第4章 被害者達
「暇だな…」
徳田からの差し入れのお菓子を食べながら杉山がポツリと呟いた。怪我は相変わらず痛むようだが、意識をはっきりさせてすっかり目を覚ましている。元々よく動きよく喋る彼にとってはこの状況は退屈極まりないだろう。吉田は少し同情した。だが、まだ傷口も塞がっていない上にいくつか繋いで置かなければならないチューブもある。動かすわけにはいかない。最も、彼はまだ歩けるようになる程回復はしてないはずなのだが…。
それにしても…と吉田は杉山をじっと見つめる。杉山の回復の早さは中々のものだ。つい昨日意識不明の重体で運ばれたにも関わらず既に意識を取り戻し、自力で食事までしている。もちろん、若いのもあるだろうがそれにしても早い。これは彼自身のタフネスもあるだろう。
「海斗兄さん」
考え事をしていた吉田に杉山が呼びかける。
杉山は吉田の携帯にメッセージが届いてるよと言って置いてあるスマートフォンをさした。
吉田が確認する。咲原からのLINEだ。内容は調査の経過報告と、目黒病院に入院している患者に花道よし子と荒尾松木という人物が入院してるか確かめて欲しいこと、またその2人に怪我した時の状況を聞いて欲しいというものだった。
入院患者のリストとなると、一階の管理室まで戻る必要がある。吉田は杉山に少し用がある。とだけ言って部屋を出た。そのまま階段を降り、目的地まで辿り着く。管理室に入り挨拶すると、そこで書類整理をしていた女性看護師達が一斉にこちらを振り向いた。
「あら、吉田さん」
その部屋の室長が声をかける。いつも吉田に対しては何故かかん高い声で話しかける人だ。
「お疲れ様です、室長さん」
室長を労うと、室長がウフ、と笑う。
「お疲れ様。どうしたの?」
「入院患者の名簿が必要になって…何処にあるか分かりますか?」
「あら、それなら私が管理してるわよ」
室長が手に持っていたファイルを見せる。
「ああ、それです。ちょっと確認させて貰えますか?」
「ええ、いいわよ」
室長がにっこり笑って近くにあった別のファイルを渡す。どうやらコピーを持っていたようだ。
「ありがとうございます」
吉田は礼を言うと、リストを確認し始める。
花道よし子、荒尾松木。咲原からの報告から考えれば運ばれているならここ1、2週間の話だろう。リストを遡ると、一週間前に花道よし子が、その3日前に荒尾松木の名前があった。どうやら二人ともこの病院に搬送されてるようだ。
「どうかしたの?」
室長が少し不思議そうに聞く。いきなりリストを見せろと言われたのだから、向こうからすれば何事かと思っているのだろう。
「いえ、大したことでは。ただ担当患者の情報の確認を改めてしておきたくて」
「あら、そうなの。なら、そのコピーはしばらく持ってていいわよ」
「本当ですか?ありがとうございます」
今情報をメモしなければと思っていた吉田からすれば有難い。早速吉田はペンをしまい礼を言う。
「いいのよ別に。吉田さんまだ新人なのにやる事多くて大変でしょ?」
室長は心配するように声をかける。吉田はまだ入ったばかりだが、院長や先輩医師が色んな仕事を任せているためだ。最も、それは吉田の高い腕を見込んで期待されてのことなのだが。
「いえいえ。室長や皆さんが助けてくれるおかげで、そこまで大変ではありませんよ」
吉田が微笑みながら返す。室長もそれを聞くと嬉しそうに微笑み返した。
「あらまあ、そんな大したことじゃないわよ」
「いえいえ、とても助かってますよ」
そう言って吉田はファイルを閉じドアに向かう。
「では、失礼します」
待って、と室長が呼び止めた。
「どうしました?」
「吉田さん、今日はずっと昨日運ばれてきた急患の方の所なの?」
「ええ、まだ経過を見る必要がありますし、他の仕事は回って来てませんから」
「あらそう、残念ねえ」
残念と言われてもな…吉田も少し困ってしまう。
「いえ、これが僕の仕事ですから…。では」
礼をして管理室を出る。
まだ勤めて日が浅い吉田に病院内のことをよく話してくれる室長だが、何故かやたらと腕や肩を触ってくるので、少しだけ吉田は彼女が苦手だった。
彼女だけではない。何故か女性の看護師達は吉田を見るとやたらと声をかけてくる。
他のベテラン医師に対してはそのような様子は見えないため、いつも吉田は疑問に思っていた。
きっと、僕が頼りないから気にかかるんだろうな。少しでも早く仕事を覚えよう。
そう思いながら、吉田は足早に進んだ。
目的地は先程の二人が入院している部屋だ。
階段を上がり三階へ戻る。杉山のいる方とは真逆の廊下を移動し、花道よし子のいる病室に辿り着く。
