【2-5c】可愛い教え子たちを
『美味しかったでしょう? 私の手料理。さぁ、勇者として戦いなさい。ご褒美をなんでも差し上げましょう』
パーシヴァルとアナスタシアの頭の中で聖女シャウトゥの声を感じ取った。
「ゴ、ゴホウビ……。ナン、ナンデモ……」
「リョウリ……、タベタイ……。タベタイィィィィ!!!!」
狂気に満ちた顔で唾液を横に流しながら、パーシヴァルとアナスタシアが襲いかかってきた。
「くっ……!」
「うぉあっ!? あぶねっ!」
パーシヴァルの振り下ろした剣戟をイリーナが受け止め、アナスタシアの素早い刺突を鉄幹が拾い上げるように薙ぎ上げて流した。
一撃こそ流すことはできたが、二人の怒涛の連撃が止まることはなく、迅たちは防戦一方だった。
「面倒だ。俺が相手になる」
エヴァンは地面を蹴り、翼を展開してすり抜けざまにパーシヴァルに一撃を与える。
ふらつきこそしたが、パーシヴァルはエヴァンを捉え、傷に構わず剣戟を繰り出した。
一方アナスタシアは地上の迅たちに狙いを定め、空中から光線の魔法を乱射する。光線が着弾した地面は焼けて抉れるほどの威力だった。
「当タッテェェ!! オ願イ!! アタッテェェェェエエエ!!」
「無茶言ってやがる……」
痺れを切らしたアナスタシアは鉄幹に向かって素早い突きを放つ。寸でかわして羽織ったジャケットの袖が切れた。
その後も容赦なく刺突を繰り出すアナスタシア。迅やイリーナが斬りに入るが空中に逃げられてしまい、遠距離攻撃の魔法を当てるのも難しかった。クロエが岩の壁を呼び出すも、光線で容易く蜂の巣にされてしまう。
その様子をオルフェは遠目で覗っていた。かつての教え子が欲に狂って力を振るう姿を。
『自由と権利は拘束されない。それはつまり、責任は誰も取ってくれないということだ』
かつて自分が言った言葉を思い返していた。彼女たちが自分の意思で聖女を信じたことで狂った人形にされていること。この顛末はつまり、
「自業自得。そうとも言えるんだけどね……」
清潔に整えられた部屋。窓から柔らかな風が白いカーテンを揺らす。
「先生。先生? 聞いてます?」
私は透き通るような女性の声に呼ばれたらしい。読んでいた本に夢中で書き込みを入れていたせいで気づくのが少し遅れた。
「すまない、カーリー。何かな?」
「酷いなぁ。病気の彼女より研究優先ですか?」
そう言ってきたのは、白いベッドに横たわりながらこちらに微笑む女性。肌は私と同じ褐色で耳は尖っている。黒いボブヘアがそよ風に踊る。
目は私と同じく細めている。元来、我々の種族は光にとても弱く、目を閉じるか、かなり視界を狭めなければ生活するのは難しい。
「すまない、私としたことが本に浮気してしまったね」
「あー! そんなこと言うとあの約束反故にしちゃいますよ? 先生なんて一人カビ臭い本に埋もれて窒息死しちゃえばいいんですから。ツーン!」
「あぁ、もう。ジョークだって、ジョーク。研究が軌道に乗ったからつい調子に乗っちゃったんだ、すみませんでした!」
「あっそう。それはよかったですねー」
「なぁ、カーリー。機嫌直してくれよぉ」
彼女は唇を尖らせている。私はそれが演技と知りながらもつい面白くて付き合ってしまう。
かつて教え子だった彼女は素行が良いとは言えず、私にちょっかいをかけていた。私は呆れながらもそれに付き合い、終いには彼女の好意に応え交際を始めた。そして、今度は私から婚約の契りを申し出た。
その矢先だった。彼女は心臓に病気を負い、今も生か死か、その境に立っている。
その彼女の心臓の手術を医学者である私が請け負うことになった。
カーリーは私に背を向けて寝転がっている。それも演技と知っていて、かわいいと思ってしまっている私だが、それ以上に身を案じていた。
もしかしたら病気は治らず、或いは手術が失敗して、などという不安が拭えない自分がいた。
「先生」
背中越しに彼女が喋りかける。彼女は私に向き直って、
「大丈夫。先生はきっと私を助けてくれる。そう信じてるから」
私に笑いかけた。それが演技だったかは分からなかった。
その日の帰り、私はセフィロトの根に捕らえられ、アバロンに来てしまった。
カーリー、君を置き去りにして。
「カーリー。私はやはり、教え子が可愛くて仕方ないよ」
オルフェは剣を握り、アナスタシアに向かって駆けていく。アナスタシアと対峙する鉄幹の肩を踏み台にしてアナスタシアの間合まで飛び上がった。
「ぜあぁぁっ!!」
アナスタシアに向かって薙ぎ払うが届かず、刺突が脇腹を掠めた。しかし、オルフェはそれで怯まず、風を身にまとい、体を一転させるとさらに上に飛び上がる。アナスタシア目掛けて剣を振り上げる。
「失敗した教え子を救うのも、『先生』の使命だ!」
オルフェは眼を見開いた。眼球が黒く、虹色に渦巻いているような瞳がアナスタシアを捉える。
「ティルフィング!!」
