表情を見せる。徳田はさっさと杉山の部屋に行くぞとだけ言って病院内に向かって歩いた。咲原達もついて行く。
杉山の病室に行くのは2回目だ。三階にあるため、徳田が先を歩き、咲原と吉田が話しながら歩く。吉田曰く杉山の怪我は順調に治ってきているようで、本人は早く動きたくて仕方ないらしい。
「もちろん、まだまだ絶対安静だよ。下手に動くときっと傷口が開いちゃうし、痣もあったからきっと痛くてしばらく立てないよ」
吉田が厳しい口調で言う。いつもはとても優しいのだが、怪我人や病人には結構厳しい。特に杉山はよく無理をするので尚更だろう。
そうこうしているうちに杉山の病室に着く。しかし変だ。部屋の中が妙に騒がしい。
「なんだ?」
徳田が扉を開く。すると、何故か杉山がまだ動けないはずの身体で立っていた。それだけではない。部屋の中には看護師と昨日の夜会った加村というジャーナリストまでいる。
杉山が加村の胸ぐらを掴み、加村をそのまま壁に叩きつけた。看護師は部屋の奥で呆然としている。
「どうしたんだ⁉︎杉山‼︎」
吉田が杉山達の元へ駆けつける。しかし、杉山の目には入っていない。
「いい加減にしろ。このクズ…」
杉山は依然加村の胸ぐらを掴んだまま加村を睨みつけた。その様子から殺気すら滲み出ている。理由は分からないが、加村が杉山の怒りを買ったようだ。
「ひ、ひいぃ…」
加村は杉山に怯えて身動きすら取れない。
「杉山!何をしているんだ!」
吉田が差し迫った声で杉山に呼びかけた。杉山が吉田を振り向く。やっと吉田の存在に気づいたようだ。
「ああ、海斗兄さん。戻ったんだね」
「戻ったんだねじゃない!早く離すんだ!」
吉田の声に、杉山は渋々だが、加村からパッと手を離す。加村がドサッと地面に崩れ落ちた。
「ば、化け物!怪我人のくせに!」
捨て台詞を吐くと加村はすぐに後ずさりし、逃げるように部屋から出ていった。
杉山は加村の足音が聞こえなくなるまで部屋の扉を睨みつけていたが、聞こえなくなるとベッドに座り込みふぅ…と息をついた。
「すみません、せっかく来てくれたのにお見苦しいところを見せちゃって」
杉山が詫びる。 加村が去ったことで頭が少し冷えたようだ。
「なんだ今のは。穏やかじゃないな」
徳田が言う。咲原もあのただならぬ様子は気になった。いくら短気な杉山でもあそこまで怒ることは珍しい。
「あのおっさん…なんかジャーナリストって言ってましたけど、あいつがあんなこと言うから…」
杉山がイライラした調子で言う。その様子を見かねた看護師が、杉山さんは悪くないんです。と話しかけてきた。若い女性の看護師だ。
「悪いのはあの人なんです。私が杉山さんの包帯を取り替えている時、いきなり病室の扉が空いて、さっきの人が来たんです。私が今は包帯を取り替えてるので外でお待ちください。と言ったのを聞かずに杉山さんにあれやこれやと事件のことを聞いてきて…。
杉山さんは知らないと、私も患者を刺激するような発言もやめてくださいと言ったのですが…」
咲原が杉山を見た。入院用の寝巻きの前がはだけて解きかけの包帯が覗いていた。加村はゾンビ事件被害者を訪ねて杉山の部屋に来たのだろう。
杉山は不機嫌そうに看護師の話の続きを続けた。
「聞く耳を持ちやしない。その上、俺や看護師さんにベラベラ聞いてもないこと話し始めて、看護師さんがきっぱりと「治療の途中だからお引き取りください」って言ったんですよ。そしたらあの男、なんて言ったと思います?」
杉山が咲原達に疑問を投げかける。あの男ならなんと言っても正直違和感がないが、話を続けるために分からない。と首を振った。
「「黙れ。看護婦の分際で神聖なジャーナリズムを邪魔するな」と。しかも、看護婦さんに「お前をゴシップの種にでっち上げてやろか?」と脅して来て…。それを聞いて俺、我慢出来なくて」
なるほど、咲原は合点が言った。あの騒がしい声は加村のものだったのだろう。
杉山の怒りはもっともだ。おそらく自分が同じ状況でも杉山と同じようにしてたに違いない。
「そうだったんだ…。それは許せないね。ごめんね?杉山」
吉田が杉山に謝る。
