君影草

釧路太郎

君影草 プロローグ

第1話 彼岸花 悲しき思い出

 今月になって職員室に呼び出されるのは三回目の事だった。二週間で三回も呼び出されることは普通の生徒にとっては多すぎると思うのだけれど、私は多い時には週に五回呼び出されていたので特別多いとは思わなかった。

 なぜか無くなった私の物が職員室の近くで見つかる事が多く、それで呼び出されている事が大半だった。極稀に他の事で呼び出されたりもしていたけれど、それも私が原因なわけではない。それはクラス担任が私の父のファンであるらしく、父が発表した作品の感想を聞かされることだったりする。私は父とそれほど関りも無いものだから担任が父の作品に対して熱を込めて語っていても心に響くことは無かった。それくらい仕事をしている父は遠い存在となっていたのだ。

 それでも、仕事以外の父は娘の事を第一に考えてくれる良き父親である。土日祝日は私が料理を担当しているのだけれど、それ以外の日は父が料理を担当してくれているのだ。もちろん、二人とも仏壇にお供えをする事は忘れることは無い。

 私の母は私が生まれてすぐに旅立っていったらしい。その記憶が無いものだから、私には母親から与えられるべき愛情が欠如していた。その分も父が私に愛情を注いでくれていたので問題は無いのだけれど、世間ではそう見てもらえないらしい。父親が家で仕事をしている家庭がどれくらいあるのかは知らないけれど、小学校から高校までの間で父親がずっと家にいる家庭は片手で余るくらいしかいなかったと思う。私の父以外は無職だったようではあるのだ。

 母の生前の姿を映した映像を何度か見たことがあるけれど、どことなく私に似ている女性と若いころの父が映っている映像を見ても特別な感情は沸いてこなかった。私の母が映っている映像はいくつかあるのだけれど、父が見せてくれるのは母の命日か私の誕生日だけなのである。どの映像も悲壮感などはなくこれから自分が亡くなることなど微塵も感じていない男女が楽し気にしている様子なのも私に何も響かない要因だとは思った。

 映像の中には父の仕事の様子も少しだけ収められているのだけれど、どこかで見たようなイラストが出てくると少しだけ嬉しく思っていた。きっと、私は父の存在を理解しているのだけれど、一度も会話を交わしたことのない映像の中にしかいない母の存在はまるで実感が無いのだ。私に似ている女性と言っても、一度も会ったことのない母親は私にとって他人と何も変わらないのだ。


 持ち主がわからない落し物があった時は一度私を呼び出して確認することが教師間での暗黙の了解となったいたようだが、私の事を知っている生徒もそれを理解しているので呼び出された事に対して何か聞いてくるようなことは無かった。他の生徒に比べて落し物が多いのは理由があるのだけれど、それは私とそれを行っている人しかわからない事なのだ。小学生の時から私の物が無くなる事が度々あったのだけれど、その多くが職員室の近くで見つかっていた。中には本当になくしたこともあったのだけれど、無くなったと思っている物の多くはクラスメイトが私の物を隠していただけなのだ。

 隠しているクラスメイトはいじめをしているつもりではなく、隠されている私もいじめを受けているとの思いはなかった。その当時の担任は私の物が無くなる事が異常に多かったのでいじめに遭っていると思っていたらしく、その事が理由で何度かクラスで話し合われたりもしたのだけれど、当事者の私がイジメられているとの実感もなかったために微妙な空気に包まれて終わる事があった。

 中学や高校でも最初の頃は問題になったりもしたけれど、いつからか私が異常に落し物の多い生徒だと認識されていったので問題も大きくはならなかった。どんなに気を付けていても落し物は無くならないし、私の物を落としてくれる生徒もいなくなることは無かった。

 私の物をとっているのはクラス委員の姫野百合ちゃんなのだけれど、普段の百合ちゃんは人の物を取るような人ではないので私が何を言っても信じてもらえないと思う。そうでなくても私は誰かに言うつもりも無いのだけれど、中学生の時にたまたま現場を目撃してしまってから何度か犯行現場を目撃するようになってしまった。もしかしたら、私にだけわかるように行動をしているのではないかと思えるタイミングで目撃していたのだ。故意なのか偶然なのかは判断できないけれど、私の物をとっている事は間違いない事実だった。


 百合ちゃんとは小学校の時からクラスもずっと一緒だったのだけど、クラスの中でも学業も運動も優秀で目立つ生徒でいて、人当りもよくリーダーとなるべくしてなっているような人であった。私はそれなりに勉強は出来たのだけれど、人付き合いと運動が苦手なのでそこまで目立つことは無かった。そんな私の事を百合ちゃんはいつも気にかけてくれていたのだけれど、それは私に母親がいないからなのか父親が割と有名なイラストレーターだからなのかはわからないが、百合ちゃんは私の事をいつも可愛がってくれていた。

