5.2
突進してきた何かに足元を掬われ、美郷の体は急な石段を転がり落ちる――とばかり本人も思っていた。が、実際にはぼすん、と何か柔らかいものの上に倒れ込んだ。何が起きたのか分からず、美郷は目を瞬かせる。
「――えっ?」
間抜けに仰向けに転がったまま状況を呑み込めないままの美郷を、上から覗き込む者があった。扇で口許を隠した
「大丈夫でございますか?
呆れた様子で美女が視線を送る先を追って、美郷は体を起こす。美郷を受け止めたのは山盛りに積まれた木の葉の上に、打掛を広げたクッションだった。周囲は見通しの良い、手入れをされた草地だ。そこに畳を敷いて、優雅に小袖姿の女が座っている。古い時代の上級武家女性然とした彼女こそ、この山の主、
御龍姫が見つめる先では、白い山伏装束の男が宙を舞っていた。その顔には嘴を持つ烏天狗の面が、背には鳶の翼がある。天狗だ。
「どッらあああァァァァ!!」
派手に吼えて、それに飛び掛かるのは見慣れた金髪である。美郷のチンピラ大家もまた、「天狗の養い子」だ。養父から天狗の妖術を学び育った彼も、人間離れした身体能力を有する。
その手から放たれて天狗を狙うのは、美郷らを襲ったはずの円月輪だ。どうやら拾って使っているらしい。襲いかかった円月輪を、天狗の握る長さ三十センチほどの
大きく羽ばたき、天狗が空中の怜路へ狙いを定める。今の怜路は大して武装もないはずだ。助けを出そうと懐に手を突っ込んだ美郷を、やんわりと御龍姫が止めた。
「どうぞこのままで。お二人の勝負を見守ってくださいまし」
眉を顰めて、美郷は姫君を見遣る。姫君はくすくすと笑いながら、美郷に盃を差し出した。
「御酒でも頂きながら、観戦させて頂きましょう。
司箭の放った手錫杖の一撃を、空中で体を捻って怜路が躱す。怜路はすかさず相手の伸び切った手首を掴み、司箭を自由落下に引きずり込んだ。いつ見ても超人的な動きである。司箭はどうにか怜路を振り払ったが、空中では体勢を立て直せず一旦着地する。そこへ、一足先に腕から着地していた怜路が鋭く足払いをかけた。ひらりと躱し、司箭が距離を取る。
「司箭殿はこの
くすくすと楽しそうに御龍姫が語る。こちらの心情は今それどころではないのだが、そんな人間の都合など関係ないのが妖魔
どうせ運転は怜路だ。まあいいか、と美郷は盃に口をつけた。
「――俺の力試しってところか。スカしやがってくそったれ、テメェ、何者だ!?」
怜路の堂に入った恫喝が響く。
あの身なりと雰囲気で、拝み屋仕事のため真昼間の屋外をウロついていて怪しまれないはずもない。元々東京暮らしだった怜路が巴にやって来て三年目というが、最初の年は散々職務質問をされたようだ。二年目に美郷を拾い特自災害と面識が出来たことで、劇的に状況が改善されたと言っていた。今回のような怪異絡みの事件を特自災害が引き受けたり、逆に怪異を追うために警察の手を借りたりと、特自災害は地元警察との関わりが深いのだ。
「ハーッハッハ!!
