12.4
翌日。広瀬は安芸鷹田市役所の自席に、所在なく座っていた。巴市側で、出勤しているのは広瀬だけだ。宮澤は引き続き病気休暇で、怜路が居ない理由は分からない。安芸鷹田側の人員も、由紀子の他に一名、一般事務職員が居るだけだ。守山は朝から外勤をしている。
「特殊文化財担当」の島で留守を守っている一般事務職員――村田という中堅の男性職員は、他の業務と兼任で、今年から特殊文化財関連の庶務をしているそうだ。本人はこの業務に詳しくないという。特殊文化財専属の職員は守山だけ、というのが実情のようだ。
つまり現在、広瀬と由紀子に指示を出せる人間がいない。
朝礼に顔を出した守山からの指示は、ファイルを整理するだけの簡単なものだった。午前十時を回る頃にはすっかり終わってしまっており、幾度となく見上げた時計は、現在ようやく午前十一時を少し回ったところだ。昼に守山が帰ってくればよいが、そうでなければ残り半日、ひたすら手持ち無沙汰に過ごすことになる。
いっそのこと、スマホでも触っていられれば時間が潰せるが、さすがに勤務中にそれは憚られる。借り物の業務用パソコンでできる暇つぶしにも限りがあり、めぼしいネットニュースは読み尽くした。
由紀子も同様に手持ち無沙汰な様子だが、忙しく働いている村田の手前、お喋りに興じることもできない。そう、本日幾度目かの盛大な伸びをしていた時、デスクを慌ただしく片付けて村田が立ち上がった。
「ちょっと僕は会議に出てきますから、二人ともお昼までゆっくりしとって。広瀬君、電話が鳴ったら取って、『午後に折り返しをします』言うて連絡先を控えといてくれたら嬉しいんじゃけど」
「あっ、はい! わかりました」
ようやく与えられた仕事である。といって、この島の電話が鳴っているのを見た記憶もないが。だが、これならば安芸鷹田の仕事をよく知らない広瀬でも、役に立てるはずだ。
勢いよく答えた広瀬に笑って、村田がパーティションの向こうへ出ていく。特殊文化財担当の島に居るのは広瀬と由紀子だけになり、広瀬はほっと肩の力を抜いた。これならば、多少会話をしていても許されるだろう。
(って言っても、会話のネタなんて思いつかないんだよな……)
一昨日の晩――由紀子が警察官の車で家に帰った後の様子については、昨日の午後、既に聞いている。広瀬は、昨日の午前中は安芸鷹田署での会議に参加したが、午後からはこの場所で過ごしたのだ。
実際に襲われた由紀子の父や広瀬と違い、由紀子の場所から鬼はほとんど見えなかったようだ。彼女自身に大した被害や苦痛がなかったのは何よりだが、それでもやはり疲れた様子だった。
「あの、広瀬さんは今後のこと……何か聞いてらっしゃいますか?」
結局、先に言葉を発したのは由紀子だった。
「あっ、いいや。何にも……」
全く以てすっきりはしていないが、これで鬼女面の件は終了となる。となれば、広瀬も由紀子もお役御免だ。今日明日にでも、解散を言い渡されて何の不思議もない。
「私……ほとんどお役に立てないままでした」
「それは、俺も同じだよ。――ほんと、何もできなかった」
それどころか、大きく宮澤の足を引っ張ったのだと思う。一昨日の晩、病院で倒れた宮澤の、苦しそうな様子が脳裏から離れない。そんな、と困惑気味にフォローしかける由紀子に、広瀬は自嘲しながら首を振った。
「前に言ったと思うけど、俺も呪術とか鬼とか全然わかんなくてさ。宮澤にも多分……要らない負担をかけた」
分からないなりに歩み寄って、理解に努めればよいのだと思っていた。努力すれば近付ける、隣に立てるのだと――酷く傲慢な、勘違いをしていた。どれだけ分かろう、理解しようと努力したところで、広瀬には「視えない」「分からない」ものが存在する。知り得ないことがある。頑張れば何でも乗り越えられるほど、歩み寄れば全て理解しあえるほど、世界は、他人は生易しく出来ていない。
(俺みたいなのが、あの場所に居たばっかりに……)
関わらなければ、首を突っ込まなければ、迷惑を掛けなかったのではないか。不用意に、宮澤を傷つけることもなかったのではないか。二日間、そんな後悔ばかりが広瀬を苛み続けていた。
「やっぱ、ホントに『住んでる世界が違う』んだなーって思い知ったよ。ちょっと――なんだろ、俺なんかが、不用意に首突っ込まない方がよかったなとか……特別なヤツを、理解したりビビらず受け止めたりできるほど、出来た人間じゃないし」