 最初の印象は白い感じで清らかな心の持ち主だと思っていたのだけれど、あの現場を目撃してからは少しだけ黄色いイメージになっていて、それが続いて行くと赤いイメージに変わっていった。今ではその二つが混ざってオレンジの印象がついているのだけれど、私以外には純白のイメージしかないだろう。百合ちゃんはそんな女の子なのだ。


 私にしかわからないのは百合ちゃんのそんな一面だけではなく、もう一人だけ私にしか見えない人がいた。正確に言うと人ではないのかもしれないけれど、小さい時から変わらないその人は私にしか見えないのだ。その人は母が大事にしていた花壇の世話をしているとどこからともなくやってきて、私の事を褒めてくれているのだ。

 今はどんな顔なのかどんな声なのか思い出すことも出来ないけれど、不思議と花壇の世話をしている時は身近な人のように感じていた。一度だけ父に話してみたことがあるのだけれど、父は全く信じていない様子でいたのだが、それは私の母でないかと言っていた。会った事の無い母の事はわからないけれど、確実に言えることはその人は母ではなく他人だという事だ。

 今日も家に帰ってから花壇の世話をやる予定なので会えるとは思うのだけれど、そこまで何かを深く考えることもないだろう。今日は晩御飯の当番でもないので花壇の世話もしっかりと出来そうだ。


 私が職員室から教室に戻ると百合ちゃん以外のクラスメイトは誰もおらず、帰宅したか部活動に精を出しているようだった。高校から見ると家の方角が同じ私達は自然と一緒に通学することが多くなっていて、下校時も何か用事がない限りは一緒に帰る事が決まりごとになっていた。


「カスミちゃんの物がまた無くなってたみたいだけど不思議だね。私も何か無くなってたら困るから確認してみようかな」


 百合ちゃんはそう言っているのだけれど、私は百合ちゃんが取っている事を知っているし、その行動に悪意が無い事も知っている。知らないのはどうやって物を持って行っているかという事だけだ。


「百合ちゃんはしっかり者だから無くしたりはしないでしょ。私って小さい時から物を無くすクセがあるみたいで、高校生になってもそれで先生達に迷惑かけちゃってるんだよね」

「そう言えば、カスミちゃんの落し物って先生が見つけてくれることが多いよね。もしかしたら、誰かに守られているのかもね」


 百合ちゃんは二人っきりの時は私の母親が見守ってくれているみたいなことを言ってくれるのだけれど、私の事情を知らないクラスメイトの前ではその言葉を出すことは無かった。今は教室に二人きりなのだけど、誰かが戻ってくるかもしれないと思っているのか、それが百合ちゃんの思いやりであって、優しさなのだろう。


 並んで歩く通学路は小さい時に比べると狭くなっているように思えるけれど、身長がいくらか高くなった分だけ遠くを見渡すことが出来るので狭さは感じなかった。

 珍しく百合ちゃんが恋愛話をしてきたので驚いていたのだけれど、百合ちゃんが何か普段とは違う話をしたいときは私の物が無くなっている事が多いように思えた。きっと偶然ではないのだろう。


「カスミちゃんって好きな人いるのかな?」

「私はいないけど、百合ちゃんは誰かいるの?」

「ええ、私はいないけど、彼氏が出来たらどんな感じなのかなって思ってさ」

「彼氏がいた事無いんでわからないけど、きっと毎日楽しいんじゃないかな」

「そうだといいんだけど、私はカスミちゃんと話している時も楽しいよ」


 百合ちゃんはどんな話題でも最後には私を褒めてくれることが多い。今回もきっとソレなのだと思うのだけど、私の胸に響く言葉ではなかった。そもそも、私は他人に関してあまり特別な感情を抱くことが無いのだと思う。テレビを見ても映画を見ても男性にときめくといった経験がなかった。もちろん、女性に対しても同じなのだけれど。


 百合ちゃんの家は私の家よりも遠くにあるのだけど、なぜか百合ちゃんは私の家に自転車を止めて自分の家まで自転車で帰っていくのだ。朝はその逆なのだけど、学校まで自転車で行った方が良さそうなのに気にしていない様子だ。今も颯爽と自転車に乗って帰っていく百合ちゃんを見送っていた。


 家に帰ってから着替えて裏庭に出ると、花に興味が無いはずの父が花壇を覗いていた。


「おかえり。カスミがちゃんと手入れしてくれているお陰で母さんの花壇も喜んでいるみたいだね。今にも咲きそうな花がいくつかあるんだね」


 花にそれほど興味が無い父はそれだけを言うと家の中へと戻って行った。私がいない間に母を思い出して花壇に話しかけていたのだ。それを見ていた人は私にしか見えないし、話しかけてくる声も私にしか聞こえないようだった。


「カスミのパパって見た目と違ってロマンチストよね。私がカスミのママだとしたら抱きしめてしまうような言葉を言っていたわ。カスミは興味なさそうだから教えて上げないけど、私がいることに気付いたらどうなっちゃうのかしらね」

