鳥籠
彩亜也
ありきたりな話
私は生まれる前から未来の王妃であると決められていた。
三つを過ぎたころにはこの国の王子と顔を合わせ、互いを未来の伴侶として認識していた。
それ以来自由を奪われ未来の国母として小さな脳に入るだけのありったけの知識を叩き込まれた。そのために姉が外ではしゃぐ声を聴きながら唇をかみしめ書物に必死に目を通す幼少期を送った。それだけではない。礼儀作法や、貴族の名前に特徴……一を覚えれば十を、十を覚えれば百を覚えさせられた。
その重圧はすさまじく、私はどうしようもないそれから逃げるために自分より立場の弱いものを罵倒し鬱憤を晴らすことで自分を保つ日々。
年が二つ上の姉は、私の婚約者に惚れていたらしい。だから彼女の前ではうんと幸せそうにしてやった。
好きでもない婚約者の腕に自分の腕を絡め、姉の知らない婚約者の話をして、唇をかみしめて涙を堪える彼女を何度も嘲笑った。
最近入ったばかりの侍女はどうやら病に倒れた母のために必死らしい。だから意地悪をして邸から追い出した。
彼女の前でだけわざと聞き分けのないふりをし、誰かが部屋の前を通れば彼女が私に手を挙げているように見せた。
下の弟には、親からの愛を私よりも受けるのが気に入らなくて、誰も見ていないところで虐待した。
すれ違いざまに心無いことを何度も言った。幼い弟の失敗を何度も笑い、いつまでもそれでは母親に嫌われて捨てられると、刷り込んだ。
自分でもわかっていた。それがどれだけ最低なことかを。わかっていたからこそやめられなかった。
今更弁解する気はない。そんなことをしなくたって私の地位は揺らがないから。
だから全員黙って私に傅けばいいのよ。
――お前のように人の心を持たぬものを国母にはできない。
「――――え?」
それは突然の言葉だった。いつものように朝、婚約者に呼ばれて書斎へ行けばそこには婚約者だけでなく、国王、両親や弟、そして婚約者の隣で勝ち誇ったように微笑む姉の姿があった。
それだけで、立っていられないほどの吐き気と眩暈が襲い、気を強く持つことさえ困難に思えた。
「お前が実の姉弟や侍女にしたことはここにいる全員が把握している。そんなお前をなぜ妻にできようか」
私を見下ろす彼の目は今まで見たこともないほど冷たくて、心臓の先が冷えるのを感じる。そのまま全体に広がれば腐り落ちてしまいそうな痛みとも苦しみとも取れぬ苦痛。
「そんな、お待ちください私は――」
「言い訳など聞きたくない‼……お前に罪の意識が少しでもあるならこの城から出ていけ。顔も見たくない」
何も言えなかった。彼が遮らずとも、私にできる言い訳など何もない。混乱する頭が、意味もなく暴れるように四肢へと指令を出すが、どこか冷えたところで現実を受け入れていた。
叫んでもがいていなければこのまま死んでしまうと錯覚していたのだ。だから狂ったように意味の通らない言葉を思いつくままに叫んだ。けれども部屋の扉が閉まるその時まで誰の顔を見てもまるで人形のように熱を持ってはいなかった。
そうして引きずられるように連れてこられたのは、今まで乗ったこともないような簡素な籠。一度顔だけ振り返ると、大きな宮殿の扉が重たく閉ざされているのが目に入った。あの場にいた誰も、私を想って出てきてくれはしなかった。あれほどまでに私を可愛がっていた両親でさえ――いいえ、彼らは私を可愛がっていたわけじゃなかった。
彼らが大事にしていたのは未来の王妃、ただそれだけ。その役目が私ではなく姉に移ったのだからもう私のことなど見向きもしないのだろう。
不思議と涙は出なかったが、ぽっかりと空いた胸の感覚が苦しく、籠の外の変わる景色を眺めているはずなのに何も入ってこなかった。
――私は捨てられたんだ。
そう思うと惨めでたまらなかった。この国で、一度傷物になった女の価値などそこらの石より低い。それでも名もないどこかの貴族であればどうとでも言えただろうが、相手はこの国の王子だ。彼が私に女としての価値を否定したら同調して貰い手など完全に無くなってしまう。
「さぞかしいい気味でしょうね」
あの時私を見つめる姉の顔が瞼裏に張り付いて消えてくれない。ずっと愛していた男を、悪魔のような女から奪い返したのだから、幸福感に包まれているんだろうな。
私が欲しかった自由を手に入れて、重圧などとは無縁の暮らしをしておきながら、私が必死に縋りついていたすべてを持って行ってしまった。
怒りなんてわいてこない。あるのはただ、どこまでも静かな心。動いているかさえ怪しいほど、私の心は壊れてしまっていた。
やがて籠は馬に代わり、私が連れてこられたのは、もうずいぶん長いこと使われていない国のはずれにある別邸だった。
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