「いいんだよ。むしろ海斗兄さんがいなかったらあのままあいつぶっ飛ばしてたかもしれないし」
「それでも、僕らがもっと早く来てれば杉山も看護師さんも嫌な思いしなくて済んだだろうから…そうだ、杉山。怪我は大丈夫?」
吉田が杉山の身体を見る。傷口が開いてないか確かめるつもりだろう。
「だ、大丈夫だよ…このくらいなんとも…ッ!」
杉山が脇腹を抑える。吉田が服を脱がせると、包帯から血が深く滲んでいた。
「やっぱりすぐ手当をしよう。
咲原、徳田さん。せっかく来てもらってなんですが下で待ってて貰ってもいいですか?」
杉山の様子は気になったが、徳田は構わない、と言ったので咲原も病室から出て行った。
しばらくして、二人はロビーの隣にあるカフェでデザート(咲原はイチゴパフェ、徳田はコーヒーフロートだ)を食べていた。
イチゴにクリームをたっぷり乗せて食べようとすると、後ろからトントンと肩を叩かれた。
振り返った途端、咲原はイチゴをポロッと容器の中に落としてしまった。
そこにいたのは先ほど杉山に部屋を追い出された加村だった。
「もし、奇遇ですねえ。こんなところで会うとは」
ニヤニヤとした作り笑いが顔に戻っている。すっかりさっきのショックは無くなったようだ。
咲原は返事をしようとしたが、驚いて何と返せばいいか思い浮かばない。
「奇遇?何がだ?お前は取材のために来たんだろ。さっきお前が杉山に追い出されたのを見たぞ」
咲原より先に徳田が返した。その態度は昨日より露骨に嫌悪感を表していた。
「おやおや、見られていましたか。これはお恥ずかしい。あの青年には協力を得られなくて、ええ」
加村がヘコヘコと腰を低くしながら話す。が、ほとんど反省しているようには見えない。
「黙れ。お前が協力を頼んでいたわけではないのは分かってんだ」
徳田が立ち上がる。その顔にはもはや嫌悪感を超えて敵意が見えた。流石に加村も誤魔化しきれないと感じたのか、作り笑いをやめ細めていた目をガッと見開く。
「ふん、素人が。
お前達に何が分かる!どんな手を使ってでも売れる記事を作るのが我々ジャーナリストの仕事だ!お前らにはそれを協力する義務がある!あの杉山とかいうガキはそれを拒否したんだ!」
加村が早口でまくしたてる。杉山に対し内心では相当悔しさ感じていたのだろう。
「どんな手を使ってでも?なるほど、無理やり被害者に情報を吐かせて、それを利用して金を稼ぐのががお前らの仕事か」
加村の正面に立った徳田が吐き捨てるように言う。加村の顔が赤くなり、憤怒の形相に変わった。
「うるさい!こっちは結果結果といつも急かされてるんだ!大体な!多少手段強引でも情報が記事になればそれを読みたがるのはお前らだろう!わざわざお前達が読みたがってるものを用意してやってるんだ!むしろ感謝すべきだ!」
徳田に向けて大声で叫ぶ。もはや、徳田と加村の口論はカフェ中に響き渡っていた。
「そのやり方で被害を被る奴がいるのが問題だと言ってるんだ。そんなものを書かなきゃやっていけないならジャーナリストなんてやめちまえ」
徳田が見下ろしながら加村を睨みつける。徳田は加村よりずっと背が高かった。
加村も負けじと睨み返す。本音を言えば咲原は徳田に加勢したかったが、このままでは本当に騒ぎになる。そんなことをすれば病院中に迷惑だ。
止めなければ。そう思って咲原が立ち上がった、その時だった。
「どうしたんですか!徳田さん!」
吉田の声だ。カフェの入り口からこっちへ駆けてくる。杉山の治療が終わったのだろう。
徳田の元まで駆けると、対峙しているのが加村だと気づく。それまで何事かと驚いていた吉田の顔が急に険しくなった。
「あなた…まだこの病院にいたんですか。さっき院長から聞きましたよ。貴方、以前も患者の方と問題を起こしてここを出入り禁止になったはずです」
吉田の言葉に、加村はぐう…と唸る。
何も言えないあたり、どうやら本当のことのようだ。
「貴方にこれ以上うちの患者やその周りの人に迷惑はかけさせたくありません。出て行ってください」
杉山や徳田のように威圧するような態度ではないが、吉田の言葉は加村に一切取り付く島も与えない。咲原が気づいた時にはカフェ内の全員が加村を不審なものを見る目で見ていた。