振り下ろした剣から放たれたのは緑の突風。アナスタシアの光の剣閃とぶつかると、緑の風が渦巻き、広範囲の木々をも根こそぎ吹き飛ばす。
パーシヴァルと空中戦を交えていたエヴァンは、パーシヴァルを強打でその嵐の中へ放り込み、多少の飛行のバランスを崩しながらも風がなるべく及ばない距離まで後退した。
地上の迅はガラティーンを引き抜き、仲間に及ぶ重力のフィールドを展開して、吹き飛ばされないよう踏みとどまる。
嵐はパーシヴァルたちの鎧や円環を砕き、寄生木は吹き飛ばされて塵となった。
嵐が収まると、気を失った二人が地に落ちていくが、パーシヴァルはエヴァンがさらい、アナスタシアはオルフェが作り出したそよ風に乗ると、ゆっくりと地面に降りていった。
迅は重力の魔法を解き、イリーナたちは崩れ落ちるようにその場に座り込む。
「ぜぇ……、ぜぇ……。今の……、ナーディア以上だったんじゃないかしら……」
「ていうか、オレたちまで巻き込まれるところだったじゃねぇか! 先公よぉ!」
悪態をつく鉄幹にオルフェが振り向く。いつもと違う面相に皆が驚いた。
「へ? 誰?」
「いや先輩、オルフェさんですよ。多分……」
「多分て何さ、照木くん……」
「せんせー、目どうしたの? 真っ黒」
心配そうにクロエが尋ねると、オルフェは「ははは」と笑う。右手で目を覆うとすぐにいつもの糸目にまで瞼を閉じた。
「たまには私も目立ちたいってところかな? 冗談はさておき、やはり『コレ』は疲れるね。私もしばらくはごりごりだよ」
「取り込み中悪いが、笑ってはいられる状況でもあるまい」
エヴァンが脇腹に元に戻ったパーシヴァルを抱えて来た。地面に眠るように倒れたアナスタシアの横に並べるようにそっと横たわらせた。
迅たちが二人に歩み寄ると、パーシヴァルが目を覚まして起き上がる。
「ぐっ……、僕たちは……」
「パーシヴァル! なんともない!?」
ひかるがかつてのクラスメイトを気遣う。すると、パーシヴァルは口をモゴモゴさせた。
「みんな、迷惑かけたみたいだね。でも、なんか口に違和感が……」
迅はナーディアが剣憑依による副作用で手の感覚がなくなったことを思い出すと、懐から赤い液体が入った瓶をパーシヴァルに差し出した。
パーシヴァルはそれを受け取って少し口にしてみる。すると、パーシヴァルは首をかしげるだけだった。
「なんの味もしないね。ただの水みたいだ……」
迅は俯いて苦い顔をする。ひかるがどういうことか尋ねると、
「パーシヴァルは……、味覚がなくなったんですよ……。これ、本当は気絶するほど辛いんですけど」
「味が分からなくなったの!?」
迅はただ頷いた。パーシヴァルは口元を押さえ、呆然とする。すると、自嘲気味に口から笑いが溢れた。
「因果応報……、かな……。仕方ないさ。聖女の味に惚れ込んでしまった。もう、美味しいものを食べても意味がないってことか……。はは……」
「パーシヴァル……」
ひかるが憐れむと、今度はアナスタシアが目を覚ました。
「んぁれ……? ワタクシは……」
「あ、アナ……。アナは……?」
ひかるの声が沈んでいる。アナスタシアも無事では済まないと悟ったからであった。
「あなたたちは……、誰……、ですか……?」
「!!」
ひかるは口元を押えて涙を流す。その質問の意味は子供でも分かるだろう。
「そんな……!」
「んん……? あなた、何を泣いてるんですか?」
「アナ……、アナ……」
ひかるはアナスタシアを抱きしめた。アナスタシアは訳が分からず、素っ頓狂な顔をした。
「ねぇ、みんな……。こんなのやっぱり駄目だよ……」
ひかるは声が落ち着くと、アナスタシアから体を離す。
「先輩……」
「こんなの、全然勇者なんかじゃない。ただ兵隊みたいに使われるだけなんて、誰が幸せになるの……?」
「その通りだね。我々は間違った秩序を信じてしまったらしい」
オルフェが静かに肯定する。
「もう、素通りで帰れなくなっちまったな。聖女倒さねぇと気が済まねぇ」
「今更でしょ? 妹の腕が奪われたときから、アタシは決めたわよ」
鉄幹、イリーナも覚悟を決めたらしい。
「クロエ」
エヴァンがクロエに呼びかけた。
「エヴァン?」
「この世界にいたいなら、戦いは避けられんぞ。それでも、俺たちとともに来るんだな?」
クロエは悩むことなく、強く頷いた。
「わたし、みんなと行くよ」
「先輩、大丈夫ですか?」
迅はひかるを気遣うが、ひかるは立ち上がり、涙を指で払って笑ってみせる。
「ダイジョブ、ダイジョブ! いざってときは照木くんが守ってくれるんでしょ?」
迅は恥ずかしそうに頭をかき、この人には敵わないな、と思った。
間もなく夜明け。状況が分からないアナスタシア、パーシヴァルを連れて、次元の大樹セフィロトの麓にある王都ダートを見据えて彼らは歩き出す。
To be continued
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