プランクトンな私。

千島令法

第1話

「Sさん! 昼の会議の資料、印刷しといて!」

 突然に上司から、Sは指示を出された。

 普段はディスプレイに向かってプログラミングをしているだけのSに対して、上司が雑用を投げることは初めてのことだった。思わず「私ですか?」と言ってしまいそうになるほど、Sは戸惑ったが、すぐに切り替えて聞き返す。

「え、はい! 何部ですか?」

 聞き返しながら、上司のいるデスクへ向く。

 上司はSの顔を見ることもなく、

「五部で。あ、やっぱり六部」

 と、丸い顔を動かして言った。

「ろ、六部。分かりました! すぐに印刷してきます!」

 時計を見ると、短針は十一を示している。長針はというと、十と書かれたほうを向いていた。それは、会議の時間まで、あと十分もないことを表していた。

 時間を見てギョッとしたSは、慌てて会議の資料がある社内サーバーにアクセスしファイルを探す。

「えっと……えーっと……」

 必死になりすぎて思わず、声が出てしまう。「20200621_会議.xxx」と書かれたファイルを見つけ、自分の操作するパソコンにダウンロードする。

 ダウンロードが終わると、同時にファイルをダブルクリックして開く。そして、上司に、

「二〇二〇年六月二十一日、アンスコ、会議と書かれたファイルであってますか?」

 と確認をする。

「ああ、それでいいよ」

 相変わらず、上司はSのことなど見ない。

「ありがとうございます」

 とお礼を言ったSは、開かれたファイルの中身をざっと目を通す。一通りのことはキチンと書かれていることを読み取った後、印刷ボタンを押す。印刷の詳細画面が表示され、部数のところに「六」と入力する。そして、印刷開始ボタンを押下した。

 あとは、印刷サーバーが混みあっていなければ、すぐに印刷されるはずだ。

 また時計を確認すると、残り六分だった。印刷が終わって、ステープラーでとじる時間を考えると、待てて三分だけしかない。

 急いで、Sは仕事場の隅にある印刷機へ向かった。そして、印刷機からツーツーという音を聞いた。もう印刷は始まっているという音だった。

「大丈夫、間に合う」

 Sは小さく呟く。そして、印刷機から紙が出てくる。しばらく印刷機の前で待っていると、音は止まった。

 印刷機から出てきた紙束を掴んで、急いで自席に戻る。時計を横目でみると、長針はもう十一を過ぎていた。

 机に付属している引出しの一番上を引っ張る。ガシャガシャとした引出しの中から、ステープラーを取り出す。

 そのタイミングで、上司がSのそばに近付いてきた。Sの肩から覗くようにして、上司は印刷したてホヤホヤの資料を見る。

 Sは緊張した。上司と言う存在だけでも緊張するというのに、そばに近寄られると余計にだった。

「おい」

 上司の不躾ぶしつけな言葉が飛ぶ。

 Sは肩を張り上げて、

「は、はい!」

 と大きな声を出す。その声は、同じ島にいる他の社員にも十分に聞こえるほどだった。だが、他の社員は気にすることなく、カタカタとキーボードを叩いていた。

「それ、資料違うぞ」

 そう言った上司は、丸い顔をさらに近づける。

「え……」

 印刷した資料の右上には、「20200621_会議.xxx」とファイル名も一緒にあった。上司に確認したファイル名と相違はないはずだと、Sは思った。

「今日は二十日だ。それは明日の資料だ」

 上司の語気は強くなっていく。チッと短い音がした後、

「ホント使えねえやつだな」

 と刃物のような言葉を放った。

「すみません……」

 Sの中に申し訳ないという思いは、全くと言っていいほどなかったが謝った。余計に言葉に刺されたくなかったから。

「資料なしで、会議やるからもういい」

 そう言って、上司はSが印刷した紙束を掴んでゴミ箱へ投げやった。Sは、その投げられたゴミ箱を見ながら、

「……すみません」

 と言った。

 上司はづけづけという音がしそうな歩き方で、会議室へ向かった。


 Sはポケットに忍ばせていたテープレコーダーの再生を止める。そして、Sがわざと日付の違う資料を印刷したことに気が付かない無能な上司に対してシメシメと思うのだった。

「私は流されるだけのプランクトンにはならない」

 小さな声でSは呟いた。

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プランクトンな私。 千島令法 @RyobuChijima

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