「な、なんだお前ら。そんな目で私を見るな」
加村が周りの目を見て狼狽える。完全にアウェイだ。
「今回は見逃します。早く出て行ってください。さもないと、警察を呼ばせて貰いますよ」
警察、という単語を聞いた加村はもはや勝ち目はないと悟ったか、カフェから逃げるように去っていく。
「くそ!ジャーナリズムを理解出来ない馬鹿共め!お前らなんぞ皆ゾンビに食われてしまえ!」
最後にそう捨て台詞を残して加村は病院から出て行った。
吉田がふう、と息を吐く。めったに争い事をしない彼のことだ。本当はとても緊張していたのだろう。
「よくやった」
徳田が吉田にの肩に手を置いた。
「い、いや、僕は当然のことをしたまでですよ…」
吉田が恐縮する。さっきまでとはまるで別人だ。しかし、近くにいた年を取った男が吉田に向かい「そんなことはない」と声をかけてきた。
「儂も昔ジャーナリストの端くれだったがな、ああいう横柄な奴は大嫌いだ。確かにこの仕事は失礼を承知でやらなきゃやってけんが、あんな奴ばかりと思われちゃ儂の部下達が可哀想だ。若いのによくやったよ、あんたは」
老人は吉田にすっかり関心したようだ。周りにいた人達もよくやった、かっこよかったよ。と吉田を賞賛した。吉田は照れてはいたが、その顔を見るに満更でもないようだ。
「ふう、色々あったなあ今日は」
三人で吉田の部屋まで戻る途中で吉田が言った。あれから咲原と徳田は杉山のお見舞いにと向かおうとしたが、吉田曰く傷口が思ったより開いてしまったらしく安静にする必要があるため、面会をしないで帰ることにしたのだ。
「吉田兄さんからすれば、一昨日の夜杉山が運びこまれて手術して、昨日も遅くまで俺たちのナビゲートしてたからね。疲れても仕方ないよ」
「そうかもね…。でも、今は弱音ばかりも吐いていられないから。明日は休みだし、今日は僕も二人のパトロールに参加するよ」
「ああ、お前の医療術は頼りになる。いざとなったらよろしくな」
徳田が吉田にフッと笑いかける。吉田も任せてくださいと拳をグッと握る。今日の加村の一件でより一層事件解決に向けてやる気が出たのだろう。
「でも危険かもしれない。吉田兄さん、少しでも異変があったらすぐに教えてね?」
咲原か吉田に注告する。仲山曰く「手練れ」の徳田や喧嘩慣れした杉山と違い、吉田は武道の心得はないはずだ。自分もいつも杉山に任せていたため護身以上のことは出来ない。
いざという時吉田を守れる自信が咲原にはないのだ。
「うん、ありがとう。でも大丈夫。役に立てるかはわからないけど、自分の身くらいは守れるさ。これでも仲山さんや徳田さんと沢山冒険したからね」
吉田が自信ありげに言う。そういえば、と咲原は思い出した。この人も徳田や仲山とずっと付き合ってきた人間なのだ。おそらく修羅場の一つは二つくぐり抜けてきたのだろう。
心配はいらん。と徳田も言った。
「いざとなったら俺が守ってやる。お前達の代わりになれる奴なんてそうはいないからな」
「徳田さん…」
咲原が少し感動する。ずっとドライな人だと思っていたが、案外人情がある人なのかもしれない。
「まあ、咲原は仲山が戻るまでだが」
「ちょっと‼︎徳田さん⁉︎」
咲原が抗議する。さっきの感動を返して欲しい。
「何言ってんだ。仲山が戻ればお前はいなくても問題ないだろう。なんで自分が傷つくリスクを背負ってまで守らなきゃならないんだ」
徳田があっけからんと言う。
確かに。咲原はそう思った。元はと言えば自分が同行させてくれと頼んだ立場だ。人に守って貰うことをアテにしてはやっていけない。
それに、仲山は広辞苑が裸足で逃げ出す膨大な知識量と、武器を持った暴漢ですら素手でいなしてしまう高い格闘技術の持ち主だ。
あの人さえいれば自分に出来ることはほとんどないと言っていい。悔しいが、守る価値がないと言われても仕方ない。
「もう、徳田さん。僕より咲原のこともっと大事にしてください。仲山さんのとこでバイトしてるなんて言ってますけど、もう咲原は自分で警察が手を焼くような事件を何度も解決してるんですから」
