33.3

 美郷自身、ただこの身を襲った理不尽への怒りだけで、引っ掴んだものがある。

 それが呪いであれ祝福であれ、美郷はそれを「自分の意志で選んだ」モノだと思いたい。でなければ、こんなモノの全くが「他人に選ばされた」のだとしたら、それこそ耐え難いからだ。せめて己で選び、背負ったモノだと思わせろ――心底そう思っている。

(運良く体が死ななかったから、怨霊にならなかっただけって自覚くらいはあるんだよ、こちとら!)

 怨鬼の頭上に絡め取られた、姫神の霊力を睨む。怜路と息を合わせ、それを拘束する触手へ練った気をぶつけた。

 怨鬼は、弱かった。きっと怨鬼の母親や周囲を取り巻く者たちも弱かった。由紀子を追い詰めた幼馴染みや伯父も、美郷を呪詛した親戚も。

 人間は、その強く硬い拳で他人を傷付けるのではない。その弱さでこそ人を傷付ける。童話の悪役よろしく愉悦のために人を傷付ける者など、現実世界の多数派ではない。大抵は、弱く辛い思いをしている者ほど他人に牙を剥く。弱者であることは決して、善良さや清らかさを保証しない。清くあること、善良であることはきっと「強さ」なのだ。

 解放された霊力が、一直線に美郷へ墜落する。

 ずん、と地響きすら立ちそうな重さで、それは美郷の体にのしかかった。同時に頭の中へ暴力的な量の情報を直接流し込まれ、意識が遠のきかける。ぐらりと体が傾ぎかけたところに、温かい手の平が美郷の背中を支えた。

(――強く、在りたいんだ。おれは)

 そう心から思うのは、清く強く潔い者の立ち姿を、はっきりと脳裏に描けるからだろう。並び立って在りたいと思うからこそ。

 今一度、しっかりと目を見開く。

 簡単でないことは知っている。これからだって何度も己に失望するのだろう。だがせめて、現実いまと正面から向き合い続けたい。哀れな怨鬼を前にそう思った。自分の意志で、自分の道を選択し続けるのだ。手を取り合った相手とすら、いつか必ず別れが来るのだとしても、そんなばかり心配するなと叱ってもらったのだから。

「コントロールは俺がやる! お前は、ただ前に向かってソイツをブン投げろ!!」

 すぐ右隣で怜路の声が言う。頷く余裕すらない。全身に、神刀にのし掛かった霊力が、まるで捕まえられた蛇のようにのた打ち回ろうとする。それをどうにか押し留め、震える両腕で神刀を頭上に掲げた。

 姫神の意識はまるで嵐だ。そこに美郷との「疎通」などない。蹂躙されぬようシャットアウトし、背中に触れた体温を中心に己の輪郭を思い出す。外側に人の体、内側に白蛇――今は自分を守るように、固くとぐろを巻いて丸くなっている。

 片手で美郷を支えた怜路が、もう一方の手に握った錫杖を、床に転がる鬼女面目掛けて振り上げた。美郷も神刀の柄を握り直す。

(コントロールは考えなくていい、ただ前に――!!)

「はあああぁぁァァァァ――――ッ!!「行ッッッけェェェェェ――!!」」

 神刀を振り下ろす。乗っていた霊力全てを投げ飛ばすイメージを脳裏に描いた。思い描いたとおり、霊力が美郷から剥がれる。一瞬ソレは、長い髪をたなびかせた女の姿を取ったように見えた。

 同時に振り下ろされる怜路の錫杖に導かれ、姫神の霊力が鬼女面に着弾する。

 瞬間、砕ける鬼女面の口から無数の蛍火が空へ舞い散った。――おそらくあれが、囚われていた魂魄だ。十近くはあっただろうか。

 ぶわりと衝撃で風が逆巻く。

 風圧に思わず目を閉じて、もう一度開いた時には蛍火も姫神も消え失せていた。周囲の光景が、薄闇から皓々と室内灯の照らす拝殿へと戻る。脱力に膝が砕けかけ、背中を怜路の左腕が抱えた。

 霞む視界に、粉々に砕けた木製の鬼女面が映る。

 怨鬼が殺め苦しめた人間の数は、蛍火の数より更に多いだろう。

「――だけどおれは、ほんの少しだけ……お前のことも可哀想に思うよ」

 小さく唇に載せた呟きに、怜路の呆れたような長い長い溜息が返る。だが美郷は、怨鬼と己を分けた分岐点は多くないと思うのだ。そしてその分岐点はいつだって、自身だけで掴み取ったものではない。怨鬼が恵まれなかったモノに恵まれたから、美郷はまだ人間として生きている。美郷自身はそれに、感謝することしかできない。

 一年前よりも格段に背の伸びた弟が美郷を呼んで、顔色を変えながら駆け寄ってくる。笛や鉦も、太鼓のバチも投げ出され、場の全員が斎竹の内側になだれ込んだ。相手が誰かも分からないほど、二人まとめてもみくちゃに抱擁され、肩を叩かれ、頭を掻き混ぜられる。

「は、はは、あはははは……!!」

 不意に腹の底から笑いが込み上げ、訳が分からないほどの大爆笑になった。

 腹筋を引き攣らせ、呼吸困難になりながら、美郷は怜路に抱きついたままずるずると床にへたり込んだ。一緒くたに座り込んだ怜路が笑う。

「終わったな……お疲れさん」

 ぽん、ぽん、とあやすような緩やかなリズムで背中を叩いてくれる手が温かかった。



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