なにをもって

 私にはわからない。何をもって正しいとするのか。間違ってるとは何か。何を言えばいいのか。楽しみも薄い。何もわからず、何かを考えることも億劫で、けれども何もしないというのは不安だからか、何かをしている。何か無駄で、特段楽しいわけでもないことを、している。なにか、別のとてもなく嫌で、苦しいことから目を背けるために、何かをしている。


 たしかに、何かをしているといえば、何かをしているのかもしれないが、何もしてないといえば、何もしてないのだろう。なぜだが、とても悲しくなる。誰かに、怒りをぶつけられたとき。私はとても苦しく、悲しくなる。


 おそらくだけれど、そういう感情しか上がってこないことで、誰かから同情された地という私の自分勝手な自己顕示欲というか、承認欲求のわからない。何をもって正しいとするのか。間違ってるとは何か。何を言えばいいのか。楽しみも薄い。何もわからず、何かを考えることも億劫で、けれども何もしないというのは不安だからか、何かをしている。何か無駄で、特段楽しいわけでもないことを、している。なにか、別のとてもなく嫌で、苦しいことから目を背けるために、何かをしている。


 たしかに、何かをしているといえば、何かをしているのかもしれないが、何もしてないといえば、何もしてないのだろう。なぜだが、とても悲しくなる。誰かに、怒りをぶつけられたとき。私はとても苦しく、悲しくなる。


 おそらくだけれど、そういう感情しか上がってこないことで、誰かから同情されたいという私の自分勝手な自己顕示欲というか、承認欲求の性質を表しているのだろう。

 怒りというものも、探せばあるのだろうが、怒りをぶつけられただけでは、別に怒りという感情は上がってこない。私が怒りをもって、その怒りを誰かにぶつけて、心の安定を保とうとするときは、誰かに、私の存在を否定されたときなのだ。


 今まで関わりのあった人から、関係を断たれた時などはその典型で、おそらくあの時の私は怒りに飲まれて、攻撃的になっているのだと思う。おそらくだがね。私は結局自分を見てほしいだけなのだから、それが断たれたとき、目を背けられたとき、失望されたとき、私は悲しみ、怒り、傷つくのだと思う。


 今も、その経験を思い出すが、少しは、大丈夫になった気がする。最近の日々は、希薄で薄く引きのばされているような日々だから、もう大分昔のことのように感じるけれど、思ったより最近のことで、今はもう思い出したくないと思っている記憶も、いつかは薄れ、消えていくのだろう。そう思いたい。そう思わなければ、やってられない。


 こうやって、何かがあるたびにここに書くのは、これも心の安定を給うとする行為なのだろう。私の今までの、薄く、小さく、少ない、人生経験から、私は、ほんの少しも、かけらほども、学べなかったのだろう。どうしたいかなんてことは、決めていたはずなのに、いざその場面になれば、それは最悪の選択肢にしかみえなくて、言い訳を探して、逃げた。


 別に、それが間違ってるかどうかは知らないが、そういう意志が弱くて、自分を守ることしか考えていないのだなと。そうやって自己確認しないと、私が悪いのだと認められない。私みたいなゴミなのだから、私に理不尽が降り注ぎ、私が傷つくのは、当然なのだ。すべて私が悪いのだ。私がすべて悪いのだ。私に良いところがあるとは思えない。私の行動がすべて原因なんだ。


 ……こうやって思うことで、私にはまだ影響力があって、まだ承認されてると思っているんだ。そういうところがほんと、人間性のクズだなと思う。クズに失礼だが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る