第277話 男を楽しめ

 緩やかで微睡むような時間が流れている。


 店にはもちろんのこと客はいるが、そんなこと気にならないくらい、この場は幸せに満ちていた。


 いつまでもこの幸せに浸かっていたいが、刻は流れるもの。人を生きるもの。その場にはいられない。


 だからその刻を大切にして、動き出した刻に身を載せるのだ。


「おや、ベー。いらっしゃい」


 カップを置き、買い物から帰ってきたご隠居さんに意識を向けた。


「おう。お邪魔してるよ」


 もう目の前にはグレンのばーちゃんはいないが、これと言って感想はない。それが当たり前のことなんだろうからな。


「すまないさね。ここの給仕長は人使いが荒くてね」


「アハハ。邪魔にされるよりはイイだろうさ」


 部屋で置物になってるよりは働かされてる方がまだマシさ。ボケてもいねーんだからな。


「そりゃそうだ。で、今日は茶を飲みに、かね?」


 向かいの席に座り、どこからかカップを出してポットからコーヒーを注ぎ、オレのカップにも注いでくれた。こりゃどーも。


「給仕はさせてもらえねーのかい?」


 冗談半分に聞いてみた。


「こんな派手なところにじいさんは不要だとさ。毎日雑用な日々を送ってるさね」


 ふふ。そりゃ御愁傷様だ。


「ご隠居さんに頼みがあんだけどよ、釣りをしたいから船を出してくれるヤツ、紹介してくんねぇかな?」


「釣り? ベーは釣りをするのか?」


 なにやら目が輝いた。


「ああ。趣味の一つさ。まあ、下手の横好きだがな」


 と言うか雰囲気を楽しむタイプだな、オレは。


「なに、下手だろうが上手かろうが関係ないさね。釣りを楽しむ、それが一番さね」


「ご隠居さんも釣りを?」


「ああ。するさね。わしの最大の楽しみが釣りさね!」


「へ~。結構釣り好きっていんだな」


 だいたいが生きるための釣りであり、趣味や楽しみで釣りをするなんて少ないと思ってたぜ。


「まあ、老後は釣りでもしてのんびり暮らしたいってもんが多いからな、ここは」


「あー、漁港にもいたな、人外。つーか、なんなんだ、この国は? 人外多過ぎだろう」


「なんさね、人外って。わしらはただの隠居さね」


 ただの隠居が人外なんだろうがよ。


「まあ、最後まで走れる豪傑はそうはいないさね。ましてや人より多くのことを経験していると安らぎが欲しくなる。ここは、そう言うところさね」


 人外にもいろいろなヤツがいるってことか。まあ、穏やかな人外で助かった、って感じかな。


「平和がなにより、ってことだな」


「そうさね。騒ぎたいのなら他でやってくれ、だ」


 まったくもって守護者さんらに足向けて寝られねーな。


「で、船だったか。それなら問題なし。船持ちの釣り好きはたくさんいるから直ぐに出せるさね」


「それは重畳。なら、明日頼むよ。どこにいけらばイイ?」


「漁港にいけばわかるようにしておくさね。で、一人でやるのか?」


「いや、ジーゴとだよ」


 まあ多分、増える予感はするがな。


「ジーゴと言うと、アロードんとこのか?」


 人外ネットワークができてるのか、名前だけでわかるらしい。


「武具を買いに行ったら釣りの話になってな、ならいこうってことになったのさ」


「ああ、そう言えばあいつも好きだったな。最近見なかったから辞めたと思ってたさね」


「フフ。嫁さんが怖くていけなかったんだろう」


「──プッ! そ、そうだったな。あの嫁さんおっかねーから」


「笑っちゃワリーぜ」


 男なんて家の中じゃ粗大ゴミ。旦那を大事にしてくる嫁さんなんてそれこそファンタジーな世界にしかいねーよ。


「そりゃそうだ。勇敢なる既婚者に幸あれだ」


 どうやらご隠居さんは独身貴族のようで既婚者の勇気に敬意を払っているよーだ。


「そうだな。明日は楽しませてやらんとな」


 これもダチへの救済。恰幅のよいおばちゃんに恨まれてやろう。


「なら、明日は同士を集めて楽しむとするさね」


「イイんじゃねーの。釣り好き同士集まってバカやるのも乙なもんさ」


 男はバカやってなんぼ。男を楽しめだ。

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