とりとめもなく、ここ二日頭の中を占拠している後悔を口から吐き出し、はっと我に返る。
「ごめん、愚痴ばっか聞かせて」
慌てて謝り、広瀬は由紀子の様子を窺った。気を悪くした様子もなく「いいえ」と軽く首を振った由紀子は、言葉を探すように、デスクに置かれたミネラルウォーターのボトルを手に取り俯いた。
「私も――宮澤さんみたいな『特別』じゃないんですけど、幼なじみが特殊な子で……。なんか、知ってます。多分。分からないんですよね……聞くんだけど、理解できなくて。住んでる世界が違うっていうか、環境が違いすぎて、想像しても追いつかなくて。私にとっての『当たり前』を口にしたら、傷付けたり、怒らせたりして……」
ベージュのストッキングに包まれ、事務椅子に品良く揃えられた膝頭の上で、両手で掴まれたペットボトルがペコペコと小さな音を立てる。薄っぺらいペットボトルを歪ませる自身の親指を見詰めながら、由紀子もまた、つらつらと話し始めた。
「何て言うんですかね。こう、普通に恵まれてるだけの、つまんない人間には分からないし、何もできないんだなって……あっ! すみません私ばっかり……!!」
慌てたように顔を上げて、申し訳なさそうに由紀子が謝る。それに「ううん」と広瀬も首を振り、苦笑いを返した。
「そうなんだよね。俺たちみたいな、なんか『フツーに苦労を知らない一般人』じゃ、よく言う『周りに理解されず苦しむ人』ってのを、どうやっても理解できないんじゃないかってさ……。しんどいよな」
それに由紀子もまた、苦味を帯びた笑みと頷きを返す。「特殊な友人」を持つ者同士の同情と連帯に、広瀬は少し心が軽くなった気がした。
彼らが悪いのではない。彼らを責めるつもりはない。ただ、己ばかりを責め続けるのも、いささかくたびれるのだ。そんな中、同じような苦しみを抱える「普通の人間」が他に居ると思えることは救いだった。
「もしかしたら、俺たちは今週か来週くらいで引き上げかもしれんけど……もし、何か卒論のことで協力出来そうなことがあれば声かけて。俺じゃあんまり頼りになんないけど、調べる方法はいくらでもある環境だから」
そう言って、広瀬は自分のSNSアカウントを由紀子に伝えた。主に、高校や大学の知人と連絡を取るために使っているものだ。
せっかくの縁である。広瀬が由紀子にとって、有用な人脈たり得るかは微妙なところだが、あまりプライベート過ぎない連絡先くらいは共有しておいてもよいだろう。
由紀子は自分のスマートフォンを取り出し、素早く広瀬のアカウントを検索してフォローしてくれる。フォローを返し、由紀子のアカウントを覗いた広瀬は「へぇ」と声を上げた。
「ボランティアサークル入ってるんだ。凄いね」
広瀬が大学生の頃入っていたのは、飲み会がメイン行事のような緩い硬式野球同好会だった。由紀子は教育系のボランティアサークルに所属しているらしい。
「教職目指すなら、入っておいた方が良いって言われたので……あんまり熱心な方じゃなかったですけど」
居心地悪そうに肩をすぼめた由紀子が、そう謙遜する。返す言葉を考えながら、広瀬はサークルのアカウントを開いた。
そして、最新投稿に目を留める。
「あれっ、こども食堂のボランティア……」
県内にも数十カ所ある、こども食堂の手伝いだ。巴市役所の自治労からも定期的にボランティア募集がかかっており、ちょうど今週末、広瀬は地元である安芸鷹田のこども食堂へ行くことになっていた。
「はい。実家にいる間は、地元で参加しようかと思ってます」
「そっか。今週末も行くの?」
「はい、多分」
「そうなんだ。俺も、今週末は組合の関係で参加するんだけど、じゃあ同じ所かな」
だとすれば、もし今日帰ってきた守山から「出向終了」を告げられたとしても、土曜日にはまた由紀子の顔を見られる。そう思いながら、広瀬は由紀子の反応を窺った。由紀子は驚いた様子で目を丸くし、顔を綻ばせた。
「ほんとですか! 良かった、こちらで参加するのは初めてなので、ちょっと心細かったんです」
良好な感触に、広瀬は内心で安堵の息を吐く。
「俺はこども食堂のボランティア自体初めてだし、アテにはなんないだろうけどね。俺の方こそ、心強いよ」
そう言って二人で笑い合っていると、ようやく午前終業のチャイムが鳴り響いた。
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