「さあ、今とそんなに変わらないんじゃないかな。愛華の声って私にしか聞こえないみたいだし、姿も見えないんでしょ?」

「そうだけど、もっと仮定の話を楽しめないと人生楽しくないかもよ」

「仮定の話は分からないけど、家庭の話はもっと分からないかも」

「カスミって、本当にママに会いたいって思わないの?」

「うん、ビデオとか写真でしか見た事無いから会ったとしても家族だって実感がなさそうでさ。本当に会えるなら会ってみたい気もするけど、それで何かが変わるようだったら会わなくてもいいかなって思うんだよね。会えたとしてもずっと一緒ってわけでもないんでしょ?」

「カスミがこの花壇の世話をしっかりしてくれている間は大丈夫だけど、世話を怠ったりしたら終わっちゃうかもしれないよ。今でも毎日お世話してくれているんだし大丈夫だと思うけどな」

「今は大丈夫かもしれないけど、高校卒業したらどうなるかわからないしね。毎日ちゃんとお世話するのって大変だと思うもん」


 この花壇の世話を母がしていたと知ったのは小学五年生の時だった。それまでは父と一緒に年に数回手入れをする程度だったけれど、その事を知ってからは出来るだけ毎日世話すするようになっていた。出来るだけやろうと思っていたけれど、天気が悪い日を除けば毎日何かしらの手入れをしていたし、天気の悪い日も様子を見に来ることは欠かさなかった。

 そんな小学生だったある時、そんな花壇に小さな芽が出ていることに気付いたのだけれど、私も父も種を蒔いていなかったので不思議に思っていた。その芽が育っていき、綺麗な花が咲くと私の隣に愛華が立っていた。愛華は私にしか見えない友達のようで、花壇の世話をしていると私の前に現れてくれた。そんな愛華は私が小学生の時も中学生の時も今もその姿が変わらないのだ。それに比べると父は少しずつ白髪が増えていたりと変化があったので、愛華の変化の無さは不思議だったのだが、人間ではないのだと思うとそれも普通に思えていた。

 基本的に愛華と会うときは裏庭で二人っきりだったので、愛華の存在は私にしか感じることが出来ないのだと知ったのは中学生の時だったと思うのだ。その時は珍しく家の中まで愛華がついてきていたのだった。いつもは花壇の手入れをしている時だけ会話をしているのだけれど、その日は手入れが終わっても姿が消える事も無く、私が家の中に戻ってもついてきていた。

 仏壇の水とお供え物を換えた後に何となく愛華にお茶を差し出したのだけれど、それを見ていた父が涙ぐんでいたのが印象的で忘れられない。

 父曰く、その日は母の誕生日だったようで、いつも母が座っていた席にお茶を置いている姿が失われた団欒を手に入れたようだったらしい。その時に愛華の事を説明したのだけれど、私の言葉は照れ隠しにしか感じていないようだった。それまでも何度か愛華の事は話していたのだけれど、父はその事を信じていなかったことは少しだけショックだった。


 私は母の誕生日を知らなかったのだけれど、愛華は知っていたのかもしれない。それで家の中まで入ってきたのかもしれないけれど、愛華は何も教えてくれなかった。そのまま二人で裏庭に戻ると、母が世話をしていた花壇を二人で眺めていた。母の想いを知らない間に受け継いだ私の事を見ると母はどう思うのだろうか。

 裏庭には花壇以外にも花が咲いているのだけれど、その花は茎に葉を一枚もつけずに真っ赤な花弁を天高く伸ばしていた。その姿は悲しさや儚さを思い出させるものではなく、生命の躍動を感じさせた。


「その花はヒガンバナって言うんだけど、花言葉は『悲しい思い出』が有名だけど、他にも花言葉はあるんだよね。それはまた今度教えて上げるよ」


 妖艶な魅力を感じさせる愛華は華に愛されているように見えるのだけど、それに対して私はカスミソウのように周りを引き立てる役割が似合っているようにも思えていた。名前のイメージ通りに全てが決まるわけではないと思うのだけど、私と愛華はそんなところでも違いがあるように思えていた。

 小学生の時に感じたことが高校生になってからも変わっていないのは私が何も成長していないからなのか、私以上に愛華が成長しているからなのかわからない。


 母の残してくれた花壇に綺麗な花が咲くたびに愛華はより綺麗に美しくなっていっているように思えていた。愛華の姿が綺麗になっていくたびに私もそれに近付いていければいいなと思っているのだけれど、私にはそれが想像出来ないでいた。


「そう言えば、カスミの友達の百合ちゃんにも私みたいな女の子がついているんだね」


 愛華はその言葉を残してどこかへ消えてしまった。

 裏庭ではそよ風に揺れるヒガンバナが咲いているのだけれど、差し込む夕日で花弁が鮮やかに彩られているお陰なのか、物寂しさはなく美しさを感じてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る