【 短編集 】狂愛シリーズ

渡瀬 富文

愛の確認

 またか。

 そう思うに留めて、俺は目を逸らした。


 彼女の浮気癖は、今に始まったことではない。もう何度目になるのか、数えるのも億劫だ。

 浮気相手には統一性がなく、容姿も年齢も職業も、様々だ。どちらかというと、年上が多い気がする。全く、どうでもいい情報である。


 なぜ彼女がこんなことをするのか、見当はついている。

 彼女は、俺に嫉妬して欲しいのだ。浮気を咎める俺を見て、彼女は俺の愛情を確認しているらしい。その証拠に、わざわざ俺に見つかるように浮気をし、俺が苦言を呈すとすぐに別れる。しばらくすると、また次の浮気相手を見繕ってくる。


 どうして彼女がこんなことをし始めたのかは、よくわからない。

 俺は、俺なりに彼女を大事にしてきたつもりだし、彼女の俺への想いも、疑いようがない。彼女は、いつだって、全力で俺が愛しいのだと訴えてくる。ただ、今は、方向性が狂ってしまっただけで。


 やはりこれは、俺が悪いのだろうか。彼女が不安になるようなことを、してしまっただろうか。

 浮気をしてまで愛情を確かめたいと思うほどの、何かを?


 これまでに何度も考えたが、思い当たる節はなく、どうすることもできない。

 ただ、このままでは、俺たちの関係は、そう遠くないうちに破綻するだろう。どう考えたって、まともなお付き合いではない。


 浮気相手にだって、申し訳ない。彼女の心は、常に俺へ向いているのだから。

 恐らく、ほとんどの相手は、それを承知の上で付き合っているのだろう。彼女の俺への気持ちは、それほどに、わかりやすい。

 それでも彼女の相手をするのだから、相手側には、それなりの愛情があるはずだ。一時の夢でも、という切ない思いかもしれない。

 それとも、相手の方も、遊びと割り切っているのだろうか。俺には、そういう付き合いはできないから、その感情は理解できない。けれど、そうだとしたら、彼女が哀れだ。いや、遊び同士、お互い様ということになるのだろか。


 正直に言えば、俺は、疲れてしまった。

 俺は、愛しい恋人が別の男と仲睦まじくしている姿を見て、平気でいられる人間ではない。悋気に心は乱れ、悲しみに胸は裂け、苦悩は涙さえ許さない。浮気相手に見せる彼女の愛情が、偽りだと、確信していても。

 何度も何度も砕かれた俺の想いは、そろそろ修復できなくなってきたようだ。

 日常となってしまった彼女の浮気は、俺に何の感情も与えない。嫉妬することは俺の義務になり、彼女の浮気はますます酷くなっていく。


「どうしたの? ぼんやりして」


 通りかかった直属の上司が、心配そうに声をかけてきた。俺が見ていた先に彼女を見つけて、苦い顔をする。


「俺は、どこで間違えたんでしょうか。彼女は、何が不安なんでしょう。俺は、どうしたら……」


 言葉が続かなくなった俺に、上司は、営業先への同行を命じてきた。ついでに、昼食をおごってくれるらしい。

 彼女が俺を見ていることに気づいていながら、俺は、上司の誘いに乗った。仕事に集中していれば、苦痛から逃れられる。


 ごめんな。

 あとで、ちゃんと、嫉妬してやるからな。





 その夜、俺は、浮気現場を目撃した彼氏として、彼女の家に足を運んだ。

 玄関のドアを閉めたところで、早速、問い詰めることにする。幾度となく繰り返した、恒例行事。


「なあ、お前、昼間」

「あの人と、何してたの?」

「は?」


 憤慨しようとした俺に、彼女の方が迫ってきた。状況が理解できず、俺は、首を傾げるほかない。

 いつもなら、俺が彼女の浮気を怒って、彼女が謝って、儀式のようにキスを交わし、体を重ねる行為に至る場面のはずだ。

 それなのに、怒っているのは、彼女の方。


「なんで私を無視したの?」

「え?」

「私を無視して、あの人と何してたの!」


 ギリギリと腕に食い込む彼女の指の強さが、彼女の本気を伝えている。

 なぜ、こんなことに、なっているのだろうか。これでは、まるで、まるで、


「俺を、疑ってるのか?」


 自分でも驚くくらい、低い声が出た。

 ここは俺が冷静にならなければ。頭の片隅で、確かにそう叫んでいる俺がいるのに、俺の口は止まってくれない。

 俺の体は統制を失って、各々の場所が、てんでばらばらに好きなことをしているようだ。それを俺は認識しているのに、俺の全てが、俺の意に沿わない。

 俺の左手が、彼女の腕を振り払う。やめろ、彼女を突き放したいわけじゃない。ああ、口とは、いったい、どうやって閉じるものだったか。


「上司とメシ食ってから営業に行っただけだよ。それとも、デートと言った方が嬉しいか? そうしたらお前も、心置きなく遊べるものなぁ。お前が別れたいって言うなら、俺は、いつだって別れてやるぞ?」


 どうして俺は、こんな、心にもないことを言っているのだろう。別れる気なんて、ないくせに。


「やっ、やだよ。別れたくない!」


 慌てて俺に縋る彼女は、やっぱり、全力で俺への愛を示してくる。ぎゅうぎゅうと、痛いくらいに抱きしめられると、頭がぼんやりとしてくる。

 こういう瞬間があるから、俺は、彼女と別れようなんて気にならないのだろう。俺の愛している人が、俺を愛してくれているのだから。


 だから、だから。

 俺の口よ、今すぐ黙ってくれないか。


「今更だよ。お前、俺と一緒にいても、苦しいだけだろ。ほら、本音を言ってみな。聞いてやるから。別れたいんだろ? 別れるって、その一言で、お前は俺から解放されるんだ」


 驚愕に目を見開く彼女の顔が、哀れで、不憫で、愛しい。


「なんで、なんでっ、なんで!」


 絶叫した彼女は、手近にあった傘を振り上げ、俺に襲い掛かってきた。俺を殴りながら、泣きそうな顔をしている。

 俺は、たいした抵抗もせず、その攻撃を甘んじて受けた。どういうわけか、さほど痛いとは感じない。彼女に浮気を見せつけられた時の方が、ずっとずっと痛かった。


 何発目だろう。振りかぶった彼女の一発が、耳を殴打し、俺の脳が激しく揺れる。後ろ手に握りしめていたナイフが、右手から滑り落ちた。

 カツンと音を立てたそれに、彼女の視線が吸い寄せられる。


 彼女を刺すつもりだったナイフ。

 それが今、彼女の手によって、俺の腹に突き立てられている。


 これは、俺への罰だ。

 彼女に、浮気という苦行を課した、俺への。


「愛してる」


 真っ青な顔で、ガクガクと震えている彼女に、精一杯の笑顔を送る。

 こんな風に、彼女へ心から笑いかけたのは、いつ以来だろう。彼女も、笑っては、くれないだろうか。あの眩しい笑顔を、もう一度見たい。


 どうか、どうか、悲しまないで。

 これで彼女は、もう、浮気をせずに済むのだから。俺の愛情を確認するためだけに、好きでもない人へ愛を囁く必要も、なくなるのだから。


 彼女には、たくさん、苦しい思いをさせてしまった。

 こんな俺でも、お前はまだ、愛してくれるだろうか。この期に及んで、お前に嫌われたくないと願う、醜い俺を。あぁ、お願い、幸せになって。俺の愛しい人。どうか、俺を、


「――――」


 伝わったことを信じて、俺は目を閉じた。



―了―

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