二十三.友人
23.1
週明け、靖と共に得た成果である「姫荒平事次第」を抱えて出勤した美郷と怜路を迎えたのは、思わぬ報せ――由紀子の祖父の訃報であった。由紀子の祖父は、今春に遭った交通事故を切っ掛けに寝たきりとなり、介護施設(先日怨鬼が暴れた医療院とは別の施設である)で療養していたそうだ。今朝早くに容態が急変し、安芸鷹田市役所からもほど近い総合病院に運ばれたのだが、治療の甲斐なく亡くなったという。当然、由紀子は欠勤しており、美郷らも守山を代表にして、チーム全員の連名で弔電を送ることになった。
家族を亡くした由紀子は大変に気の毒ながら、そのこと自体の業務への影響は、実に軽微だった。出勤と同時に訃報を聞かされ、早めに始まった朝礼で、弔電についての相談がまとまる。以後のことは特殊文化財の庶務を担当している村田に任せて、美郷らは当初の予定通り、姫荒平について靖も交えて作戦会議だ。メンバーは美郷、怜路、守山の他に、今回の件には「顧問」として関わることとなった靖と、一般事務の立場ではあるが広瀬も入っている。
会議はまず昨日の成果として、姫荒平に関する情報が共有された。持ち帰った「事次第」はひと晩で正確に解読できるようなものではないので、靖が原本を傷めないよう複写してくれたものが全員に配られたが、内容に関してはこれからだ。広瀬は話について来られないのか、いささか難しい顔をしていた。
姫荒平に関することの他に、警察署管理下にある鬼女面が吐き出した屍の管理、そして怨鬼をどう辻から誘い出して一時的に捕縛するか等、話し合う内容は多く午前中はあっという間に過ぎ去った。事次第の解読は靖と守山が主に担当し、美郷と怜路は怨鬼の捕縛がメインとなる。捕縛したとて、窃盗団が鬼女面を解き放つ以前の状態――安定して封印され、地元住民だけで管理できる状態にまで戻すのは、姫荒平事次第を読解し当地の地主神を神降ろししなければ難しい。その準備が整うまでの間、相応に場所や人員、美郷ら専門職の労力を割きながら捕縛状態を維持することになるため、その調整をしなければならない。
午後からは捕縛の仕度と、事次第の解読だ。明日には、協力を仰ぐことになる地元の静櫛神楽団から、団長が状況説明を聞きに来る。それまでに説明できることをひとつでも増やしたいと、解読チームは意気込んでいた。
――そんな慌ただしい午前中が終わり、庁舎内に正午を告げるチャイムが響く。思わぬ訃報の、業務自体への影響「は」軽微だったが、そうでない事柄もあった。
美郷と広瀬の対話である。
週末、怜路から幾度も念押しされていた美郷は、今朝出勤したらすぐに広瀬に声を掛け、時間を取ってもらう心づもりでいた。しかし、事務所に着いて真っ先に知らされたのは件の訃報であり、それへどう職場として弔意を示すかの話し合いで始業前は潰れた。午前の会議は小休憩を挟みつつも丸半日を費やし、由紀子と最近親しげに会話していた広瀬の表情も暗い。結局、朝の挨拶以上の会話ができないまま、昼休憩を迎えてしまった美郷は憂鬱な気分で自席の事務椅子に沈む。
(昼に誘うなら早く動かないと……でもなあ、結局おれ、何て言えばいいんだろう)
謝れば良いのだろうか。だとして何を。訊ねたいことならばある。だが切り口など見当もつかない。
(どう、思ったのかなんて……蛇が苦手だって言ってたんだし。全然平気だったなら、あんな反応するわけないんだし。広瀬が距離を置きたいなら、それは仕方ないんだ。おれに引き留める権利なんてない)
むざむざ己を狗神に喰わせてやろうとする、自己犠牲大家を引き留めるのとは全く事情が違う。苦手なモノから距離を置きたいと望む友人を、煩わせるのは本意ではない。だがそんな考えを洩らしたところ、お人好し大家殿には苦虫を数匹まとめて噛み潰したような顔で「揃いも揃って面倒臭ェ」と吐き捨てられた。
『広瀬が何考えてどうしてえのかは、野郎自身が心配するこった。オメーはオメー自身はどうされたいのかキチッと「要求」を纏めろ』
というのが、キャリアそろそろ十年、つまり依頼者の人生相談を聞き続けて十年な拝み屋殿からの有り難いアドバイスである。しかし己の「要求」などと言われれば、目も当てられないような――あまりに身勝手で都合の良いものしか出てこない。
悶々としながら視界の端に収める広瀬の横顔は、少し重苦しい。席の前に立ったまま鞄を探っている様子からするに、今から昼食を調達しに出るところだろう。
(――よし、まずは置いてかれないようにしなくちゃ。でないと昼の見廻りを受け負ってくれた怜路に後でシメられる……!)
一向に纏まらない「話す内容」は、もうその場の流れに任せるしかあるまい。そう思い切って、己も財布とスマホを掴んだ美郷は、事務室を去ろうとする背中を呼び止めた。
「広瀬! 今から昼調達? おれも一緒に行っていいかな?」
自分でも馬鹿馬鹿しく思えるくらい、あまりにもいつも通りな声音が響き、びっくり眼の広瀬が振り返る。ただただ「ギョッとした」表情に、美郷への悪感情の気配は見えない。そのことに心の片隅で安堵の息を漏らしつつ、美郷はへらりと笑って小首を傾げた。迷いを吹っ切ろうと思い切り過ぎてしまったことに、内心だけで頭を抱える。だがここで退いてしまっては何もできない。ひとまずこの場は押し切るしかあるまいと、美郷はそのままのトーンで言を継いだ。
「ファミレスは混んでるかなあ。ちょっと歩くけど、スーパーまで行ったら色々ありそうだね」
朝方の霧は綺麗に晴れて、昨晩までの荒天は嘘のような青空だ。大きなスーパーの入るショッピングセンターまで、五分程度歩くのは大した労力ではないだろう。出入り口近くに立ち尽くす広瀬を追って、美郷は早足に事務室を横切る。幽霊でも見たような顔で、近寄る美郷を凝視していた広瀬がぎこちなく頷いた。強張っていたその顔が、何か諦観の色に沈むのを横目で見て取り、美郷もひっそりと微苦笑を零してから広瀬を促す。
己は演技が達者なわけでも、腹芸が上手いわけでもないと美郷は思っている。いつだってその場しのぎに笑って誤魔化して、その頼りなさに呆れられるか、誤魔化しを見破られて呆れられるかだ。
かつて美郷にこの薄っぺらい笑みで拒絶されたことを、互いの道が別れた後も気にしていた広瀬が、今更誤魔化されてくれるはずもない。それでも微妙な顔ながら、黙って共に歩き始めた広瀬に、美郷は胸の内だけで感謝した。
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