305号室。杉山と同じく個室だ。
コンコン、と軽くノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
吉田が礼をしながらドアを開ける。
中にはベッドの上半身部分を少し傾けて横になっている女性がいた。
若い女性だ。隣には満開に咲いた向日葵を差した花瓶が置いてあり、お見舞いの品に囲まれている明るい部屋だった。恐らく仲のいい友人や同僚が沢山いるのだろう。しかし、肝心の女性はあまり元気そうには見えなかった。この人が花道よし子だろう。
「あれ?いつもの先生じゃないですね?」
女性が首を傾げた。恐らく検診だと思ったのだろう。
「ああ、失礼しました。自分は研修医の吉田です。検診ではなく、お尋ねしたいことあってここに来ました」
「尋ねたいことですか?私でよければ」
「ありがとうございます」
「いえいえ。で、何ですか?」
花道よし子が尋ねる。元々の彼女を知らないため分からないが、少しやつれているのではないかと思った。あまり顔色が良くない。少し無理して元気な振りをしているように見える。
「その、それがですね…」
吉田は少し迷う。が、意を決して言う。
「花道さんが怪我された当時の状況を教えていただきたいのですが」
「え…怪我した時の…?」
花道よし子の顔が凍りつく。
まずい、そう吉田が思った時には既におそかった。花道よし子の顔が見る見るうちに青ざめ、手で顔を覆い尽くす。
「ご、ごめんなさい。聞いてはいけないことでしたよね。忘れてください」
「嫌だ…あれが来る…あれが…私に…あれが来る…」
吉田がフォローしようとするが、まったく聞こえてないようで、ブツブツと不気味に独り言を言い始めた。
「花道さん…?」
吉田が近づく。
「嫌ああああああ!!来ないで!!来ないで!!」
が、突然花道よし子が絶叫する。そして吉田に向けて手元にあったファッション雑誌をひっ掴み投げつけてきた。
「化け物!化け物!化け物おぉ!」
鬼のような形相で取り憑かれたように辺りにあるものを投げつけてくる。落ちつかせようにも聞く耳を持たない。
「どうしました!?花道さん!」
騒ぎを聞きつけ看護師の一人が駆け付ける。
花道よし子の担当の人だろう。看護師が彼女の隣まで行き抱きしめる。それでもなお暴れていたが、しばらくすると正気を取り戻した。
「あ…あ…私….」
「花道さん、大丈夫です。ここは病院です。誰もあなたを傷つけません。安全ですよ」
「ああ…」
花道よし子ががっくりうなだれると、看護師がそのまま彼女をベッドに横にさせる。
「安心してくださいね?花道さん」
「ごめんなさい…私、またやってしまった」
花道よし子が詫びる。どうやらこのようなパニック状態は今回が初めてではないようだ。
「検診は後にしましょう。もう少ししたらご飯の時間です。
それまでゆっくりしててください」
「はい…ごめんなさい…看護師さん」
「大丈夫ですよ」
看護師は花道に布団をかけながら微笑んだ。
そのまま吉田と部屋を出ると、吉田に向かって頭を下げた。
「すみません、吉田さん。花道さん、入院してからああいうパニック状態に陥ることが何度かあって…」
看護師が詫びる。吉田がパニック状態を聞いて駆けつけたものと思っているようだ。
それを見て吉田は少しホッとした。が、同時に自分の迂闊さに申し訳なくなった。
「い、いえいえ。謝ることじゃないですよ。
それより、彼女、何があったんですか」
吉田が少し声を落として言った。
咲原からの頼みもあるが、それ以上に花道の半狂乱になった様子が頭から離れなかった。
「彼女ですか?…実は、最近起きてる通り魔事件の被害者なんですよ。吉田さんも知ってますよね?」
看護師が聞く。咲原のLINEで見た、杉山が巻き込まれたかもしれない事件だ。
「ええ、知ってます。犯人がグループで行動してると言われているアレですよね」
「ええ、その事件です」
看護師が肯定しながら話続ける。
「その事件、公表されてないんですが、犯人がその…」
看護師が言い淀む。
「どうしたんですか?」
こんなやりとりを前にもしたな、と思いながら吉田が聞く。
「その…ゾンビらしいんです」
「…え?」
吉田が動揺する。今彼女はゾンビ、と言わなかっただろうか。
「ゾンビらしいんです…」
看護師が私も信じたくはないと言いたげながらも繰り返す。
「ゾンビって…その…死体が生き返ったとかそう言われてる?」
「そうです…」
少しの間沈黙が続く。
「…驚くのも無理はありませんよね。ゾンビだなんて、そんな映画みたいな話」
「でも…本当なんですか?」