吉田が少し咎めるように言う。
「へえ、そうなのか。精々雑用してる程度かと思った。中々やるじゃないか、咲原君」
軽口を叩きながらだが、徳田は少し感心する様子を見せていた。
「え、ええ。これでも探偵目指して長いですから」
咲原が驚きながらも誇らしげに見えるように言う。実際のところ、吉田の言うように難事件を解決したことは数えるほどしかなく、ほとんどはたまたま警察が見落としてところにヒントがあったり大して犯人が賢くない事件ばかり解決していたのだが、それは黙っておこう。
「まあ何にせよだ。三人全員がやられることだけは避けないとな。一人でも無事なら後は仲山に任せられる」
徳田はそう言うと、ポケットから吉田の部屋の鍵を取り出す。出かける時に借りた予備の鍵だ。
辺りをよく見ると、もう吉田の借りているアパートの目の前まで来ていることに気づいた。そのまま吉田の部屋に入って三人はそれぞれ準備を始める。
吉田は仕事用肩掛けカバンからプライベート用のリュックサックに荷物を替え、徳田は改造スタンガンの整備(それを見た吉田が懐かしいですね、と声をかけている辺り彼にとっては見慣れてる物のようだ)、咲原はすぐにでも出かけられるのであり合わせの食材でサンドイッチと冷製コーンスープを作った。全員で交代でシャワーを浴び着替えた後、先程作ったサンドイッチとスープで軽めの夕食を摂る。
「ん なかなかイケるな」
徳田がコンビーフのサンドイッチを頬張りながら言う。勢いのある食べっぷりから見るに気に入ってくれたようだ。
吉田も美味しいね。といいながら食べている。
サンドイッチとスープの皿はあっという間に空になった。
好評だったようで咲原も少し嬉しい。
時間が気になり時計を見ると、既に七時回っていた。
そろそろ出ないとマーキングした分を今晩中に回れなくなる。二人にそれを伝えると、二人はすぐに了承し、調査に向かうことになった。調査開始だ。
3人で外に出て目的地まで歩く。今日は杉山の事件現場の近くを回ることにしていた。
商店街が近くにあり栄えている場所だが、そこからしばらく歩くとオフィス街になり夜は閑散として人通りが少なくなる。
今はまだ7時半過ぎのため、退社する会社員達もそれなりにいるが、ここからは人通りも少なくなる一方だろう。
「まずはここから行きましょう」
咲原がビルとビルの間にある小道を指差し吉田、徳田に話しかける。
ここは地図の通りであれば、この小道を入ってからしばらくは表通りには出られない。犯人が狙うとしたら絶好の場所だろう。
「おう、わかった」
徳田が返事をし、吉田が頷く。再び暗い道の探索が始まった。
懐中電灯をつけ、中にツカツカ入っていく。今回は三人のため照らせる範囲が広く、前よりも視界は広かった。順番は徳田、吉田、咲原だ。平均以上の背丈の徳田や咲原と違い吉田は小柄で、襲撃に会えば一番危険な立場だからだ。これならば、前からでも後ろからでも吉田を庇うことが出来る。
咲原は先を徳田達に任せながら自分は後ろから何も来てないか確認する。不思議と昨日ほどは緊張していなかった。馴染みのある吉田が一緒だからだろうか。それとも二人が三人になったからだろうか。どちらにせよ、吉田の存在が咲原にとって不安を和らげていることは確かだった。
しばらく歩くと、咲原達は小道を抜け小さな通りに出た。
「何もなかったね。ここで終わり?」
吉田が咲原に聞く。地図を開いて確認するが、ここはさっきのオフィス街から少し離れた通りで、小道はここで終わっている。
「そうみたいだね、地図でもここまでみたい」
どうやら、ここには何もいないようだ。
「そっか…まあ一つ目だもんね、他の場所廻りに行こう」
吉田の言葉に徳田もそうだな、と言い次の目的地まで歩き出す。
その後しばらくは何も音沙汰がなかった。
2つ目、3つ目、4つ目と調べていた裏道を回ったが、誰の気配も、何の気配もしなかった。
裏道は暗く、蒸し暑く、虫の鳴き声以外は何も聞こえない。三人いるため昨日よりは効率よく回れているが、それ以上に暑さからの疲労が溜まる。夜とは言え今は真夏、気温も30度以上の中何度も薄気味悪い裏道を警戒しながら通るのは、精神的にも体力的にも消耗した。