「ッせえ!! こちとらそれどころじゃねェんだよ! テメェなんかと遊んでられねえの!! また今度相手してやるからスッ込んでろ! つーかなんでこんな天狗って奴ァ揃いも揃って声がデケェんだ!!」
お前は他人のことが言えるのか。という内心のツッコミを酒で喉に流し込む。この山に奉納された地酒なのか、はたまた御龍姫が湧かせたというこの山の銘水、
「
美郷らが、この異界への入り口として使った鳥居と石段の先に、現世で建っているのは『宍倉司箭神社』だ。宍倉司箭は、御龍山に居を構えた国人領主、
翼を持つ天狗はおのおの、自由に全国を飛び回り他山の天狗と交流するものと聞いていたが、おそらく司箭もそうして普段不在がちなのだろう。怜路を育てた綜玄坊も北関東に己の山を持っていたが、怜路を育てる間は東京都内に拠点を置いていたという。――ちなみに天狗の着けている面は外れるし、中にあるのは普通の人間の顔だ。
などと空きっ腹に酒を流し込みながらつらつら思い出しているうちに、どうやら決着がついたようだ。司箭が懐から抜いた宝剣が、殴りかかって動きを止められた怜路の首筋にぴたりと当たっている。ぎりぎりと歯噛みする音が聞こえてきそうな表情で、怜路が司箭を睨んでいた。
「勝負あり、ですわね」
ぱちぱちと手を叩きながら御龍姫が笑う。
「勝負というには公正さが足りないでしょう」
こちらはほぼ丸腰で、突然襲撃されたのだ。そう不服を申し立てた美郷に、「そうだそうだ」と怜路が同調した。ムキになる若者二人に、永の時を生きる妖異の者たちが苦笑する。
「ハッハッハ、すまぬすまぬ。そちらもお顔に似合わず、なかなかに負けん気が強い若君であるな」
大きく腕を組んだ司箭が愉快そうに言って、美郷の方へ顔を向ける。
「オイコラ。何で俺は『小童』でソイツは『若君』だ! 俺の方がいっこ上だぞ」
憤慨した怜路が主張する。それを軽くいなして、本当の子供をあしらうように司箭が怜路の額を指で小突いた。怜路とて決して弱いわけではない。それだけ司箭が手練れなのだ。
「一年など瞬きほどの差であろう。やはりうぬはまだ小童よ、綜玄の跡継ぎと聞いて楽しみにしておったが、肩透かしだのう」
「こンのォ……!」
「だが!」
負けて完全に頭に血がのぼっているらしく、ギリギリと歯噛みして拳を握る怜路を制し、司箭が大きく言った。
「確かにうぬの兵法は綜玄のものだ。懐かしいものを見せて貰った。礼を言うぞ」
綜玄――怜路の養父は八年ほど前に亡くなっているが、司箭が綜玄と親しかったのは本当なのだろう。故人を惜しむ声音に美郷はそう感じた。怜路も気勢を削がれたらしく、しゅんと萎んで曖昧な返事をしている。
「さあさあ、しんみりしてしまっても寂しいだけでございましょう。ばあや、お二人にも盃を。酒肴もご用意しておりますわ」
「あっ、御龍姫お待ちください!」
和やかな場の雰囲気に流されそうになった美郷は、すんでのところで我に返って姫神をとどめた。
「僕たちは今、櫛名田姫の鬼女面を探しているんです。祟るというので封じてあった神楽面なのですが、泥棒がその封じを解いてしまったらしくて。何か鬼女面に関わることをご存知でしたら教えて頂けないかと思って、先触れも出さず不躾なこととは思いましたがお知恵を借りに参りました」
すみません、と頭を下げる美郷をきょとんと見詰めた姫神が、閉じた扇を口許に添えてころころと笑い始めた。
「まあまあ。そんなに突然畏まらないでくださいませ。わたくしどももそのお話は存じ上げておりますわ。
うふふ、と楽しげに笑う姫君は無邪気で可愛らしい。つまり元から美郷らに助力するつもりで、その前に少し怜路の腕試しをしてみた、ということのようだ。「なんでェ」と呆れた呟きを怜路がこぼす。自身もほっと息を吐いた美郷は改めて姿勢を正した。その目の前に、
「ですから、皆様のぶんしっかりと宴の用意はしてございますわ」
何の他意もない顔で美しい姫神が微笑む。この山の主は彼女だ。逆らい難いその雰囲気に、美郷は内心頬を引き攣らせながらも黙って盃を差し出した。
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ちなみに、実在の地名は
巴市→三次市
安芸鷹田市→安芸高田市
御龍山→五龍山
宍倉司箭神社→宍戸司箭神社
です。御龍姫は捏造。
誤字ってるのではなくて時空をずらしてある…ということで、近隣住民の方がおられましたらご容赦くださいませm(__)m
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