「少なくとも、ゾンビのような見た目はしているらしいです」
看護師が病室の方をチラと見る。花道がそう言ったのだろう。
「で、でも…もしそうなら警察やテレビがもっと大々的に…」
「それが、警察は花道さんの話を聞いて、愉快犯がゾンビのフリをして強盗をしようとしたと決めつけてるみたいで、馬鹿馬鹿しいと言いながら帰ってしまったんです。加えて花道さんがあの様子ですから、マスコミ等は絶対入れないようにしてるんです」
「そうだったんですか…」
ゾンビが犯人。確かに話だけ聞けば信じるのは難しい。が、本当にそうだとすれば花道のあの様子も無理はないと思える。
だが、まだ決めつけるのは早い。もう一人の被害者、荒尾松樹の部屋まで急ごう。吉田は看護師にお礼を言い、花道の部屋を後にした。
荒尾松樹の部屋はここからそう遠くない。というより数部屋先なだけだ。
そうしてたどり着いた308号室、部屋の名前には荒尾松樹と何名か程。リストには16歳と書いてあったため、中にいる高校生くらいの男の子を探せば分かるだろう。しかし、部屋の中にはそのような影はない。ベッドが一つを除いて全て空いているため、おそらく出かけているのだろう。
仕方ないと諦めた、その時だった。
「あのう」
中にいた男性が声をかけてきた。唯一埋まっていたベッドにいた患者だ。
「はい、なんでしょう」
吉田が返す。もしかしたら何か困っているのかもしれない。
「誰か探してるんですか?」
男性が質問する。吉田の様子を見て気を利かせてくれたのだろう。
「はい、実は荒尾松樹という方を探しています。ここの部屋の方なんです。聞きたいことがありまして」
同室なら荒尾松樹の居場所も知ってるかもしれない。吉田はこの気の利く男性に聞いてみることした。
「荒尾松樹?それなら僕のことですよ」
「…え?」
吉田が驚く。聞き間違いではないだろうか。
「だから、僕のことです」
どうやら聞き間違いではないようだ。
いや、しかし、それでも目の前にいるのが荒尾松樹だとは信じがたかった。
何しろ目の前にいる彼は16歳の高校生とは思えない。小太りで背は低くく、顔もハの字眉毛で少しだらしない。髪は豊かだが頭にそのまま乗っかってるように見えるため、まるでできの悪いカツラのようだ。
かなり失礼だが、はっきり言って彼は中年男性にしか見えなかった。
「あのー…」
荒尾の声に我に帰る。あまりのショックで本来の目的を忘れるところだった。
「は、はい。荒尾松樹さ…くん。君に聞きたいことがあって来たんだ」
「聞きたいことですか?」
「うん。君は何が原因で入院したか覚えてる?」
「入院?ああ、怪我の原因ですか」
荒尾はすぐに察しがついたようだ。
「ああ、もちろん無理に言わなくてもいいよ?」
吉田が慌てて付け加える。花道のようにパニックにさせてしまうのは避けたかった。
「あ、大丈夫ですよ。結構聞きたがる人多くて、すっかり慣れちゃいましたから」
そう言って近くにある丸椅子をベッドの近くに寄せる。掛けてくれということなのだろうか。吉田が座ると荒尾は話を続ける。
「僕が入院したのは一週間くらい前のことです。あの日、僕は塾から帰るところでした。授業が終わった後、いくつか先生に聞きたいことがあったので時間を作って貰ったら、すっかり遅くなってたので、家まで近道を使ったんです。裏路地を進んでしばらくした、その時でした。奴らがいたんです」
「奴ら?」
吉田が聞く。
「僕を襲った犯人ですよ。奴らはボロボロの服に腐ったような茶色い肌をしていて、まるで映画に出てくるゾンビのような連中でした。そして僕は命からがら逃げ出して、大通りまで来たところで周りの人に助けられました」
「そうだったんだ…」
荒尾が話し終えると、吉田は考え込む。
ゾンビが犯人という話に信憑性が増して来た。花道のあの様子や、被害者達の怪我を見れば愉快犯の仕業とは言い難い。
杉山も同じ犯人にやられたのかもしれない。
何しろ杉山の格闘術ならば一般人では手も足も出させずに返り討ちに出来てしまう。ゾンビに襲われたという方が吉田からすればまだ信じられる話だった。
「大変だったんだね」
吉田が同情する。目の前にいる荒尾松樹も、恐ろしいゾンビに襲われたとなれば多少なりともトラウマが残っているだろう。
「ええ、怖くて食欲が減ってしまいましたよ…」
そう言いながらも、荒尾は机にあった空の食器を片し、見舞いの品であろうポテトチップスとコーラに手をつけ始めた。
その様子を見た吉田は、何故か同情の気持ちが少し引いていく気がした。
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