異変があったのは五つ目に差し掛かった時だった。相変わらず後ろを警戒していた咲原は、突然立ち止まった吉田にぶつかってしまう。
「ごめん、吉田兄さん」
「大丈夫だよ。気にしないで」
吉田はぶつかったことを気にとめている様子はなかった。
しかし、何故突然止まってしまったのだろう。一番前の徳田も立ち止まっている。何かあったのだろうか。
「どうしたんですか?」
咲原が疑問に思い徳田に問う。徳田はあれを見ろ、といい前が見えるよう道の端に寄った。咲原が前の方に懐中電灯を当て目を凝らす。
カメラだ。大きな一眼レフのカメラが道の真ん中に転がっている。誰かの落とし物だろうか。
「カメラですか?不思議ですね、あんなところに」
「馬鹿、あれをよく見ろ!」
徳田が咲原を叱る。そうは言われても、咲原は写真撮影の趣味ないため、カメラの種類は詳しくない。強いて言うならば、何処か見覚えがあるような…。
そこまで考えて、咲原は思い出した。あのカメラは、加村が持っていたものと同じものだ。
「ああ…あの男のものと同じものですね」
ひらめくと同時に、思い出すだけでも不快感が蘇ってくる。吉田を見ると、普段の穏やかな雰囲気は何処へやら、眉間に皺を寄せ険しい顔付きになっている。
全員がカメラに対して嫌悪感を醸し出していた。しかし、立ち往生しているわけにも行かない。咲原が前に出て落ちていたカメラを持ち上げる。見れば見るほどあの男のものしか見えない。これが加村のものだとしたら、何故こんなところに。ジャーナリストにとってカメラは大事な商売道具だ。いくらあの男でもこんな乱雑な扱いはしないだろう。
吉田と徳田にもよく見せようと、2人の元まで持っていく。2人は怪訝な顔をしながらもそのカメラをよく見ようと覗きこんだ。その時だった。
悲鳴が響き渡った。甲高い男の悲鳴だ。咲原、吉田、徳田はビクッとして悲鳴の聞こえた方を見る。
「なんだ今のは⁉︎」
徳田が驚きの声を上げる。声は裏道の奥から聞こえてきていた。
「もしかしたら誰かが襲われているのかも!行きましょう!吉田兄さん!徳田さん!」
二人を促し三人で悲鳴の聞こえた方へ駆け出す。すぐに二手に分かれている道に出た。
一つは真正面をそのまま進む道、もう一つは交差点のように直角に曲がる道だ。
咲原が直角に曲がる道を覗きこむ。悲鳴の原因はそこにあった。
加村だ。加村が道の奥にこちらを向きながらへたり込んでいる。加村の手前には男が三人、加村に向かい追い詰めるようにゆっくり歩いている。
「おい、あれは加村じゃないか!?」
徳田が咲原に問いかける。
「ええ、どうやらそのようです」
咲原も徳田に返す。あの三人はおそらく今回の事件の犯人だ。事件を調べていた加村が先に犯人に遭遇し、彼らに追い詰められたのだろう。
このままでは加村は連中に襲われ、奴らの餌食になることは間違いない。
助けるべきか、咲原は迷った。これが加村で無ければすぐにでも向かうのだが、あの男を助けるためにリスクを背負う必要があるのだろうか。むしろ襲っている最中を仕掛ければ犯人相手に先制出来るチャンスではないか。咲原の中にはそんな残酷な考えがあった。
同時に今すぐ助けるべきだ。という人道的な考えも思い浮かぶ。
決めかねている咲原の前を横切る影があった。吉田だ。目の前で誰かが傷つくのは許せないのだろう。徳田と咲原の前に立ち、犯人に対し叫ぶ。
「やめろ!何をしているんだ!」
吉田の叫びに、犯人達は振り返る。
それを見た咲原はぞっとした。そこにいたのは人ではなかった。泥のような色の腐った肌に、見た事がない程血走った目。顔から首にかけてが血を浴びたように真っ赤に染まり、ボロボロの服から見える皮膚は半分爛れている。
そこにいたのは、この世ならざる生ける屍だ。そして、血走った目をこちらに向けて唸り、歯茎をむき出しにする。
咲原達は、今や怪物達の格好の餌食だった。
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